津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

肥後入国のお供

2008-12-10 14:41:09 | 歴史
     肥後入国ニ御供之衆
        有吉頼母佐与
          氏家志摩守
          南条左衛門尉
          谷内蔵丞
          槙嶋長吉
        長岡監物与
          細川七左衛門
          嶋又右衛門
          松田五左衛門
          渡辺藤五郎
          一宮善大夫
          沢(津歟)田七郎左衛門
          矢野半十郎
        長岡右馬助与
          三淵内匠頭
          長岡藤十郎
          魚住加助
          黒田次左衛門
          岩崎内蔵丞
          友田源右衛門
          香山与助
          中村左大夫
          小野善兵衛
          河句(匂カ)藤右衛門
          福田吉助
        小笠原備前守与
          志賀左門
          津田三十郎
          木野左兵衛
          久野次郎左衛門
          郡 勘八
          松下掃部
          高橋九左衛門
          菅村和泉守
        長岡勘解由与
          薮図書助
          筑紫左近
          国友儀左衛門
          矢野甚兵衛
          安藤弥次右衛門
          山田久丞
          八木田丹右衛門
        志水伯耆守与
          谷主膳正
          中津海三右衛門
          魚住藤三郎
          弓削太右衛門
          藤左太郎
          桜井五兵衛
          山路太左衛門
          可児次太右衛門
          財津善内兵衛
          財津市兵衛
        清田石見守与
          松野右京
          薮 市正
          松野長蔵
          牧善太郎
          沢村九兵衛
          服部左太右衛門
          的場平三郎
          松田角左衛門
    已上
   右は今度肥後御入国ニ付、此書付之衆御供ニ可召連之間、被得其意可有御用意通、
   面々御与之衆御かき取候而可被仰渡候、為後日御名之下ニ御判形候而可給候以上
    寛永九年
      十月廿八日             長岡監物 判
                          有吉頼母佐 判
                          長岡佐渡守 判
    追而申候、不及申候へ共、騎馬ニ而之御供之筈ニ候、可被得其意候、已上
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再び神風連

2008-12-10 12:16:24 | 徒然
 又新に神風連のご子孫が判明した。北海道在住のU氏からご先祖様に関する問い合わせを、メールで戴いたのがきっかけである。ちょっと変った名字だから、ひらめくものがあった。神風連の一党の中にその名前があり、U家と繋がった。そして従兄弟二人も神風連の挙に参画していた。そしてそれぞれの死の様子は、涙を禁じえないものである。

 私は現在神風連のご子孫を数名、当サイトを通じて知り合いご厚誼を戴いている。今回を含め三家のお宅がまったくそのことをご存じなかった。当然のことながら当事者は自らの命を絶たれたわけで、近親の方が家を継がれている。弟であることが多いが、この事件は語られることなく、現在に至ったのだろう。当時の遺族の立場が思いやられる。そしてこれらの事が判明した今日、それぞれのお宅が先祖への想いを深くされているのである。

 四代ほど遡ると、我が家の歴史を御存知ないお宅が沢山有ることを、私は当サイトへのお問い合わせで承知している。手前味噌で恐縮だが、「新・肥後細川藩侍帳」で先祖の名前を見つけ、お問い合わせいただくことが多々ある。喜ばれるご様子をこの身に感じて、「だから止められない」と思うのである。関係資料をお送りすべく準備中である。
コメント (4)
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 忠利の感想

2008-12-10 08:59:31 | 歴史
 肥後入国の翌日12/10、忠利は江戸の六(光尚)に対して、肥後入国の感想を書き送っている。

   我々事十二月九日ニ熊本江入城申候、可心安候、事外ひろき国にて候、
   城も江戸之外にはこれほとひろき見不申候(以下略)


 簡便にして明快な文章だが、忠利の喜びが伺える。


 さて今日の熊本日々新聞の「言葉のゆりかご」には、昨日当ブログでご紹介したものとまったく同様の記事が紹介されている。合わせてお読みいただきたい。
又、忠利の行動についての司馬遼太郎氏の、「この忠利の所作も、おそらく三齋忠興の助言によるものだろう」という見解には私は同意しえない。
忠利の深い想いがとらせた行動に他ならないと私は思っている。
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