津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

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2008-12-24 14:19:56 | 歴史
 慶安元年十二月の末家臣下村五兵衛は、幕臣曽我丹波守の内意を得て国許の家老宛てに、急々に小早(舟)を仕立てて以下の書状を送っている。

        一筆致啓上候、今朝曽我丹波様江私を御呼被成、
        被仰候ハ、異国より巻物其外商物差越、此物売払
        申候代金二て兵粮日本ニ而買調申度由申候ニ付、
        為 上意被 仰出候ハ、何程ニ而も買調可申旨、
        上意二而御座候由、井上筑後様より丹波様江被仰
        進候、左候ハゝ九州之米之直段過分ニ上り可申と
        思召候、大阪之直段も同前ニ上り可申候間、 殿
        様御米むさと払申間敷之旨、被 仰付候間、則其
        趣仁保太兵衛・志賀少兵衛両人江も具ニ申渡候、
        両人被申候も右之様子各様へ御注進早々申上可然
        由被申候ニ付、態御小早下し申候、恐惶謹言
          十二月廿一日      下村五兵衛

 曽我丹波とは、丹波守又左衛門古祐(ひさすけ)で、寛永11年から万治元年まで大阪西町奉行を勤めている。細川家とは大変親しく、このような大事な情報がもたらされるのである。米の値段に影響するとされる異国船による米の買い付けとは、どのような量であったのだろうか。相場の動きに神経をそばだたせる有様は、いつの時代も共通したものであるようだ。
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晩酌は「越後のお酒」

2008-12-24 12:06:48 | 徒然
 ここ数日、越後のお酒を飲んでいる。「越後杜氏・細川忠清」の文字が目に入ってのことだ。(細川フアンも徹底するとこういうことになる)やはり冬之晩酌は「お酒」がいい。辛口派の私には少し甘いのが気に成るが、一方どれだけでもいけるという感じだ。もう二十年程前、友人から五個セットのガラスのぐい飲みを頂戴した。五個それぞれ形や作り、色合いが違っていて毎日日替わりで楽しんでいる。中で二日ほど肝休日を入れると、ちょうど一週間で一回りという具合だ。我が家の家系は酒が原因の病気でこの世にさよならした人が多いので、ちょっとセーブすることも覚えた。今日はクリスマスケーキがやってきそうな気配があり、越後のお酒は一休みと相成る。

 
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