津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

永青文庫叢書 細川家文書 絵図・地図・指図編Ⅰ

2011-04-08 13:54:14 | 書籍・読書

 熊本大学の永青文庫研究センター編の、「永青文庫叢書 細川家文書 絵図・地図・指図編Ⅰ」が発売された。
             http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b81815.html

【中・近世屈指の大名家に伝来する最大級の資料群 細川家の政治活動と伝統文化を知る待望の第二冊!】
        25,000円+税 といささか高価であるが、是非とも手元におきたい書籍である。

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吉田傳太復仇現聞録(2)

2011-04-08 08:29:50 | 歴史

堤即夜登上ス 安田外長土ノ浪士ノ数名ト同行昼夜兼行東京ニ着シ日夜横井ノ動静ヲ窺フ時ニ黒瀬市郎助 外様足軽東京留守居ノ書記吉田平之助付属也 モ同ク尊皇攘夷ノ志ヲ有スル同志ノ者也 故ニ黒瀬■前ノ横井ヲ初メ吉田・都筑(築)ノ者共或夜酒楼ニ登リ愉快ヲ尽ス事我既ニ探知スト此事ヲ堤ニ密告ス 堤聞テ時至レリト歓躍シ彼日ヲ待テ三名ト共ニ彼ノ酒楼ニ駆ケ来リ前陳ノ通リ退散シタリト初ヨリ都築吉田ハ殺害スル存念ハナカリシモ横井上座ニ連席スルガ為メニ如斯次第ニ立至リタリト 時ニ戸外ニ應援ニ来リ居タル長土ノ同浪士等堤等ノ出来タルヲ見テ事遂ケタルヤ如何ト尋ネタルニ堤云フ余過テリ残念ニモ横井ハ足早クモ逃去リト 長土人云今前キニ手拭ヲ肩ニ掛ケ手ヲ下ケ腰ヲ屈メ声低メ御免下ダサイト云テ通リ行キシハ真ノ町人ト思イシニ彼者ガ横井ナルカ僕等早クモ横井ナル事ヲ覚ラバ逃サシモノヲ彼等ガ運命未タ盡ズト云 堤ハ横井ヲ討洩シタル事悔恨シ安田・黒瀬ニ向テ云フニ余何ノ面目アリテ再ビ長土の同志者ヲ見ンヤ 従是西京南禅寺山中ニ赴キ割腹シ死謝セント 安田・黒瀬ノ両人君死セハ倶ニ死ヲ同セント 堤ハ両人ヲ止メテ君等必後日大志ヲ遂ケヨトテ堤又云我自謂フニ横井ハ実ニ国賊ト云ト雖モ世禄ノ士也吉田モ亦同シ 我卑賤ノ身分ヲ以テ不憚上殺害ニ及ビタル其罪亦軽カラザルナリ 今也上(カミ)ニ 上トハ正四位様詔邦公ナリ 上京南禅寺ニ在陣マシマス同所ニ赴キ遥拝萬謝屠腹セハ罪少シク補フ處アラント云 訣別シテ厺リ馳セ行キテ同寺中観音堂ニ至リ辞世一首ヲ詠遥ニ君公ヲ三拝九拝シ畢テ従容刀ヲ抜キテ咽ヲ刺ス 殊エズ堂上ヨリ土上ニ転落シ流血淋■ニ溢レ惣身血ニ塗ミレ倒レ居タルヲ南禅寺在陣番士隊ノ家僕等ガ山中ニ採薪ノ路上ニ此形況ヲ見テ驚愕シ帰リテ蕃士等ニ告グ 皆疾歩シテ往テ之ヲ見レバ現ニ家僕ノ告ク如ク満身血ニ浸リ顔色容貌異形立テ正視スル能ハズト 後長州ノ人来リ見テ同所ニ埋葬スト 故ニ人ト評シ云前日屠腹シタル者ハ長藩ノ人士ナラント然ルニ後考ルニ堤ノ横井ヲ殺害スル時應接ニ来リシ長州人某ガ堤ガ自裁シタル事ヲ聞テ来リ見シニ果シテ言フ処ニ違ハザルヲ憐ミ感シテ斯ク埋葬シタルト 必ヤ然ラン 今ヤ安田・黒瀬ノ両人ノ居処ヲ知ラズト云 穿鑿役具ニ健太郎ノ申出タル始末趣ニ聞取リ之ヲ政府ニ達ス 政府ヨリモ又傳太ニ内報ス 此ニ至リテ初テ吉田傳太モ父ノ讐ハ全ク安田・黒瀬両人タル事ヲ確知シ益以テ切歯扼腕一日モ早ク復仇シ本望ヲ遂ケント八方探索セシモ時運未到来セズ徒ニ怨ヲ含テ空ク光陰ヲ送ル 数年時ニ慶應戊辰ノ年余護美公ニ扈従シ上京シ外交兼務ヲ被命益田勇外交生ナリ 勇或日大坂旅舎ニ於テ松藩士某ト出會時事ヲ談ス 某ハ本日本国ニ帰ント別ヲ告グ 将ニ■ヲ觧キ大阪川口ヲ出帆セントスルニ偶風雨■ニ起テ抜錨スル能ハズト 再ビ上陸シ来リ益田ニ向イ突然問テ云ニ頓斗尋ヌル事忘レタリ時ニ尊藩ニ安田善助・黒瀬市郎助ト称スル人アリヤ否ヤト 益田アリト云其故如何ト某云フ 両人ノ幣藩ニ滞在スル事数年ナリ時々両人ノ得色ノ英談ニハ僕等客年東京ニ於テ因循ノ留守居等ヲ斬殺シタル事アリ一面来数年ヲ經ルモ人其事ヲ知ラズト真ニ此事アリタルヤ 益(田)答テ云実ニ此事アリ當時留守居ハ吉田平之助ト云長男吉田傳太復仇ノ為メニ千辛萬苦焦思此万心探索スルトモ未タ讐敵ノ姓名ヲ聞テ其ノ■(モノ)ノ居ル処ヲ聞知セズト 事ノ始末ヲ詳陳シ畢テ益田■事ノ他ニ洩露ナカラン事ヲ固ク倚頼ス 某モ始終ヲ聞テ唯諾シテ帰藩ス 益田其事ヲ政府ニ内達シ又吉田ニ密報ス 傳太之ヲ聞テ雀躍限リナク数年ノ大望漸ク今日ニ達スト 直ニ若黨ノ辰之助ヲ連レ松山藩ニ赴ク 同藩ハ官軍ニ抗敵シタルニ付偶本日開城ノ日ニ當り藩内騒擾セリ 然共某違約セズ黒瀬ヲ放逸セズ乗船セシメ将ニ鶴崎ニ送付セントスル船中ニ逢フト時ニ安田ハ前ノ日病死セリト 黒瀬ノ一人ヲ陰ニ請取リ連レ来リテ鶴崎町龍興寺ニ伴ヒ出ン 吉田傳太進ミ出テ黒瀬ニ向イ姓名ヲ述テ貴様黒瀬市郎助ハ正シク實父吉田平之助ノ讐敵也 直ニ勝負ヲ決セント云 黒瀬臆シテ姓名ヲ云ズ 偶鶴崎詰ノ郡代瀬戸熊助ハ其場ニ出役セシニ黒瀬ガ臆シテ名乗出ザルヲ見テ瀬戸黒瀬ニ向イ今更ニ瀬戸見知ザルヤト云 黒瀬俛首シテ答ザリシガ暫時ニシテ姓名ヲ述ブ 吉田尚進ミテ黒瀬ニ向イ然ハ勝負ヲ決セント云テ終ニ斬之 嘗テ黒瀬ハ瀬戸熊助物頭ヲ勤居タル時ノ隊下ナルヲ以テ如此叱言セシナリト 故ニ黒瀬其言ニ服セリト 于時慶應戊辰ノ年二月ノ三日也 主此都合七ケ年間星霜ヲ踏テ漸ク本望ヲ達シ首級ヲ亡父吉田平之助ノ墳前ニ供シ墳霊ヲ慰安セシメタリ 人皆之ヲ快トセザルハナシ 尋テ従政府傳太ノ復仇ヲ遂ケタルヲ以テ家禄如元恩下シ賜リト也 誠ニ天道(網)快々疎ニシテ漏サズトハ此謂也
      于時明治三拾年三月四日          ■■安正記ス
 

                              (了) 

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