津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

江戸名所圖繪 「八見橋」

2012-07-19 11:48:49 | 地図散歩

                  昭和三年発行の本からスキャンしましたので、はっきりしないところはご容赦ください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

広重江戸名所百景色から「八つ見はし」

2012-07-19 10:51:45 | 地図散歩

 八つ見橋とは、ここから八つの橋を見ることが出来るからそう呼ばれていた。本当の名前は「一石橋」、いちこく橋ともいっこく橋とも呼ばれるが、私は「いちこく橋」を好みとする。橋をはさんで両側に後藤家があったため、後藤が二軒つまり五斗が二軒で十斗=一石といういかにも江戸らしい洒落の効いた命名である。八つの橋とは自らを含め、江戸橋・日本橋・鍛冶橋・呉服橋・常盤橋・銭瓶橋・道三橋である。
広重の江戸名所百景の「八つ見はし」は、わずかに橋の欄干を見せながら、対岸の銭瓶橋を正面にして富士山を望んでいる。銭瓶橋が架かる堀が道三堀、先に細川藩竜口邸前に架かる道三橋があるのだが、この錦絵では見ることが出来ないようだ。細川藩邸も同様である。
この錦絵は安政三年八月に出来た百景色のうちの第45景とされる作品だが、当時の様子が伺える興味深い作品である。
安政三年八月二十五日江戸は、大風・大津波で諸侯の藩邸が被害にあったというが・・・・

いろいろ教えていただけるサイトがあるのでご紹介しておく。
             http://hiroshige100.blog91.fc2.com/blog-entry-96.html

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小須賀覚書 読み下し(三)

2012-07-19 08:46:34 | 史料

隣へ是非/\御退候へしうとめ子御申候故、よめ
子も備前中納言殿御前へ御退候。越中守殿御前
よめ子も宮川殿もたしぬき 御退其内に稲富
裏之門を明逆心致候而立退申候。御前地震之間へ
御入候而川北石見守御よひ被成被仰候ハ局下(しも女)
事ハ我等供可致候と色々様々申候へとも、不残何
れも御果候はゝ越中守殿、與 一郎、内記帰陣被致候而も
此一巻語り傳へ可申者無之候間、下(しも女)儀ハはしたの

様に出立候て、我等自害致し候段々見届候而火をかけ
候と一度に小さきつゝミに物を入いたき局ハ退候而
何方にもかくれ居候而、越中殿、與一郎、内記帰陣被
申候を待請居申候而、逢申具ニ物語致候へハ、草のか
けに而も満足可申、其上に而越中守殿、與一郎、内記
可為満足と御申候而夜半時分ニ川北石見守長刀を
持御前 へ懸御目、石見申候ハ御祝言之時懸御目只
今御目にかゝり納ニて御座候、追付御供可申と申候て、

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする