津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

肥後入国「熊本御城の要害其外委細申上候と也」

2008-12-11 18:04:44 | 歴史
 「賤ケ岳七本槍」の一人・平野長泰の甥・平野源太左衛門は加藤清正の配下に在った。加藤清正、福嶋正則らが大名に列せられる中、長泰は不遇をかこっている。長泰の父は平野長治、清原宣賢の孫だとされる。そのような関係であろうか、元和七年長泰は加藤清正家中に在る甥・平野源太左衛門を、細川家に召し出して欲しいと言ってきている。加藤家を慮っての忠利の当惑振りが次の文書である。

   平遠江(平野長泰)より、肥後に居申候おい(平野源太左衛門)、我等ニ抱候様にと被申
   候間、肥後殿構無之候ハヽ、抱可申由約束仕候、此儀にて言上仕候キ、肥後殿構ふか
   く御座候而、同心不参候故、おいの儀は成間敷と被存、其子両人御座候を、我等ニ抱さ
   せ申度由被申越候へ共、宗立(三齋)様へ御かためを、申上候間、成不申由申候へハ、
   又 宗立様へ被申上之由承候、肥後殿事之外構ふかく被申候間、其子抱候ハヽ、肥州満
   足ニハ御座有間敷かと存候間、何とそ御分別を以、遠州へ被仰遣候様ニと、可被申上候事 
         元和七年八月廿八日書状案 (大日本近世史料・細川家史料 8-51)

 召し出しの時期がはっきりしないが、その後源太左衛門は肥後に詳しい者として召し出されている。
   
   加藤清正に仕へたりし平野源太左衛門長九と云者を、肥後案内として豊前ニ被召寄、御知
   行千石被下御鉄炮三拾挺御預ヶ被成、嫡子平野弥五右衛門ニ三百石被下、親之添頭被
   仰付候、熊本御城の要害其外委細源太左衛門申上候と也
                      (綿考輯録巻三十三 忠利公・上p286)

 細川幽齋清原宣賢の孫、平野長泰は父が清原宣賢の孫だという。
 そんな関係であろうか、細川家には平野氏一族が多く召し出されている。

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御行列之次第

2008-12-11 15:04:36 | 歴史
 忠利一行は六日小倉を発っている。肥後にお供をしたいと願うものが多くあったというが、これは堅く止められた。多くの民がお見送りに出、「遠ク出て御駕を送り御別れを惜奉り、啼喚ふ者も多かりしと也」という状態であった。さてその「御行列之次第」は以下の如くである。  (実際は少し変動があっているようだ。末尾に注記する)

      一、大御馬験   二人          貫角右衛門
      一、御昇竿二本 三人          上野角左衛門
      一、になひ廿六荷内 二十二荷外様    三拾弐人
                    四荷   御側       宗像・沖津組
      一、御矢箱壱弐荷  十荷   外様     拾三人
                    二荷  御側        宗像・沖津組
      一、御鉄炮五十挺            井門亀右衛門
      一、御鉄炮五十挺            寺尾左助
      一、御鉄炮五十挺            国友半右衛門
      一、御弓  弐十張            松岡久右衛門
      一、御弓  弐十張            松野七左衛門
      一、御弓  弐十張            黒部吉兵衛
      一、御弓  四十張            神西与三右衛門
      一、金ノ御長柄五十本          吉田平兵衛
      一、御鑰鑓五十本            岡六左衛門
      一、御先ノ御挟箱九ツ拾三人御小人 御奉行 近藤八兵衛・成瀬作兵衛
      一、御薬箱三荷六人御小人           右同断
      一、御しなひ箱 二人御小人           右同断
      一、御蓑箱   二人御小人           右同断 
      一、御小屏風箱二人御小人           右同断
      一、御具足箱二ツ四人御小人     御奉行 益永太兵衛・赤尾茂兵衛
      一、御立物箱  二人御小人           右同断 
      一、御甲物   二人御小人           右同断 
      一、御側筒拾五挺            湯浅角兵衛
      一、御側筒拾五挺            横田権之佐
      一、御側弓拾張              不破角之丞(ィ角兵衛)
      一、御側弓拾張              高見権右衛門 
      一、御半弓百張百人 廿人ハ御昇衆 拾五人ハ矢嶋組 廿人ハ上林組 四拾五人ハ佐藤組
                     御奉行 藤田十左衛門・円田左兵衛・塩津勘兵衛・中嶋五大夫
      一、金ノ十文字廿本廿四人 中山佐次右衛門より出ル人
                     御奉行 山本嘉兵衛・岡文之丞
      一、御持筒拾挺              加々山権左衛門
      一、御さし竿弐本二人路地次之者御飼指不残
      一、唐犬四疋四人   黒鍬之者
      一、はなあか二疋二人 黒鍬之者 此外引替二人合八人
      一、御鷹犬六疋六人肥後より之御長柄之者
      一、生鳥籠 一人 御小人
      一、御鷹
      一、御乗懸馬二疋六人  御中間御奉行 室(ィ真玉)半右衛門
      一、御召馬 五疋拾五人 御中間
      
      一、御召替御乗物 六人        吉谷平大夫・田辺七郎兵衛(ィ七兵衛)
      一、御茶弁当三荷 五人 御小人
      一、御菓子箱    二人 御小人
      一、御からかさ   一人 御かさ持
      一、隼上ケ竿持   一人 肥後より参御長柄之者
      一、御しょうき    一人 御草履取
      一、御ぬり笠    一人  右同
      一、御持筒二挺
      一、歩之御小姓衆
      一、御中小姓衆
      一、御半弓一挺
      一、御かぎ鑓一本 一人御道具衆(ィ御小道具衆)
      一、歩之御小姓衆

     一、御召乗物    拾六人

      一、御長刀二振  二人御小道具衆
      一、ほろ具     一人 右同
      一、御持弓二張  二人 加々山権左衛門組
      一、御掛硯一荷  二人御小人
      一、御挟箱三ツ  五人御小人
      一、御吹矢筒    一人御路次之者
      一、御薬印籠    一人御草履取
      一、御矢立     一人御小人
      一、御長刀三拾振 三十人 御長柄衆外ニ三人方替り
                   田中加兵衛・三輪権内・井上次右衛門(ィ形右衛門) 
        二行右
                  長岡式部少輔・津川四郎右衛門
                  南条左衛門尉・清田石見守
                  道家左近右衛門・明石源左衛門
                  岡部道宇・湯浅五郎兵衛
        二行左 
                  長岡右馬助・長岡監物
                  長岡左膳・氏家志摩守
                  松井宇右衛門・平野九郎右衛門
                  永良長兵衛・阮(沅)西堂

               御児小姓衆
               御詰衆
               御家中又若党小者
               御家中乗替
               御家中鑓
               御家中挟箱
               御家中弓
               御家中鉄炮

      一、御挑灯 七人ハ中山佐次右衛門より渡ス
      一、鳥かけ竿 右御先行列ニ成ル

        押之衆
                  三渕内匠
                  薮  図書

 (井門亀右衛門鉄炮ハ荒木助左衛門召連御先ニ可参旨ニ而、五日ニ小倉罷立、
    南条左衛門尉・三渕内匠・薮図書も同前)
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