きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

誰も言わないから自分で

2012-06-13 | 息子keke
今日は帰ると、kekeがおらず、お風呂がちょうどよく温まっている。

汚れたお皿を洗っていると、kekeが帰ってきた。
何を買ってきたんだ?と言うと「ビーフストロガノフを作る」と言う。

「お風呂が沸いているよ。入るのかい?」と言うと、いいやと言うので、「もしかしたら私が帰ってきてすぐに入れるように沸かしておいてくれたのかい?^^」と尋ねると「そう言うことにしておけば」と言う。
(とか何とか言っちゃって母のためだろ、このぉ~とつぶやいてみた。)

ではとお風呂に入って出てくるとビーフストロガノフができている所であった。


「これからねぇ」と私は言い、「もう1人の自分がいたとしてね」と言うと「二重人格か?」と言うので、「まぁそんな感じだけど、もう1人の自分がいたとして、自分をほめてあげることにしたんだよ。そうしたらもっと元気が出そうな気がするんだけど、自分のよい所をわざと見つけてみるのよ、一緒にやってみる?」と言うと、kekeは「自分は悪い所しかみつからない」と言う。

「悪いところが見つかるという事は観察力があるから、本当はいい所もみつかるはずなんだよ。」と私は言ったけれど、話はそれきりになった。
何故ならサッカーがついていたからだ。

昨日の試合は見てしまった。
昨日の試合が特別面白かったのか、サッカーは観ればいつもこのぐらい面白いものなのかよく分からないぐらい私はサッカーに興味がない。
勝つことに越した事がないが、負けても次に頑張れば良いではないかと思う。

むしろ政治の方がいつも貧乏クジをひきまくっているような気がしている。
これは負けたら次、と言うわけにはいかない。
(だからと言って特別に政治を勉強しているわけでもないが。)

ある人にそう言ったら、「sakeさん、その話は他の人にはしてはいけないよ」と3回ぐらい念を押された。
「え?なんで?」と言うと、「人にはそれぞれの考え方があって、サッカーファンの人にその話は絶対してはいけない」とまた念を押された。
私はサッカーを好きになることに文句があるのではなく、あのエネルギーで国外情勢に関心を注いだら日本はどんなに団結した国になるのだろう、と普通に思っただけである。

そんな私も昨日の試合は、敵が1人減って押せ押せムードになったり、よく分からないピンチで1点(それもあんな形で)残念無念で点が入れられてしまったりして、「あ!」とか「う!」とか言いながらTVを観ていたのだった。


そしてそれきりになってしまったけれど、最近疲れ果てて「あぁ・・誰かにほめてもらいたい」と思った時、kekeもきっと同じではないか?「自分は悪い所しかみつからない」と言うkekeには、でも私はいるんだ。

「そうだそうだ、sakeちゃんは人のいい所をみつけるのが上手なんだから同じようにkeke君のいい所もみつけられるはず。自分が肯定できれば息子のkeke君の似たところも肯定できるはず。」
と、もう1人の自分でつぶやいてみた。

そして母が生きてた頃に「誰も言わないから自分でほめるの」とよく言っていたことを思いだした。
実際ひまわりのようだった。

一人二役

2012-06-12 | 息子keke
「あぁ・・・人生なんて」とkekeは言う。

そんな事ばかりいつも言う。

「たまには外を歩いてみるのはどうだろう?近所がイヤだったらちょっと電車に乗って降りてみてさ。」と言うと「通報されるからやめておく」と言う。

バカな、そんな事はないよと言ったけれど、よく考えたらそうかもしれない。
外にもおちおち出れないのだろうか。


昨日は家に帰ると寝てた。

母子手当も出ない年になり、学生でもない。
働かなければならないし、どうしてもどうしても働けないなら
家の中の用事をしてほしい。

それができなきゃ働け。
いますぐ働け。

昨日はそのように言いました。
「言ってしまった」が正解なのかもしれない。

もう疲れた。


そう言えば子供の頃、1人4役で七並べやババ抜きをしたことがあったっけ。
褒めてくれる人がいなければ、自分でそうなればいいや。


「sakeちゃん、母子手当もなくなって給料17万しかないのに、よく頑張ってるね。家賃と光熱費を除いたら、ほとんど食費なんでしょ。ほんとに贅沢しないで頑張ってるんだね。^^お父さんも元気な頃はそう言うトコ褒めてくれたよね。」

「sakeちゃん、keke君のこともここんとこずっと怒らなかったじゃない?料理作ればいつも喜んで食べてたよね?ちょっとぐらい怒っても気にする事ないよ。^^平気平気。keke君は料理も上達したよね。」

「sakeちゃん、いつもAさんやG子ちゃんの話をよく聞いてあげてるよね。そんなによく話すのはsakeちゃんだと安心して話せるからなんだと思うよ。^^いっぱい聞いてあげてるもんね。^^」

「sakeちゃん、そんなに疲れているのにちゃんと会社に行って今日もお仕事フルタイムで頑張ってるね。まだ無遅刻無欠席じゃなかったっけ?」

「sakeちゃん、自分の仕事より頼まれた仕事を先にやってるんだよね。自分の仕事は最悪土曜に出ればできるものね。」

「sakeちゃんは自慢するのが苦手なんだよね。^^でもだからみんなが自信持てるんだよ。^^」

「ブログもどこかで参考にしている人がいるかもしれないね。^^いっぱい悩んでいいんだよ。悩む人をみれば自分の方がまだマシって思える人もいるからね。^^」



これ、いいかもしれない。
行けるかもしれない。

ロールキャベツを作った日

2012-06-10 | 息子keke
今日はロールキャベツだった。

この前kekeが小さい玉でキャベツを買ってきて「何に使おう」「お好み焼きかロールキャベツかな」なんて話をしてて、ロールキャベツは私でないとな、と密かに思っていたのである。
kekeもあまり好きでないロールキャベツを今回は「どんなものか改めて食べてみよう」と言う感じである。

出掛けてしまうと、帰ってきてまた気持が萎える可能性が十二分にあったので、それもよした。
ロールキャベツのためにここまで準備周到にならねばならない辺りで、kekeの退学届けを書くのに1週間掛かったことを思い出す。

我が家には今、重い空気がよどんでいて、まるでウィルスのよう。
この空気の中に一日中いてロールキャベツを作らなきゃと考えたら、今日は頭痛までしてきた。
それでも今日はロールキャベツと決めた。
今日を延ばしたら、もう作れない。
今日でないと、kekeは手作りのロールキャベツを味わえない。(ような気がする)

たぶんこの「絶対決めた」って言うのが、大きなポイントではないかと思う。

キャベツのためにも今日は絶対と決めたので、私はする。

しかし、キャベツをゆでて、ひき肉や玉ねぎやキャベツの芯を混ぜてそれをこねて、包んで巻く、それを煮込む・・・・この行動の前に材料を買いに行かねばならない辺りで、早くもクラクラしてきた。
(これホントに最近の現象で、一昔前はこんなではありませんでした。)

kekeがやってきたので、「これからロールキャベツを作ろうと思うんだけど、ひき肉が無い」と言うと「ほんとに作るんだ?」と言う。
「これからキャベツをゆでたり具をこねることを考えたらクラクラしてきたから、買い物に行ってほしい」と言うと、えぇーーーと言い(私も充分にそれは想定していた)、やっぱり自分で行かねばならんかと思いながらも「風呂に入るなら買い物から帰ってきてからでどうだろう」と言うと、行くことにしたようである。

何がほしいんだ?と言うので、「ひき肉と玉ねぎとロールキャベツの味付けソース」と答えた。
(最後かもしれぬロールキャベツに失敗は許されない)


kekeが出て行くと、やっと私は用意すべく皿を片付け、キャベツをゆで始めた。

やがてkekeが帰ってきて、何を買ってきたんだろう?とバッグを開けると、他にもジュースが出てきたり、ロールキャベツはトマトソースを選んできたのが楽しかったりする。
そして私は踏ん張る事ができて、ロールキャベツも(過去には何度も作ったことがあるので)チャチャと包んで、煮込み始めると案外早くて、揚げるだけの春巻と冷しゃぶサラダもできた。

こう言う時に誰かが自分のために何かしてくれるって言うのは大切かもしれない。
(と考えると、できることもあるかもしれない。)

「揚げたてをつまむか?」と言うとkekeはまだ食べないと言うので、先に風呂にして出てくると、春巻は1本減っていて、炊飯器のスイッチは炊き上がりで止めてあった。


ロールキャベツをよそると、今日はじっくり味をたしかめて「作ったのはおいしい」と言う。
ロールキャベツやハンバーグは肉の割合が多いから、作った方がおいしいかもしれないねと答えた。

「でも煮込みすぎたかなァ・・色がにごってる。」
「煮込みすぎた方が味がしみるのでは?」
「そうか・・まだあるから食べる?」
「いや。。」

それでもkekeは味わってくれた。。。作ってみて良かった。。。

こんな親子

2012-06-10 | 息子keke
昨日は家に帰るとkekeは寝ている。

休日の午後である。
そりゃ夜起きているのだから昼寝るようにはなろう。
しかし昼間玄関を開けた時に何もする事が無い子供が寝てる、条件反射で辛い。

今の心境を正直に書くと、休みが辛い。
10数年フルで仕事をしてきて、いつも休みは待ち遠しいものだった。
だから、今でも平日は休みを楽しみにしているのである。
でも、休みが辛い。
もう認めるしかない。辛い。

パブロフの犬のようである。
食べ物がある、食べる、すると電流が流れる、痛い。
食べたい、痛い、食べたい、痛い。
休みたい、痛い。
それでも休みたい、家族で。
でも痛い。

週末は毎週このような状況になり、私はどうしてこうなったのかと考えざるを得なくなる。
考えたところでどうにもならない。
でも、考えざるを得なくなる。
「考えてもしょうがない」と言って考えずに済むのは健全な証拠。
本当に困っている時は思考回路に選択肢はない。

平日は忙しいから(そばに他に人もいるし)向き合わなくて済む。それだけのことだ。
外に出る。
でも咎める。
そんな事をしてるからこうなったのだと影の声が聞える。

家に帰ると子供は寝ている。

伊藤比呂美さんの「伊藤ふきげん製作所」と「女の絶望」と2冊を読んだ。
ふきげん製作所は娘さんが反抗期で困り果てた頃のエッセーである。

かなり期待して読んだが、娘と息子は違う気がする。
伊藤さんは娘さんの話をやたら聞いたそうである。
一緒に出かけたりもしたそうである。

それがイヤなのがうちの息子である。
ドライブなんてどれだけ誘っただろう。
服を一緒に買おうとどれだけ言っただろう。
それでも未だに冬のジャージ上下を着て寝てるのがうちの息子である。

ここに来て一つ後悔している事は、やっぱり学校を辞めさせたこと。
2年前うちひしがれ家に戻ってきた時に、即行病院に連れて行っておれば
良かったのか。
卒業だけはしてほしかった。

この先もし「仕事をしたい」と思う日が来ても、まず書類選考。
この状況で受け入れ先があるのか。
バイトでも、山ほど履歴書を書かねばならないのか
少々働きたくなったとしても、そこまで根性があるとは思えず
たぶん出たり引っ込んだりするだけでないかと
タイミングは大切でした。

何とも無念でありません。
(でもそんな間の悪さも人生にはついて回ること)

どうかどうか、こんな親子にはなりませんよう、転ばぬ先の杖として書いてみたのが今日の本題。
親子関係は期待がない分、ケンカもありません。
穏やかです。

万歩計

2012-06-09 | 今の会社
社長が課長に「いるんだったらあげる」と言っていたものは万歩計である。

この前のコンペで誰かがホールインワンを出したとかで配ったもの。
「万歩計なんていまどき携帯にも普通についてるぜ」と言う。(私のにはついてないけど)

へー・・と覗くと課長が「sakeさん使う?」と言った。
まず説明書から入って、時間を合わせ、体重を合わせ、歩幅をメジャーで測って入力、そして決定ボタンを押すと万歩計はスタンパイとなった。

こいつの賢い所は数歩の歩数では動じないところ。
「これが歩きかどうか」を見極め、歩きだと判断するとグッとカウントが上がる。
スタスタスタ。10歩歩いてもカウントは変わらず。
スタスタスタ。20歩になると、グッと20上がった。

翌日から万歩計との生活が始まる。

顔を洗う。スタスタスタ。
化粧する。スタスタスタ。

家を出て駐車場に向かう。スタスタスタ。
車を降りて、スタスタスタ。

朝のコーヒーを沸かした辺りで1000歩に到達。

この日は努めて普通に過ごし、帰りに軽く買い物をして帰る。
着替えてからもスタスタスタ。
夜の最後に万歩計を置くと4200歩であった。
(距離は1.3キロ)
歩数の平均は男7200、女6400だとか。

翌日はちょっと歩数を増やすべく、朝から胸に万歩計をつけてちょっと廊下を多めに往復してみたりして。

「課長、昨日は何もしないで4200歩だったんです。^^;」
「1万歩が理想って言うよねぇ。」

昼休みに「それではこれから歩数を増やしに行って来ます。(^o^)丿」と言うと、課長は大笑いした。
「左右に振ればいいのに。」

それでは意味がないのです。(^o^)丿

そして郵便局まで歩いて行き、切手を買って帰ってきた。
1600歩増えた。
その後歩数が伸びず、トータル5000歩となった。


そして、そのまた翌日は産地直送野菜売り場まで歩いていくことにした。
この日は暑かった。
汗はわきの下だけではなく、ひじの裏側の折り曲げる所まで出てきた。
目の前にはついたが、のんびりしていると昼食を食べる時間がなくなるので、そのまんままた引き返した。
日が照り返した。

この日は6200歩まで達した。
まだ平均には及ばない。

が、心に留めるだけで歩数は案外稼げるものだなと言う感想も持った。
ちょっとそこらをひと回りするだけでも500歩ぐらいは稼げるのである。

まぁこれからだよ、フフフフ。。。


・・・と思ったところで、いよいよ関東も梅雨入りだと言う。
出鼻をくじかれると言うか、私の万歩計への情熱は気温と同様、急激に冷めていった。。。

横柄な男

2012-06-08 | 今の会社
見ず知らずの営業さんが現れて「どこそこの現場の担当者と話がしたいんだけど」と言う。

「どのようなご用件ですか?」
「自分の会社は○○△△を取り扱っているので取引してもらえないかと」
「たぶん・・・もう発注先は決まっていると思うのですが・・そのようなお話があったことは伝えておきますね。」

いやいやそれでは収まりませんよ、と言う態度で担当の人の名前を教えてほしいと言うので、イヤイヤながら課長の名前を告げた。

「携帯番号は?」
「そこまではお教えできないんですね。ですので、こちらから後ほど・・それにもう発注先は決まっていると思いますが。」
「それはどこ?」
「私はそこまで分かりません。」(知ってても教えてよいか分からない)
「現場事務所は?」
「さぁ、どうでしょう。」(無いけどそれを教えて良いか分からない)
「そんなことも社員が分からないの?」
「私は事務員ですので現場のことまでは。内容を伝えて担当から後で連絡しましょうか。」
「いや、こっちから電話するから。あなたの名前は?」
(と、警察の取り調べのようにわざわざノートとペンを取り出す)
「sakeです。」
「電話番号は?」
「XXXX-XXXXです。」(自分でネットで調べろよっ)

すると、相手は出て行った。。。

あり得ない・・仮にも「客」に対するこの横柄な態度。
しかも名刺では社長である。

このセンスはあり得ない・・・・。

課長が帰って来てから、かくかくしかじかこんな事とあんな事とこんな風に言われて、どこまで答えて良いものかどうか分からないので言いませんでした、後で電話するそうですよ、きたら何て答えましょう?と言うと、「何で発注先の名前が知りたいのかなぁ?」と言い、秀クンは「今度はそこに行くんじゃないの?」と言い、「掛かって来るまで放っておいていいよ。もう決まってるんだし。」と言う。

そして夕方、首根っこを捕まえるように例の男から電話が来て、課長に変わると「あぁ、もう発注先決まってて注文書も出してるんだよね。」と言うと、電話は切れた。

「一言で済んじゃったよ。」と課長は言った。

kekeのマグロ丼

2012-06-08 | 息子keke
帰るとkekeの靴が無い。
炊飯器はあと30分で飯が炊き上がる予定で、買い物に出かけた様子。

顔を洗っていると帰ってきたので、洗面所から「おかえりー」と言うとビックリした、と言う。

「何を買ってきたの?」と言うと、マグロとフライと言う。

「それでは私が味噌汁作ろうかな。」
「どうぞ。」
「あら、ニンジンとゴボウと玉ねぎしかないよ。肉か魚がほしいけど焼き豚じゃダメかしら。」
「焼き豚は要らないでしょ。それだけでご飯食べるんじゃないんだから。」

そして、kekeは万能ネギを「これも買ってきた」と言う。
これはどう保存するのか?と言うので、「湿ったペーパータオルで根っこをくるんで冷蔵庫にしまうか・・面倒だから洗って最初に細かく切って冷凍保存しちゃったりするけどね。」と言うと、細かく切るのが苦手だから冷凍の方でいいからやってくれと言う。

それではと洗って切って見せると、kekeが冷凍用のパックを取ってくれて、ヨイショと入れ、また切って入れて、最後に「この根っこはこうして水入れたコップにつけておくと、また伸びてくるんだよ。」と言った。お得でしょと。

kekeは万能ネギが好きなのだ。

「このネギねぇ、うちのじいちゃんばあちゃんは使ってないの。あっち(父親方)のおばあちゃんがよく入れてて、おいしいなぁって思ったんだよ。」
「ふーん。」

そして万能ネギを「たくさんあるから」と味噌汁にバッと入れた。
「kekeちゃん、お味噌お願いね。」

kekeがスプーンで味噌をすくうので「もう少し多くてもいいんじゃない?」とまた余計なことも言い、kekeは溶かして味見をするとクククと笑った。
「コンブと万能ネギが合う。」と言う。

そしてkekeは刺身のさくはどうやって切るんだ?と言うので、「たしか左から切るってどっかの本で見たような気がする・・・でも私は右から普通に切ってるけど。」と言うと、kekeは左から切ろうと試みる。そして「あぁなるほど。」と言う。

「ご飯炊けるまでコロッケでビール飲んでもいいかしら。」
「どうぞ。」
私はコロッケをかじりながら、「kekeちゃんに切ってもらってて何か申し訳ないねぇ、ほんとに。」と言うと、「そう思うならやめれば。」と言い、「うぅ、でも食べたいの。」と言うと、「だったら食べれば、いいって言ってるんだから。」と言われ、プシュと開けながら、「あぁいいなぁ、帰ってすぐにご飯が用意されてて、コロッケってソースかけてご飯でもいいんだけどね、こうしてそのまま、それだけでサクッて食べてビールのつまみにするのいいなぁ、こう言うのシアワセ。」と言うけれど、もう返事は無い。

やがてご飯は炊け、kekeはマグロ丼を作った。
そして、「なんか、こうしてみるとしょぼいなぁ」と言う。

そぎ切りみたいにすれば良かったか。。。

父の食事とたわ言

2012-06-07 | 父の記録と母の思い出
父は昼食を前に座ったまま寝ていて、看護婦さんが食べさせようと試みるが、右手は頑なに閉じたまま箸も持てない様子。
「お昼食べる?」と訊くと「うん」と答えるが、体も指も固まって動かない。

おばあさんの奇声が今日もあちこちに飛び交う中、寝ている父の隣でボーっと座っていると、目の前でばあさんが隣のばあさんのお皿を引っ張りひっくり返そうとしているのを別のおばあさんが発見し、「あ!大変だよ」と言っているので、慌てて駆け寄ろうとすると、看護婦さんが気付いて対処してくれた。

その中でも父は一向に目覚めやらぬ状態で寝込んでおり、「今食事は無理なのでは」と思った辺りで昔、隣にいたシアワセばあさんの「娘さん、もう少し傍に居てあげてください!」と言われた日のことを思い出したりした。

何回か「お昼食べる?」と尋ねて、茶碗と箸を持たせようと根気強く挑戦してみると、何回目だっただろう、やっと茶碗を持って箸で少しづつご飯を掛け込むようになった。
しかしそれも長くは続かず、茶碗を抱えたまま、またグーと寝た。

「味噌汁だよ、飲む?」と言うと、またウンと言い、それは茶碗を抱えて飲み始めた。中の具もその勢いで口の中に入れようとした。
しかし、何も落ちてこないとグーと寝る。
(それでも茶碗は落とさない、食い意地が張っているのか。)

最低限腹が満たされると、もう自ら食べようと言う意思はみられず、いよいよスプーンで残ったご飯を食べさせることにした。
スプーンでチョンチョンと唇を軽くつつくと父は「アーン」と口を開け、もぐもぐ食べる。それは何回も何回も繰り返し、意識が寝ているから満腹を感じないのだろうか、このまま行けば、限り無くアーンと食べられそうな気がした。

そして、おかずに付け合わせのサラダやスパゲティも完食。食事で1時間近くを費やした。

kekeと私にもこんな日が来るのだろうか。
まだ病院なり施設なりに入れれば良いが、これ家で看るとなったら、とんでもないことになる。
ブルブルブル、そこまで考えて首を振る。なんとおそろしや。。

そう言えば、父が一時期盛んに「オレを施設に入れてくれー」「オレは入る施設をとうとう決めて来た」とたわ言を繰り返し、妹は「あのじいさん、世話になってる娘にどんだけイヤミが言いたいか」と怒っていた時期があった。

もし父がその昔、母親の老いを、兄弟の老いを見つめて、今の私と同じ心境になっていたら、あれらはもしかしたら寝言ではなく、正気薄れて行く中でしがみつくばかりの悲願だったのでは。

また伊藤比呂美さんの「一息ついたと思ったらこんどは親で苦労しております」の文章を思い出して、親についてはまったく苦労していない、たぶんこのまま(もう他に親と呼ぶ存在は居ないのだから)苦労することは無い。
こいつにはその分の余力がある、まだ課題を出せる(こなせる?)と神様がみなしたのか。

挑むしかありません。

肩もこの時期でたしか1年が経ち、今ではブラジャーのホックは普通に止められ、真上までは行かなくても正面から87度ぐらいまでは上がるようになりました。

昨日や先週と比べると何も変わり映えしないけれど、半年前から比べれば良くはなっているのです。当時はブラはクルリと回して前で止めてまた回してましたから。
来年はさらに良くなっているでしょう。

「長い目で見れば何か変わってたりするものだよ。」
と、あの世から母が伝えようとしているのかもしれません。

ねーねーねー

2012-06-06 | 今の会社
また私と課長と秀クンがそれぞれ黙々と仕事をしていたある日、課長が「sakeさん、発注書を出してくれないか?」と言い、「だんだん予算も決まってきたんだよ。」と言う。

「儲かりそうですか?」
「200万ぐらい利益が出そうだよ。」
「そんなに?!^^それはうれしいですね。」
「sakeさんにも書類作りをお願いしなきゃね。」

「もちろん、200万のためならガンバリますっ!(^o^)丿」と言っている横で、秀クンは「あっても、すぐなくなっちゃうけどね。」とつぶやく。

「また、どうしてそう言う事を。。(ーー;)うぅ。。」
「時々考えちゃうよ、何のために頑張ってるか。」

私達3人は事の本質には恐れ多くて触れられないものの、ねー、ねー、ねー、とつぶやいた。

「そうなの。自分の所には全然回ってこないのよネ。。」

ねー、ねー、ねー。

沈黙の後、課長は「それじゃ、頑張るのをもうやめますか!」とつぶやいた。

「それではそうしましょう」とも恐れ多くて言えずに、ねー、と目で会話しながら、私達はまた仕事に戻っていった。

モットガンバリマショウ

2012-06-05 | 息子keke
もう6月です。

2年になろうとしています。

その間、私はこの苦悩をブログに吐き続け、もちろん周囲のほとんどの人にボヤき続けました。
半分の人は「そのぐらいの子供が居ないから分からない」と言い、あとの半分の人は何か言わなければ申し訳ないと思ったのか、ああしたらいいのではないか、こうしたらいいのではないか、私だったらこうかしら、と言ってくれました。

藁をもすがる気持で、至らないながらも私は必死で頑張る頑張る頑張る。
やがて、ああしたらいい、こうしたらどうかに疲れ果て、今では「モットガンバリマショウ」と言う機械音にしか聞えなくなりました。

私はこれ以上何を頑張ればいいのでしょうか。
何のために?いったい誰のために?

と貝になった時に、kekeの気持がほんの少しだけ分かった気がしました。
「これ以上頑張ってまで、生きていたかぁねぇや!」と天にツバを吐きました。

きっと結果が全てなのでしょう。
結果が出ない限り、頑張っているとはみなされないのでしょう。

分かりやすく言えば人殺し。
それはいけないこと、絶対許されないこと。
しかし、それをした人の全てにおいて、何もかも私が勝っているとどうして言えよう。
その人の過去から全て100%をどうして否定できよう。
罪は憎んで人を憎まず。
こうなった経緯に何かどこか同情しうるところもあるのではないか、でも人殺しでは、さすがにそれはないのか。
だとしたら不正受給だったら、不倫だったら。

同様に(そこで「同様に」して良いかイマイチ自信がないですが)、100%正しい人がいるのだろうか。
100%正しい意見(アドバイス)があるのだろうか。
自信なさげにフラフラしてれば突っ込まれる、ただそれだけのことではないか。

そう気がついた時に、あれだけ多くの人がいろんな「感想」を述べたに関わらず「大学だけは絶対辞めさせるな、あと1年休ませてでも」と言ってくれた人は誰も居ない事に気がついたのです。
(もちろんその感想が「正しい」かどうかすら分かりません。)

孤立無援。
1人で育てる事の限界を知りました。

同じ責任を感じてくれるであろう父親に身近にいてほしかった、と初めて感じました。
そうしたらこうはならなかったのではないか、もっと違う別の問題が起こったかもしれないけれど。

今となっては全てが運命なのです。
これも運命。この先死んでも、それは運命。
勘弁してください。
それでもまだ私達は終わらないのです。


何日か前、G子が言いました。
「T男のアドバイス、的確だった」と。

胸にシリコン(だっけ?)を入れてボインにするような違和感がありました。
私はアドバイスなんてしたことがない。生まれてから1度も。
「感想」です。
それがたまたま偶然、その日に限って上手くいっただけなのです。

できればこれから「ガンバリマショウ」と言う言葉は使いたくない。

「(ここまでよく)がんばりましたね」と言う言葉に変えたい。
変換できない場合もあるけれども。


昨日kekeが作ったカレー。
手際よく、あっという間にできました。