大昔、日本医師会会長が武見先生の時代である。武見先生はかなりの勉強家であったそうだ。朝は暗いうちからおきて何十もの医学文献に目を通してから1日の仕事を始めたそうである。人づてに聞いた話であるが「医者は経営のことなんか考えなくていい。保険点数を確保して生活を保障してやるから、経営など考える暇があったら医学の勉強をしろ。」と言っていたらしい。医者や研究者や学者などが生活のことを考えずに仕事に没頭できる環境はうらやましい限りである。しかし今ではそれは無理である。経営効率やら何やらを考えないと今後は自分も危ういであろう。それにしても国は地域から中核病院が撤退している現況をどう捉えているのだろうか? 単に医学部を増やして医者を増やせば事足りると思っているのだろうか? 根本は医療経済の問題なのに・・・。
このような近隣病院の閉院・撤退の打撃は大きい。数年前より新臨床研修医制度がおこなわれてから地域の中核病院から医師がいなくなり地方の市民病院が次々と閉院に追い込まれている。医師はいなくなるわ、医療点数の締め付けにより病院は経営破綻になるわで、空洞化どころか医療の枠組み自体が消失しかねないところまできているようである。小さい頃から道徳などで「きちんとこつこつとまじめに仕事をすればそれなりの結果は保証される」という観念を教わってきた。ところが真面目に医療をやっている病院が廃院する世の中である。勤勉で正直であるという二宮尊徳の銅像が小学校にもあったが、今ではその道徳観念も通用しない世の中のようだ。これからの医療は「胡散臭いことや、きな臭いこと」にも手を出さないと継続できないのかと思うとゾッとする。ここは保険医療の点数改革をして、また晴耕雨読の真理に戻してほしいものだ。
このたび閉院したS病院の院長先生と昔、会食したときに「今の保険医療制度下の保険点数は中小病院に特に厳しい割り振りになっている」と聞いた。確かにそう思う。どうも国は中小病院をなくして大病院と無床診療所のみにするように思える。診療所にとっては「大掛かりな病気ではなくちょっと2~3日点滴の入院で様子を見てほしい」患者さんが時々いる。このような場合は大病院では敷居が高い。「大した病気でもないのにこのような大きい病院に入院させるの?」とばかりに門前払いを食らうこともある。したがって地元の中小の病院の存在はありがたいのである。地元の人にも気軽に入退院できる病院の存在は安心であるはずである。地域からコンビニやスーパーがまったくなくなりちょっとした買い物も遠くのデパートに行かなければならない状況と同じである。地元からのこのような病院の撤退は地域にとって大きな痛手である。ますます地域の医療は空洞化していくだろう。
近所のS病院が閉院したのだが、ここの外来はいつも混んでいた。院長先生は人柄もよく臨床の腕も確かである。また経営能力もすぐれている思う。昔、一緒に働いていたので十分に知っている。そのような先生が院長で辣腕を振るっていたのだから、まず地域では安心な病院であると思っていた。言葉は悪いが「雇われ院長」であって理事長ではなかったので、閉院に関しては何か事情があったのだろう。しかしながらこのようにきちんとした先生がやっていた病院が閉院したのは医療行政の貧困さが大きな理由であろう。まじめに一生懸命やっていて閉院せざるを得ないのは保険点数の低さ、看護単位の締め付けが原因であろう。救急病院もやっていたので行政は地域に大きな損失を与えたことになる。まじめにやっていても医業は危うい世の中なのである。
4年目にしてそろそろ通院患者さんの数も増えてこなくなってきました。というか、前年同月比では、ほとんど毎月の患者さんの数は変化していません。このような住宅街は駅前とは異なり流動的人口ではないため、おそらくこれ以上は増えてこないのかもしれません。確かに増えてくると患者さんをお待たせしてしまうので多くないほうがいいのですが、それにしても今の保険点数では単価が低いので「薄利多売」にしないとやっていけません。国民の総医療費は毎年どんどん右肩上がりですので、国もいかに安くさせるかで必死です。しかし歪みはこのような医療の現場にもあらわれてきます。以前も触れましたが近場の病院が閉院しました。ここの院長の外来はとても人気があってすごい患者さんの数だったのですが、それでもやっていけないというのは医療行政がおかしいのだと感じています。
いやはや先日、新患の患者さんが来られた。「こちらに通院しているSさんから紹介されてきました」とのこと。普段は地蔵通り商店街の○○医院に血圧でずっと通院しているらしいが今日は腰が痛いと。「それにしてもこんなところに医院さんがあるとは知らなかったわ」と。この言葉に愕然とした。この患者さんの住所は近所で、しかも最近転居してきた方でもなさそうである。同じ町内なのである。○○医院まで行くにはうちに来るよりも遠く、しかもルートとしてはうちの前を通る道もあるのだ。うちは代替わりをしたとはいえ昭和33年からここで開業している。前回「地域で信頼される開業医を目標に」などとかいたがとんでもない思い上がりであることに気がついた。それ以前の問題として「地域の人たちにまずうちの存在を認知」してもらうことが先決であると痛感した。また4年前の開業時の初心に戻るべく気持ちを引き締めよう。とてもいい勉強になりました。それにしても地蔵通り商店街での立地条件は極めて羨ましいかぎりである。
よく老舗の飲食業では「二代目になってから味が落ちた」などといわれることがあるようです。お客さんにしてみれば先代よりも経験年数がはるかに浅い二代目ですので「まだまだ先代には追いつけないだろう」という先入観があるのかもしれません。だから先代と同レベルの味であっても点数は辛くなるのでしょう。まあもちろん飲食業と医業は異なりますので比較の対象にはなりません。また医療水準も当時とは違うし、保険点数もまったく異なります。そして医療の枠組みも当時とはまったく違うのですが、医療を成すべきは医療スタッフという「人」ですので過去と比較されることはしょうがないでしょう。それにしても、亡き父が今の自分の年齢の時には、すでに自分は医者になっていました。ところが今、自分の子供らはまだまだ学生です。社会人になるまであと何年かかるやら・・・。まだまだこれからも頑張らなければなりません。ふぅ~。
早いもので、父の後をついで開業してからもう4年になりました。本日10月4日は昭和33年に初代の父がここ巣鴨の地に開業した開院日です。自分も引き継いで開業した日が10月4日ですので、さて父の代から勘定すると何十年になるのでしょうか? まあ「石の上にも3年」といいますが、4年ですのでなんとか自分もこの地域に「根付いた」のかなぁ~と思います。しかしまだまだ地域のかかりつけ医としては十分ではないでしょう。 昔の父の時代と、自分の今の時代では開業医のあり方は違うと思います。まだまだ父のような信頼を得るまでには時間がかかりそうです。4年以上たってようやく、「昔、大先生の時に通院していました」という患者さんが初診でちらほらお見えになっています。つまり二代目が信用されるまで4年もかかっているのですから、まだまだ発展途上ということになります。
今月からインフルエンザの予防接種を開始しています。お知らせしたとおり今年度は年齢による接種の順番はありませんし、また小児での区からの補助もありません。65歳以上の方は区から予診票がお手元に送付されますので、お持ち頂ければ自己負担¥2200で受けられます。通常接種は当院では実費で¥3150頂きます。昨年あたりより日本脳炎、ヒブワクチン、成人肺炎球菌ワクチン、子宮頸がんワクチンなどワクチン接種がどっと増えてきました。こちらの業務もそれぞれ接種時期や年齢などの確認、また補助のあるなしの確認などで煩雑になっています。それから長寿健診は今月一杯で終了ですので対象者はお早めに受診ください。
大昔の話で恐縮である。転勤で地方出張になったことがあった。住民票も移すことになったので諸手続き上、実印も移すことになった。現地の役所にいって実印の住所変更を届け出たが、持参した実印では受け付けられないというのだ。理由は何やら文字雛形の台帳に自分の実印の文字がないそうなのだ。向こうは「台帳にない文字の実印は登録できないことになっています」と一点張りである。しかし前居住地では立派に実印登録していたのだし、しかもそれを使って種々の契約書に判を押してきた。ここでそれが登録できないとなるといままでの契約書は全部無効になってしまう。こんな理不尽はないと窓口でねばった。ちょっと強い口調で「過去の契約書の類を全部無効にするつもりですか?」ともいった。また「役所が異なると実印の善し悪しも異なるのですか?」とも言った。担当者は奥で課長らしき人と話しをして戻ってきた。「・・・じゃあ今度だけは認めますので」と。この「今度だけ」という言葉にカチンときた。「今度だけ? まるで私が規定外の申告を無理強いしているようじゃないですか。そこまで言うなら全国の役所で統一した雛形台帳作ってくださいね。いいですね! あなたの責任で作ってくださいよ! あなたお名前は?」と言い放ってやった。20年以上も前の地方でのできごと。世にも奇妙なお役所仕事である。