津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

沢村大学吉重

2013-01-22 15:57:44 | 史料

 ある方から沢村大学(1560~1650)について知りたいとのリクエストがあり、急きょサイト内にある諸々史料をを引っ張り出している。
上の図は、藤本正行氏の著「鎧をまとう人びと」にある、沢村大学の画像を引用させていただいた。正保二年に描かれたものだとされるが、この時期
になると戦場経験者が少なくなり武装の参考にもなる貴重な史料だとされる。三十数度の合戦に望み、幾多の高名をなし寛永十四年の島原の乱に
も従軍している。 

この画像を見て思い出されるのが、皆朱の鑓である。かって熊本高校に在ったとされるが火事で焼失したとされる。残念の極みではある。
              澤村大學の「皆朱の鎗」

戦場での高名はここでは除外するが、豊前時代にはある誤解があって忠興の不興を買い、豊前をはなれたりしている。
其の後大学が三齋のもとに出向くのは17年後のことである。

また大学は中路周防女に50石の米を借り17年返済せず、29,880石余にもなり忠興がとりもちして解決したりしている。 
             澤村家の借金    
澤村家の借金・・2
何とも豪快な話ではある。

これらをまとめてお役御免としたいところだが、その他たくさんの逸話も有りなかなか骨の折れそうなことではある。
 

 

 

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