特に小児期における経験は、記憶の中への刷り込みが強烈であると感じている。幼稚園か小学校の低学年の頃であったと思うが、よく一人で地蔵通りの縁日に出かけた。今よりも屋台の数は多く、香具師的なものも数多くあった。バナナの叩き売りはその口上が面白かった。また丼や食器の啖呵売(たんかばい)も興味をひいた。セルロイドの舟の船尾に樟脳をつけてアメンボウのように水面を走らせる手作り玩具なども売られていた。またみるみるうちに膨らんでくるカルメ焼も飽きずによく見ていたものである。とにかくあの時代、地蔵通りの縁日の屋台は、いかがわしさや楽しさも全て包含した極彩色の輝きがあった。