津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

史料散策 CiNii 田代孫三郎「肥後遊覧覚書」について : 幕末佐賀藩士の肥後見聞録

2012-07-17 14:00:23 | 史料

久しぶりにCiNiiで史料散策、串間聖剛氏の論考 田代孫三郎「肥後遊覧覚書」について : 幕末佐賀藩士の肥後見聞録 を見つける。
             http://repo.beppu-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php/ys00605.pdf?file_id=6623

他藩の人が見た率直な見聞録であり、読んでみると大変面白い。

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小須賀覚書でした 2/4

2012-07-17 09:04:19 | 史料

 

ガラシャ夫人の最後を伝える史料として「霜女覚書」と共に知られる「小須賀覚書」でした。
第1回分の読み下しを書いておきます。如何だったでしょうか。
第2回もがんばってお読みください。

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一長岡越中守殿、子息與一郎殿 同舎弟
内記殿両三人は家康公御同陣にて景勝陣に
立被申候。越中守忠興御内儀は明智日向守光
秀御息女ニ而候。大阪玉造口に屋形候而それニ御入候。
越中守殿奥方之法度世上ニ無之堅き仕置ニ而
地震の間と申候て八畳敷に座敷を拵四方之
かべニ鉄砲之薬を紙 袋に入懸ならへ置候而何
時も大地震あり候ハゝ御内儀右之座敷へ御入
候て焼御果候筈ニ不断之仕置ニ而候由。就其
屋敷之表ハ小笠原正齋預り、裏の門は稲富
預り、奥方ハ光秀公より御前ニ附き参候川北石
見請取、右之三人ハ長岡越中守殿大阪屋敷之
留守居ニ而候。越中守殿と石田冶部少輔殿成
前方より中悪敷猶以此度ハ敵味方ニ而候故、右三人之
留守居拵へ候ハ自然越中守殿御前を人質に取ニ
参候ハんこと気遣仕居候処稲富は其頃鉄砲

         (第2回につづく) 

 

 

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