大学勤務医時代の話である。医局の都合で会津若松の病院に転勤させられた。もちろん引越しの費用は自分もちである。社宅もないので家賃も自分もちである。経済的負担のみならず、新しい職場ではその病院のシステムに慣れるまでにはかなり精神的、肉体的ストレスがある。やっとなれた頃には、また大学にもどされた。まあこれも組織の人事でしょうがないと思っていた。その矢先、その8ヵ月後には浜松への転勤が言い渡された。わずか8ヶ月でまた引越しである。あまりに場当たり的人事だったので、実家の父の前で「あっち行け、こっち行けで落ち着かない」とこぼした。すると父の口からあにはからんや「お前はいいなぁ~いろんな地方に行けて。いけばそれなりに楽しいしな」と・・・。開業した今はじめて亡父の言葉が実感できた。父は結局、何十年も巣鴨の地から動くことはなかったのである。