中学時代、友人と銀座にいった。40年前の話である。有楽町の駅前で花を抱えた女性から声をかけられた。いきなり「お花をどうぞ」と花1輪手渡された。 私:「は? えっ?・・・」 女性:「はい、200円です。めぐまれない子に募金をお願いします」 私:「えっ? 募金? 200円? じゃあいりませんよ、この花・・」といって花を返した。するとその女性は「いくらでもいいので募金してください」と少し強い口調で言うのだ。当時200円でラーメンは食べられるくらいだ。1食は食べられるお金を募金するのというのは当時の中学生には辛い。やむなく50円くらいは出したような記憶があるが、とても後味が悪かった。その証拠に40年たってもこの出来事を覚えている。それがトラウマなので自分は今でも街頭募金には絶対協力しない。目的を最初にいわず、まず「もの」を手渡す勧誘のやり方は、やはりずるいと思う。
電話勧誘でもそうだが、最初から最終的な目的をいわないのが常道のようだ。来訪目的などを最初に言うと、その時点で断られて話が進まないからなのだろう。まずは相手を「引っ張り出す」ことが先決なのである。今回も「試飲用の製品お持ちしました」というのは、まず相手を玄関口まで出させるための手段であろう。それにしても販路拡張で一生懸命なのはわかるが、すでに配達されていると分かった瞬間の態度の豹変はいただけない。もしかしたら営業所の社員ではなく一契約いくらで雇われた勧誘アルバイトなのかもしれない。とにかく最初に「もの」でつりながら本題に入るやり方は好きではない。大昔の中学生のころのことを思い出した。
すでにその配達人の会社から牛乳は取っているので、「えっ お宅からもう取っていますよ。ほらあの牛乳箱」といって牛乳箱を指差した。するとその配達人は試飲用の牛乳をすっと引っ込めながら「えっ?とっている? 販売所はどちらから?」と聞いてきた。 私が「さあ ちょっとカミさんいないのでわかりません」というが早いか、「あっ じゃぁ~どーも」といってさっさと帰っていった。・・・はは~ん。これは販路拡大のための来訪だなと感じた。それにしても普通なら「あっ、すでに当社製品ご愛飲ですか、お時間頂戴して申し訳ありませんでした。でもこれは試飲用として差し上げます」というのが営業マナーだろう。とたんにイメージが悪くなった。
ついこの前の話である。午後の診療が始まる直前に自宅のチャイムがなった。家には自分しかいない。歯磨きをしていた私はインターホンにでた。「○○乳業ですが、お試し牛乳お持ちいたしました」 うちでは○○乳業から牛乳を取っての飲んでいるので、お得意さま用の新製品試飲セットの配布と思った。それにしても診療開始直前の突然の来訪は慌しい。郵便と異なり直接対応して受け取らなければならない。急いで口を漱ぎ着替えて飛んでいきドアを開けると、配達人はビニール袋に入っている牛乳パックを手渡しながら言った。「お宅では牛乳とっていますか? 配達しますのでいかがでしょうか?」と・・・。あれ? 確かうちではすでに○○乳業からとっているのだが・・・。
まあ確かに父が言っていたように転勤先では嫌なことも沢山あったが、よいこともあった。それは地のものが食べられたことだった。いろいろあるが、例えば会津の日本酒やわっぱめし、喜多方ラーメンや地元の手打ち蕎麦など。また浜松出張で記憶に残っているのが病院の食堂でやっていたお好み焼きである。これは地のものというよりも、その病院の名物だったかもしれない。これを定食にするとごはんとシナチク入りのラーメンスープがつく。これは腹いっぱいになるが昼食時の数量限定メニューなので遅く行くと売り切れていた。このバージョンで焼きソバ定食もできる。大きな鉄板で目の前で焼く焼きソバは思い出しただけでも涎がでる。ソースのこげた香ばしい匂いは絶対に反則である。あれにかなう相手はいないだろう。でもあの組み合わせは健康によくない偏ったメニューである。しかし病院の食堂でも「敵なし」だった。そのメニューが廃止に至ることは当時なかった。おそるべしっ! 焦げたソースの匂い。
大学勤務医時代の話である。医局の都合で会津若松の病院に転勤させられた。もちろん引越しの費用は自分もちである。社宅もないので家賃も自分もちである。経済的負担のみならず、新しい職場ではその病院のシステムに慣れるまでにはかなり精神的、肉体的ストレスがある。やっとなれた頃には、また大学にもどされた。まあこれも組織の人事でしょうがないと思っていた。その矢先、その8ヵ月後には浜松への転勤が言い渡された。わずか8ヶ月でまた引越しである。あまりに場当たり的人事だったので、実家の父の前で「あっち行け、こっち行けで落ち着かない」とこぼした。すると父の口からあにはからんや「お前はいいなぁ~いろんな地方に行けて。いけばそれなりに楽しいしな」と・・・。開業した今はじめて亡父の言葉が実感できた。父は結局、何十年も巣鴨の地から動くことはなかったのである。
自分の存在意義のなさを実感する場合があります。うちはとりあえず内科と外科は標榜しています。ところが患者さんの中にはうちを「外科医院」と見ている人と「内科医院」とみている人に分かれているようです。「この前、指切ったのに昼間どこに行っていいのかわからず救急車呼びましたよ。えっ、吉田さんで縫ってくれるんでしたか? ありゃ~血圧だけかと思ったぁ~」という人もいれば、あるいは膝痛でひざに注射を受けにこられる患者さんが「あの~、まさかおたくでは胃の検査なんてしていないですよね? えっやるんですか? だって外科ですよね? えっ花粉症も診てくれるんですか?」といわれる場合もあります。本当にさまざまです。みなさんそれぞれどちらかに区分けしているのでしょうか?
まあ地域の人たちの利便性を考慮すると「何でも診る」というのもいいのでしょうが、でもいろいろ悩みもあります。例えば機能障害を残すかもしれない骨折や手術適応のある骨折を自分で保存的に治療できるのか?などは心配です。また患者さんの訴えが多岐にわたると時々閉口します。「血圧が高くてムカムカする。胃も痛む。鼻水があり咳が止まらない。肩がこるし首の「できもの」も時々うずく。手足はほてり腰も背筋を伸ばすと痛い。便秘があって夜は寝られない。尿が近くて目が霞み足の爪が化膿している。さあ~診てください」というのは決して誇張ではありません。全科に対応するのはやっぱりたいへんだぁ~、ふぅ~・・・。
今年の秋で吉田外科の跡を継ぎもうすぐ開業3年になります。自分の考えとして「町の何でも屋」をコンセプトとしました。専門医指向の世の中に逆行しますが地域に根ざすためには「なんでもやる」ことが重要と考えました。確かに「何でも食べるブラックバス」ともいえるかもしれません(笑)。とりあえず眼科、産科以外は初診はするつもりでいます。あ でも結膜炎やら翼状片は初診しましたし、結局妊娠だった消化器症状のご婦人も診察しましたので、結局、全科になるかもしれません。さすが耳鼻科の鼻出血は来ないかと思いましたが「どうしても血が止まらないので何とかしてくれ」という方も初期対応の止血(鼻腔内ベロック・タンポン)だけはしました(普通なら耳鼻科に行くと思うのだが)。まぁ結局私は「ブラックバス」なんでしょうか?(笑)。
さて昨日より6月がはじまりました。毎年6月は健診の開始日です。今年は国保の方の特定健診と社保の方の契約健診が同時に始まります。昨日の初日は、いきなり飛込みがあるかと待ち構えていましたが、一人もありませんでした。特定健診の書類は5月中に当該個人に配布されていますが、5月中にその配布物をもって受診にこられた方もおりました。みると配布物を開封しておりませんでした。受診前にきちんとお答えいただく質問票や受診月の案内まで記載されてありますので、来院前に開封して配布物には目を通してご準備を整えてから来院いただくようお願い申し上げます。あ それと採血・採尿があるので食事と排尿はしないでこられてください。昨年も「おしっこが出ない」ということで後日回しになった方が結構いらっしゃいました。「出物腫れ物ところ嫌わず」といいますが、この「出物」は歓迎です(笑)。
この前の日曜に四谷で救命士会の同級会があってそこに呼ばれて講演してきた。2期生なのでかれこれ18年ぶりになる。60名の卒業生のうち半分近く集まった。でも3名は逝去されたそうだ。すでに数名の方は消防を定年退官されていた。その後は悠々自適の生活の方もいれば、民間の救命士養成所の教官をされていたり、あるいは原子力発電所内の自衛消防団立ち上げて、その運営の仕事をされている方もいた。いずれにせよ健康な方もいれば、何かしらの薬を服用されている方もいて様々である。若いころと異なり歳をとるとみんな健康(不健康)自慢?の話になる(笑)。まあとにかく何はなくとも健康が一番である。