津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

正保年中諸「覚」-- 2/1

2008-12-01 17:08:45 | memo
 荒木左助儀當年拾五ニ成由候間去年如申渡候親助左衛門知行
 三百石當所務より可遣之者也
    正保弐年十月十八日 御印
                  奉行中     
                  惣郡奉行中

 荒木助左衛門:荒木高則の子太郎助、十三歳にて田辺城籠城・後助左衛門
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 稲津九十郎儀當年十五ニ成候間去年如申渡候親九郎兵衛知行
 之内弐百石當所務より可遣之者也
    正保弐年十月十八日 御印
                  奉行中     
                  惣郡奉行中

 稲津九郎兵衛:日向シハス崎居城、伊藤家立退き、慶長十年加藤清正に仕え五十人扶持・現米500石、
その後加増す都合1000石余、忠広改易後寛永九年細川忠利に仕え1000石鉄炮頭、正保元年九月致仕

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
                病死仕御侍衆妻子付

                 七月二日ニ病死仕
■知行百五十石           三宅勘十郎
 勘十郎儀久敷者ニ而候へともせかれかたわ者にて候ハゝ跡を可遣様無之候間上知ニ可仕候 されとも當年ハ
  妻子共ニいつものことく扶持方を可遣也 御印

                     右之女房
                     せかれ壱人
  右之せかれ當年歳十六ニ罷成もうもくニ而御座候
 この時期身障者に対する状況は過酷である

                 八月廿三日ニ病死仕
■五十人扶持            三池左兵衛
                     右之女房
 未御目見不仕           三池小膳
 三池氏一族だと考えられるが、同氏系図に左兵衛なる人の名前は見えない。

                 八月廿八日ニ病死仕
■知行百石             岩間清次
 清次儀久敷者ニ候せかれ清太夫ニ清次知行并家屋敷無相違可遣候也 御印
                    右之女房
                 当年歳廿四ニ罷成候
 御目見仕             岩間清太夫
                    むすめ壱人

                 九月八日ニ病死仕候
■知行弐百七拾石          沖津宗也
 宗也知行上知ニ仕妻子ニ当年者扶持方如定ニ可仕候也 御印
                     右之女房
 知行三百五拾石          沖津作太夫
                 当年歳十七
                     沖津八助
 右八助かたわものニ而御座候故御目見も不仕候由
                     むすめ一人
 作太夫は宗也三男、二男弥五右衛門は嫡家を継ぎ後細川三齋に殉死

                 十月十四日ニ病死
■知行百五十石           住江八左衛門
 八右衛門儀親以来久敷者ニ候間せかれ甚太郎ニ親知行并家屋敷無相違可遣候也 御印
                     右之女房
                 当年歳十六ニ罷成候
 御目見仕候             住江甚太郎
                 当年歳八ッ
                     住江左太郎
                 当年生れ申候       
                     男子壱人
                     むすめ弐人

  以上
 正保弐年十月ニ十日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

正保年中諸「覚」-- 1

2008-12-01 08:58:24 | memo
           病死仕衆

             二月十一日病死仕衆
■知行三百石        相場彌左衛門
                右之女房
           彌左衛門嫡子歳拾六
 御目見仕候        相場左太郎
           同人二男歳三ッ
                相場辰之助

             三月晦日ニ病死仕候
■知行百五十石      野瀬儀左衛門
           儀左衛門嫡子歳拾弐
                野瀬八十郎
  八十郎儀十五ニおい立之様子も見申候而跡職可申付候条當暮當前之ふちかた
  八月より遣シ其外ニ米五石完遣可置候親屋敷ニ居可申候 御印

           同人二男歳三ッ
                野瀬甚三郎
                むすめ一人

             三月四日ニ病死仕候
■知行弐百石       飯田何右衛門
           何右衛門嫡子歳四十弐
 御目見仕候        飯田源兵衛
 知行・家屋敷源兵衛ニ遣候也 御印
 知行百五十石      飯田安兵衛
 同百五十石        飯田勘五郎
 五人扶持方被下     飯田次郎七
 五人扶持方被下     飯田七兵衛
 五人扶持方被下     飯田小十郎
                むすめ壱人

             五月廿日病死仕候
■知行弐百石       安東弥次右衛門
             弥次右衛門嫡子歳廿十(ママ)一
 御目見仕候       安東山三郎
             二男歳十五 
                安東小平太
 知行・家屋敷山三郎ニ同人遣也候(ママ) 御印

             閏五月十一日ニ病死仕候
■知行六百石       吉住半右衛門
             右之女房
 御目見仕候       吉住傳右衛門
 半右衛門知行・家屋敷無相違傳右衛門ニ遣候也 御印
 知行百五十石      吉住七太夫
                むすめ弐人

             五月二日京ニ而病死仕候
■知行千五百石     井上与右衛門
             与右衛門嫡子
 同弐百石        井上半兵衛
             同人二男
               井上市兵衛

  以上
 右之通御次而之刻可被達 御耳候以上
      正保弐年
        閏五月廿一日     堀江勘兵衛 印
                     奥田権左衛門 印
                     西郡要人 印
         林外記殿

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする