ある方からのご依頼で黒瀬市郎助のことについて調べている。いわゆる横井小楠の「士道忘却事件」の発端となる殺傷事件の首謀者である。横井等三名が酒宴を張っているところを数名の刺客に襲われ、江戸留守居役の吉田平之助が大怪我をして後日死去、中小姓頭の都築四郎も傷を負い、横井は敵に立ち向かうことなく刀を取りにこの場を離れ、士道にあるまじき事として非難を受けた。亡くなった吉田平之助の子・己久馬(19歳、後・傳太)は苦労七年に及び、ついに黒瀬市郎助を豊後鶴崎にて敵を討った。
私事で恐縮だが、私の曽祖父(穿鑿役)がその顛末を「吉田傳太復仇現聞禄」として書き残しており、これが大変役に立った。(吉田傳太復仇一件聞取書というものもある)
この事件は横井の「士道忘却事件」としてクローズアップされるが、事件による処分や、傳太ら一族の苦労がかき消されている。この「吉田傳太復仇現聞禄」をご紹介しようと、タイピングに懸かったが、カナ使い文であるため大変苦労している。近々UPしたいと努力中である。