津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

滴水(てきすい)瓦

2012-07-29 15:01:17 | 徒然

平成肥後国誌に掲載されている、熊本市の正福寺所蔵の完全形の滴水瓦(高麗瓦とも)である。
古いものは加藤清正や小西行長が朝鮮から持ち帰ったものだとされ、倒壊埋没した八代の麦島城跡から発掘されている。
                http://www.city.yatsushiro.kumamoto.jp/ar/article_view.phtml?id=16739 

また宇土城に於いては、慶長13年銘滴水瓦(指定文化財宇土市指定考古資料)が残されている。
正福寺のものは文政十三年三月吉日の銘があるが、時代はずいぶん下っている。しかし熊本城においても一・二天守のみにしか使われていない瓦であり補修目的で作られたものであろう。それにしても完全形の貴重なものである。
最近あるところで年号が確認できるこの滴水瓦の断片が見つかったという話を聞いた。どうやらこの写真のものと同じものではないのか。
正式発表に至っていないので詳細は差し控える。
この瓦が使われているのは全国的にもそう多くない。なかなか見る機会も少ないものであり、建築屋としても興味がつきないでいる。 

  

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御書出頂戴 (一)

2012-07-29 08:51:38 | 史料

                                         
   
 

この写真は田邊籠城衆の寺井道運・吉右衛門父子のご子孫のお宅の写真である。
床柱の上部()に御書出が収められた箱がある。現代においてこのような状況を見ることは殆どなく貴重であるが、かってはどちらのお宅でも見られた光景であったのだろう。大事に扱われ火事や地震・水害など出来の時には一番に持ち出せるようにしていた。

熊本に於いての「御書出」とは、一般的にいう「知行宛行状」のことである。綱利代までは召出や加増等の度に「御書出」が出されていたらしいが、宣紀の代からは藩主の代替わりやその他の時期に一二度になってくる。例えば加増があったり、擬作に格下げになったりしても「御書出」は頂戴できないという現実があった。そしてそれは「御書出頂戴式」として規式として固定化されていく。二日ほどの日程で、千名内外の藩士が「御花畑」に出頭して頂戴することとなる。 

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