平成肥後国誌に掲載されている、熊本市の正福寺所蔵の完全形の滴水瓦(高麗瓦とも)である。
古いものは加藤清正や小西行長が朝鮮から持ち帰ったものだとされ、倒壊埋没した八代の麦島城跡から発掘されている。
http://www.city.yatsushiro.kumamoto.jp/ar/article_view.phtml?id=16739
また宇土城に於いては、慶長13年銘滴水瓦(指定文化財宇土市指定考古資料)が残されている。
正福寺のものは文政十三年三月吉日の銘があるが、時代はずいぶん下っている。しかし熊本城においても一・二天守のみにしか使われていない瓦であり補修目的で作られたものであろう。それにしても完全形の貴重なものである。
最近あるところで年号が確認できるこの滴水瓦の断片が見つかったという話を聞いた。どうやらこの写真のものと同じものではないのか。
正式発表に至っていないので詳細は差し控える。
この瓦が使われているのは全国的にもそう多くない。なかなか見る機会も少ないものであり、建築屋としても興味がつきないでいる。