きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

私の「ひとりぼっち」

2013-05-10 | 日記
ほんとに日がのびたなぁ。
これからしばらく早起きが楽しめる。

何日か前にスーパーでOMさんに会った。
ご主人と一緒に買い物をしているところだった。

「最近知り合い(叔母?)のお見舞いに毎週行ってるの。」と言う。
前からカラオケに一緒に行く約束をしていたけれど、それで半日終っちゃうでしょ、疲れちゃって連絡できなかった、と言う。
「sakeさん、お父さんのお見舞い毎週行ってて大変でしょ。」等と言う。

「私は車ですからね、ちょいっと行けるんです。」と言いながら、電車とバスだったら同じように半日掛かってただろう、毎週はちょっとしんどいかもしれない、と考えた。
迷ったけれど車買ってよかった。これもちょっぴり親孝行だったのかも。。。

ご夫婦で買い物しているOMさんを見送った。


見送りながらたぶん私の「ひとりぼっち」は誰と居ても何をしてももう埋められないだろう、と悟った。

若い頃は自分が求めているモノを相手も求めていると思い込んでいた。
今は必ずしもそうでないと分かっているから、自分が居心地が良ければ誰かを無理させているような気がしてしまう。

誰かに合わせて生きるには年を取り過ぎているような気がして。



今日の朝は昔のMDを掛けてみた。

掛かったのは中島美嘉のアメージンググレースだ。
最初に聴いた時はサラっと聴いてしまったけど、いいね。

これは何のアルバムだったんだろう?
もうふっとんでしまったデータのものだから・・と中島美嘉のHPを見てみたら、今度の新曲は中島みゆきが作った曲だとか。

わっ^^すごい楽しみ!
ゼッタイ覚えて歌うんだ。

私は歌で何でも味わえるの。
それも特技の一つでないかい?

中島美嘉の「BEST」は人気ありすぎでレンタル屋でないと無理みたい。

5月の寒さ

2013-05-08 | 日記
夕方、何て寒いんだろう!

もうGWも終ってさすがにコタツも片付けた。
なのにこの寒さだ。

真冬並みの寒さではないのだろう。
だけど寒い。
朝は天気が良かったので思いっきり首の周りが開いてるシャツを選んでしまった。
余計に寒い。

そこでハタと考える。
こんな寒さでも、これが1月2月だったら「ありがたい気温」だったはず。
いつもが暖かかったから寒く感じるのだ。

これと同じ事が人生一般でも言えるのではなかろうか。
私は好きな人と結婚できて養ってもらえるだけでシアワセなことだと思うけど(これ1月の寒さのつもり)、いつもその状態だとちょっとのことで愚痴も出るだろう。

同じように当たり前のように会社に行って給料をもらえることに感謝しよう。
5月の暖かさを思う存分感じよう。
と思うと、昼時に誰かを怒鳴り飛ばしている社長の電話もちょっと緊張しながらも微笑ましく思うのだった。

失くした時に大切なものに気づくのは遅いから、今のうちに感じ取っておこう。


ゴールデンウィークの最中、あまりにヒマすぎて余計なことを考えた。
kekeはいったいいつまでこんな風に午前中仕事をしてグータラ(本人は必ずしもそうは思っていないのだろうが。)しているのだろうと考えた。

いったいいつ言おう。
でも、言ってもろくなことにはならないのだろうか。
おそらく言った所で何も変わらないのだろうか。


でもささやかな幸せもある。
誰かとこうして一つ屋根の下で暮らせることは今だけかもしれないのだ。

本を読むと「30代40代は友達がいなくても済みますが、50代60代になるとそうはいきません」みたいなことが書いてある。50代60代になると友達が必要になります。だから今からタネをまいておきましょう、なんて書いてある。

私はその文面を幾つかで目撃したので、たぶんそれが真実なのではないか?と思う。
思うが、自分の50代60代のために今さらしらじらしく「友達づきあい」を申し込むのも失礼なような気がする。
なので私はこのまま孤独に老後に突き進む予定である。

ほんとにあちこちで囁かれたとおり、私は淋しく1人ではいられなくなるのだろうか。
これはささやかな実験である。

今の私はkekeがしっかり自立するためなら、1人で暮らすことなんて屁のカッパだと思っている。
私には1人でもできる、やりたいことがまだまだあるのだ。
さぁ、10年後の私よ、挑んで来い。

小林麻美「GLAY」

2013-05-07 | 歌謡曲・カラオケ
今、借りているCDの一つが小林麻美の「GLAY」だ。

ヒットした「雨音はショパンの調べ」の次(のような気がする)に出したシングル「哀しみのスパイ」は父がとても気に入っていて、カラオケで歌っていた。
おそらく「雨音は-」のヒットで目をつけていて次のシングルが出た時早速覚えることにしたのだろう。(そういうパターンわりとあった。)

父が女性歌手の歌を歌うことは珍しく、私の記憶によればうんと昔の都はるみ「北の宿から」、高橋真梨子の「桃色吐息」、小林麻美の「哀しみのスパイ」、それから鈴木聖美の「TAXI」ぐらいである。
とにかく父はカラオケテープまで購入し、熱心にこの歌を練習していた。

それで私も「哀しみのスパイ」を歌うようになり、彼女のアルバムも借りるようになったのである。
と言ってもそれ以前のアルバムまでは聞かず、この辺りからたしか3枚ぐらい聴いていたと思うのだけど。

ワクワクしながらCDを掛けてみるが、全然懐かしくない。
あれ?このアルバムは聴いていなかったのか・・・と思った時に♪かかと踏んだエスパドリュー~と言う歌詞が流れてきた。

やっぱりコレ聴いてたよ。(このフレーズだけ覚えていた。)
私、これを聴いてエスパドリュって何?と思って、かかとがないつっかけみたいなサンダルと知って、早速買いました。今のkekeぐらい21とか22の頃だったのではないかと思う。

小林麻美はユーミンと仲が良くて、この曲もほとんどがユーミンの作詞・作曲(全部ではない)である。そしてこのアルバムの解説を林真理子が書いているという、当時の女っ気ムンムンのアルバムなのだ。
今聴くといかにもユーミンと言う節回し、ユーミンの声だったらこんな感じなんだろうな、と思いつつ、小林麻美のあのけだるさ、大人っぽさ、刹那さがよく出ていて、ユーミンってすごいなぁと思う。

他のアルバムでユーミンの「TYPHOON」と言う曲も歌ってて、ユーミンがその後自分のアルバムでリメイクするのですが、改めて聴くといい曲だ。

私は小林麻美とか今井美樹とか、カラオケっぽくないけどこの手の曲も好きで、30代は小林麻美のようになる予定だったのだ、全然キャラ違うけど、アハハハ。(^o^)
小林麻美ちゃん、ちなみにこのあと出産します。たしかkekeと同じ頃だと思う。
男の子か女の子かは知らないけど・・・だからもう社会人になるんでしょうねぇ。
相手は事務所の社長さんかなんかそんな人だったと思うけど。
きっととても愛されていたんでしょうねぇ。このアルバムでそれを感じます。

どうしているのかなー・・

父のお茶

2013-05-06 | 父の記録と母の思い出
父の所に行くと、今日も目を閉じたり開けたりしている。
たまたまお茶の時間で、介護士さんがスプーンでお茶を飲ませていた。(こぼれないようにトロミがついている。)

私がスプーンで食事をあげても、なかなかかみ終わらない。そのうち口も開かなくなってしまうので、何となく昼食時に向うのが億劫になっていたのだ。お茶ぐらいなら大丈夫かもと思って、代わりましょうかと声を掛けた。

隣にいるのは最近ここに入ってきたおばあさんで、先ほど家族が面会に来て帰ったばかり。
追う様に後をついて行こうとしていたが、介護士さんに笑顔で止められたところ。
「年を取ると子供に戻る」と母は祖母の事を言っていたが、親の姿が見えなくなると淋しがる園児のようだった。

でもまもなくそれも忘れて「犬のおまわりさん」を何度も繰り返し口ずさんだ。
フロアを見ると、お茶をねだってうるさいばあさん、歩き回るおじいさん、ぼーっと座ってる人などなど・・たしかに子供に返るのかもしれない。

ってことは、私は今この辺りで一番心身ともに充実している時なのだろうか、多少物忘れはひどくなりつつあるが。。。良い薬が開発されてどんどん人間の寿命が延びていくのは素晴らしいが、必ずしもそれが幸福なのかどうか。。

隣で犬のおまわりさんと歌う老人がいるのに、父は微動だにしない。
もう鼻歌を歌うことも考えられなくなってしまった。昔好きだった歌ももう聴こえたとしても、一緒に口ずさむ体力も喜ぶ気力もないように思う。

それでもウォークマン、まだ父の好きな裕次郎と加山雄三は残しておこう。
もしかしたら聴く時もあるかもしれないから。


立原えりかさんの「愛する」には人魚姫が一番好きだと書いてあった。
愛する人に会うために2本の足にしてもらう代わりに声を失くしてしまって、好きだった王子様は他の人と結婚してしまって、王子様の命を奪えば元の世界に戻れるけれど、海の泡になることを選んだというお話。

「それでも(海の泡を選ぶ)人魚姫が好きなのです。まだ愛の結末を見ていないからです」(返してしまったので原文どおりではないけどこんな感じ)みたいな文章があったっけ。

愛のおわりってなんだろう、と考えてしまう。
そんじょそこらの気持の冷め方と一緒にしたくないような気がする。

「愛する恋人や夫がこのような状態になっても気持は変わらないものなのだろうか」とまじまじ父の顔を見る。これが旦那だったらずっとそばにいて付き添えるものなのだろうか。
それとも共に過した長い年月が、それを可能にするのかな。

その答えを私は知ることがないだろうから
「きっと愛する人だったら、病む日もそばにいてずっと付き添えるものなんだわ」
と勝手に夢見ることにしよう。
そう思ってあの世に行けるのも、また幸せなような気がする。


お茶はのどごしが良かったのかパクパク父は食べた。
「最近車椅子に戻ってから、また食事も進むようになりましたよ」と介護士さんは言う。
また昼食時に来てみようかな。

懐メロに燃え尽きる

2013-05-05 | 歌謡曲・カラオケ
毎週のようにCDを借りていたら、ウォークマンがいっぱいになってしまった。

ウォークマンの容量がいっぱいになるなんて考えたこともなかった。
一番容量が小さいもの充分だと思っていたのに、もう満杯になってしまったとは。
もうちょっと容量の大きいのにしておかなかったのが悔やまれる。

そして、私は借りたいCDがまだあるのだ。このまま終らせるわけにはいかない。

今は20代の思い出の旅(音楽上でですが)の途中で、現在、中原めいこはあと2枚ぐらい残して制覇、それから荻野目チャンは昔聴いていたアルバム借りてみたけど、もう少し借りてみたい。

ベストアルバムは、高田みづえ、岩崎宏美、河合奈保子、南野陽子、山口百恵、原田知世。←借りた
太田裕美の「ガラスの世代」と「恋人達の100の偽り」が入ってるやつを探しているところ。

中山美穂もコレクションの1~3までやっとそろえたんだ。(^o^)ノ
私が知ってる曲はほとんど1に入ってたんだけどね。←これがなかなか無くって。
キョンキョンもドカッと入ってるベストアルバムを探してるんだけど、どこに行っても貸出中なので今様子を伺っているところ。

あとはユーミンだね。
ユーミンは昭和時代のはみんな聴いているので、これから少しづつ借りていく予定。
それから久保田早紀も借りたいし、ベストアルバムだと工藤静香ははずせないし、高橋真梨子も聴きたい

それから3年前にふっとんでしまったBoAの昔のアルバム、倖田來未、Every Little Thing辺り・・・と思っているうちに、もうウォークマンがいっぱいになってしまうとは。

聖子ちゃんだって、まだベストアルバムしか借りてないのに。杏里もまだだし、ピンクレディーやキャンディーズだってこれから借りるつもりなのだ。それから薬師丸ひろこ。


ここまで来て、いったい自分は若かりし頃何をしてたのだろう?と思ってしまう。
映画もドラマもほとんど見ず、スポーツ類は一切やらず、その時間を歌ばかり聴いていたのだろうか。
それもかなり範囲が限定されており、そこから外れたものはほとんど知らないと言う。。。

アキバ(ほんとはエーケイビーって読むんだったっけ)のCDを買い集めている男子はこう言う気持でCDを集めているのだろうか、などと分けの分からないことを考えながら、kekeは夜「飲み会がある」と言ってすれ違いに家を出て行った。


私は早めに風呂に入り、サラダとチーズをつまみながら、冷蔵庫に残ってるベーコン、玉ねぎ、じゃがいも、しいたけを小麦粉と牛乳でのばしてグラタンを作った。
それを一人焼きながら、CDにスイッチを入れて好きな曲をダダダダダと流し、ビール缶をプシュとあけて一人カンパイ、聴いたり、口パクで歌ってみたり(隣の住人に聴こえるのが怖いので口パクだ)、ひとり懐メロに酔いしれる。

これが私のGW。
名づけて1人スナック。懐メロに燃え尽きる夜だ。

好きな曲を選んでは次々連射。これだけでスッキリ。また来週からがんばれる。
なんて安上がりな女なんだろう。
自画自賛。

自由

2013-05-04 | 母子家庭だから思うこと
何日か前に夕飯を食べながらTVを見た。
さんまの「ホンマでっか?!」と言う番組だと思う。

ダメ父親診断と言うのをやっていて「私もダメ親診断にひっかかりそうだね」と言いながら笑ってみせた。
kekeは「アンタはひとり親だからこれには該当しない」と言い、「だけどひとり親になったのは間違いだ」とまた言った。


初恋の先輩の話を思い出した。
ずっと放っておかれて他の女と歩いている男なんて、文句の一つぐらい言ってもよかったのに。
いや、なんでその前にキライにならなかったかしら。

それに比べて元旦那や息子にはどうだったんだろう。
いつからこうしてほしい、こうしてくれ、というようになったんだろう。

それをいつから愛情だと勘違いするようになったのだろう。


「こうしてくれればいいのに」と言いたくなる手をグッと止める。
これからは自分の意思で選んだことに責任を取るためだ。
相手は自分の意思で自分の人生を生きているんだし、自分の人生は自分の手の中にある。

そんな腹の括り方をすると、昔の事を思い出す。
そうでなかった自分を思い出して、kekeに何を言われても今は返す言葉が無い。


親子関係だけは切れるものではないし、これからずっと続いていく。

kekeもこれから自分なりに成長して、もしかしたら「絶対にひとり親にはしない」と誓う日もあるかもしれない。
そして、その完璧であるはずの人生が崩れてしまうこともあるだろう。

「完璧」なんてものが無いことに気がつく日もたぶんくるだろう。

その時もしかしたら、思い出すかもしれない。
私に向って「ひとり親なんて間違っている」と言った自分を。
そして、「そうかもしれないねぇ」なんて答えた私のことも。

sakeの初恋

2013-05-03 | 女だから思ったこと
昔聴いた音楽や、本を読んでいるうちに昔のことを思い出した。
そう言えば初めてつきあった先輩がいたんだった。
誘われて何回か一緒に出かけた。

「キミの作ったお弁当が食べたい」と言われて私は戸惑った。料理のリの字も無かった頃だ。
しかも当時の自分は超好き嫌いがあったので、作るどころか自分が食べれるモノを選ぶだけでも一苦労の時代である。
その上、母親には自分のプライベートを超秘密にしていた。
とにかくデリカシーが欠落している人だった(当時の回想)ので、男とデートとか言ったら近所中にしゃべるかもしれない底知れぬパワーを秘めていたのだ。

コソコソ母の居ない隙を狙いつつ本を見ながら作ってみたのは「ロールパンのサンドイッチ」だった。
片方は何を挟んだか忘れたが、もう片方は覚えている。リンゴのスライスとピーナッツバターをはさんだのである。(意外においしかった)
なんせ母親の居ない隙に初めて作るのだから大変である。それでもどさくさにまぎれて挟んで持っていった。
こうしてしょぼいロールパンが幾つか並んだ弁当ができあがった。

私は彼が好きで、出かけるのを楽しみにしていたのにも関わらず、その一方でとてもしんどい思いをしていた。
それは車酔いが激しかったからである。
我が家は父も妹も車関係の仕事をしていたし、母も当時の人にしては珍しく運転大好きな人だった。そんな訳で出かけるのは常に車であったが、私は車酔いがハンパなかったのである。
(そんな私がその30年後今度は運転席に座って、視界が180度開けるとは誰が予想していただろう。)

それで私は車に酔うか、寝てごまかすかしかなかった。
この弁当にこの有様。


こうして何回か一緒に出かけた後、その先輩は卒業して社会人になった。
もう連絡ナシに会うことはできなかった。

私はもしかしたら連絡が来るのでは、と思ってずっと待った。
1ヶ月、2ヶ月と時間は経っていった。
1度ぐらい思い切って電話をしたことがあったかもしれない。
当時は携帯がないので、家に電話するしかなかったのだ。
仕事で家に帰るのは毎晩夜中ですよと言われた。そして2度も3度も電話する勇気はなかった。

そんな時にクラスメートのI君に告白された。
「他に好きな人がいるから」と断わった。
好きな人がいるのに他の誰かとつきあうなんて考えられなかったから。


やがて私はある噂を耳にする。
その彼が女の人と歩いているのを見かけた、と言う噂である。
心ならずともシュンとなった。
でもその時キライにもならなかったし恨みもしなかった。
車酔いはひどいし、弁当はろくなものも作れない自分では仕方が無いと思ったのだ。
そもそも私たちって付き合っているうちに入っていたのだろうか。彼は私が好きだったのだろうか。


そしてK先輩と言う人から告白された。
もうフリーだし断わる理由がなかったから、付き合うことにした。
おおぴらに付き合った。授業も取れるものは合わせたし、学校でも一緒にいることが多かった。

そんな頃もう忘れていたはずの彼から連絡がきた。
私はのこのこと約束の場所に行った。
何時間か過して、帰り際彼はひと気の無い所に連れ出そうとした時、私はそれを断わった。

彼はとても悲しそうな顔をして「Kと付き合っていることを聞いていたんだよ。だから連絡できなかった。」と言った。
それではまるで私がフッたみたいだ。

いいえ、そんなはずはない。
私はずっと待っていたのに。

でも何も言えなかった。
公然と付き合っているK先輩を裏切ることはありえなかった。

「だから連絡できなかった」と言うのは、優しいウソにちがいない。
きっと私がフッたことにしてくれたのだろうと考えた。
そして、私達は礼儀正しくサヨナラをして、それから二度と会う機会はなかった。


ある日付き合っているK先輩が言った。
「前にIに好きな人がいるって言ったでしょ」と言って、「Iはsakeちゃんの好きなのは俺だって言うんだよ。」
それを聞いて告白したんだ、と言う。

愕然とした。
それじゃ待って、どこかのボタンが一つ違ってたらここでこうしていることもなかったの?


私はたまに彼の住んでいた街を通り過ぎて、思い出す。
もしかしたら幾つかの恋の中で唯一きれいに思い出せるのが、これだったような気がして。

おでこのかぶれの続き

2013-05-02 | 健康とか病院とか
今日はろくなネタしか思い浮かばないので、以前書いたオデコのかぶれの続報を書こう。


私は暮れからおでこのかぶれに悩まされていた。
正月辺りからいよいよ危機感を感じて一生懸命洗顔料で洗ってみたが、ちっとも良くはならない。

そして年明けから皮膚科に通い、塗り薬と飲み薬をもらうのだが、塗り薬はステロイドなので1週間でやめてくださいと言われた。塗り始めるとみるみる治って来たので言われた通り1週間でやめたら、また復活してしまった。
そして先生も「それではもう一度だけ塗りましょう、1週間徹底的に塗って下さい」みたいに言われたのが、前回2月11日の話ではなかろうか。


そして私は祈るように徹底的に塗った。
会社ではもちろん家でも2~3時間おきに洗面所や会社のトイレに行き綿棒でこしこし塗った。

それを続けること1週間、また劇的にかぶれはおさまっていった。
しかしそれから2週間が過ぎ、祈るように過ごしていたがまたかぶれてきたのである。


私はもう病院に行くのはイヤだった。
それでなくても「ストレスが原因なので飲み薬は2年ぐらい飲みましょう」と言われ、さらに今度はステロイドでないから、塗り薬もしばらく続けることになるだろう、それがどうしても耐えられなかったのである。

そこでネットであちこち検索するとどこかのサイトに「安い洗顔料に含まれる何とか活性剤(みたいな名前)がひどくすることがあるので、それをやめるといいです」みたいな事が書いてあった。


私はダメモトで、その日からおでこには洗顔料を使うのをやめた。水と湯だけで洗うことにしたのだ。
もちろん、おでこにはファンデーションも化粧水・クリームも塗らない。
それから皮膚科でビタミン剤をもらうかわりに、イチゴと玄米フレーク(牛乳をかけたもの)を毎朝食べることにした。
さらに、ナッツ類を毎日食べることにした。(これは更年期によいと言われる大豆イソフラボンをとるため)

そしたら、おでこのかぶれもだんだんと治ったのである。
最初はかぶれがだんだんと収まって、シミみたいなものはなかなか収まらなかったが、今では(時間もそれなりに経っているが)言われればここがそうかなぁぐらいにまでなった。

実はかぶれが一度収まって来た時、別の所もかぶれだしたので、「やっぱりダメかも。。」と思ったけれど、そこも水と湯だけで洗うようにしてたら、だんだんおさまっていった。
未だに習慣でおでこにはファンデーションを塗ってないが、化粧水ぐらいなら大丈夫かもと思ってつけはじめている。

たぶんこの中では洗顔料をやめたのがよかったのではないかと思うのだが。。。
もっともこれはあくまで私の一例でたまたま偶然=参考にはならないかもしれないが、事実なので書いておこう。

「愛する」/立原えりか

2013-05-01 | 読んだ本
私は昔から文章を書くのが好きで、苦にならないのだが、どうしても書けないものがあった。
それは読書感想文だ。

小学生の最初の頃に「この文章の感想を書きましょう」みたいな問題があり、私は素直に感じたことを書いたつもりが、的をはずれていたのだろうか。ペケになって返ってきた。

幼稚園時代いじめまくられていた私は、自分が「普通でない」ことを痛いほど認識していて、小学校時代は「普通の人になる」ことを目指していたので、素直な感想にペケがついたのが、子供心にこたえた。
それは今でも尾を引いており、私はドラマも映画も「普通の人のような感想」を持ててないような気がする。そういうものにリアリティを感じないと言うか、見てはいるけれど、サラサラサラと見ているだけ。

「○○○の場面ではこんな気持ちになりました。」
「最後に主人公が○○○になってよかったと思います。」
     ↑
私が思いつく無難な感想は、せいぜいこの二つ。

これしか感じないのだから、感想文なんて書けるわけがない。一生懸命原稿用紙を埋めてみても「sakeさんのは感想文ではありません。話の要約です。」と書かれて戻って来るありさま。今だったら先生に「上手な感想文の模範」を見せてもらい、そのパターンを念頭に作るかもしれない。しかし当時はそう言うアイデアも浮かばなかった。

とにかく読書感想文は嫌いだった。


なので、高校生のある日「読書感想文」の宿題が出た時にはほんとに困ってしまった。
それに当時は本を読むことがなかったのだ。

しかたなく学校の図書館に行って、できるだけすぐ読める簡単そうな本を探しているうちに、ある一冊の本に出会った。
文字も大きいし、これならすぐ読めるわ、と思って手に取ったのが立原えりかさんの童話だった。

それを読んで、せっせと感想文らしきものを書いている途中で、うかつにも机の上に放置してしまったのを母親にみられてしまい、「あれ、なかなかうまく書けてるね」と言われたのが中学時代だったら顔から火が出るほど恥ずかしかっただろうハズも、高校生だったので、「なんてデリカシーの無い人なんだろう」と軽くケイベツするだけで済んだのを覚えている。

そして気を取り直して続きをせっせと書いて、終了。


それをきっかけに立原えりかさんの本を何冊か借りたように思う。
どの話もピュアで透明で、読み終わると胸がキュンとするのだった。


そんなことを突如思い出して、また図書館で借りてみた。
今度は私も大人になったので、児童本ではなくて一般書にしてみた。

タイトル「愛する」と言う本だ。



けれども、やはりページ数が重く感じられ「ちょっと全部読むのはムリかもしれない」と思って、返却期限もせまった中で1編だけ読もう・・と思って最後の「愛する」と言う短編を読んでみた。
そしてビックリしてしまった。

この本は童話ではなくて、立原えりかさんのエッセー集(実話)だったのだ。
私はそこから一気に、最初から読み直して全部読んだ。
これはエッセー集なのに、読み終わるとなぜか童話と同じように胸がキュンとする。
あの童話の主人公のピュアな心はまさに立原さんそのもの・・・童話がここにちゃんと生きている。

私はこれからもまた童話を追いかけて行こう。。。
興味ある方はぜひ。
最後の「愛する」の1編を読むだけで、立原さんの魅力が伝わります。^^