津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

真源院様御代御侍名附

2013-01-27 21:47:07 | 年表

真源院(光尚)時代承応年間の侍帳とされ、天草島原の乱後のもので、これらの褒賞により高禄取りの家士の数が急激に増加している。158人
一方三齋の側近であった10,000石の長岡(村上)河内その他の人の離国などのより、非常に出入りが激しいことが判る。

同じく光尚代の侍帳に「真源院様御代御侍免撫帳」があるが、これは高禄の方から順次並べられているが、この時期の500石以上の家士が177人は尤も多く、以降数は減っていくことになる。
 又「慶安三年以来段々御暇被遣候面々」や。「御国追放被仰付候面々」「御知行被召上御扶持方被為拝領、或御被遣其以後勘気被成後赦免御扶持方被下、又ハ世倅被召出候面々」その他の資料によると多くの高禄の家士が、禄を召し上げられたり、其の為に離国したり、落席したり大変大きな動きが認められる。綱利代の陽明学徒の追放などもその因の一つである。

 人持衆併組迯衆
   30,000石  細川帯刀
   25,000石  細川刑部少輔
   30,000石  長岡(松井)佐渡守(興長)
   28,500石  有吉頼母佐
   10,000石
                 少輔(行はずれ、まま)

    5,000石          (氏名なし)
    6,000石  小笠原備前
    6,000石  志水伯耆
    5,000石  平野弥次右衛門
    3,000石  南条大善正

    3,000石  佐久間半丞
    3,000石  上月長(文)右衛門
    3,435石余 大木与平巳
    2,000石  早川弥五左衛門    承応弐年十月・御暇
    1,500石  長岡(三渕)道伯
    1,500石  松野右京
    1,000石  長岡与八郎(忠恒・・内膳家)
    1,000石  長岡半左衛門(忠春・・内膳家)
    2,000石  藪 市正

    1,000石  平野九郎右衛門
    3,000石  長岡(沼田)右馬助

    1,000石  丹羽亀丞         延宝六年九月・御知行召上、元禄三年御勘気被成御赦免
    1,500石  有吉内膳正
    2,000石  西郡要人佐
    1,000石  槇嶋半丞
     700石  筑紫左近
    3,000石  尾藤金左衛門
     800石  小笠原民部少
    2,000石  平山三郎左衛門     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    1,000石  牧 平左衛門
    1,000石  下津清吉
    5,600石余 平野茂左衛門
    1,000石  沢村八良左衛門
    1,000石  尾池傳右衛門
    1,000石  尾池藤左衛門
     550石  津川次郎左衛門
    1,000石  松野采女

    1,000石  楯岡孫市郎
     500石  後藤与兵衛
     650石  竹内七郎右衛門
    1,500石  三宅藤右衛門
     500石  上田新兵衛
     500石  河方安右衛門
     800石  上月源介

     500石  沼田半之助

     506石余 平野三郎兵衛
     500石  沼田小兵衛
    1,000石  平野源太左衛門
    1,000石  長谷川仁左衛門

  御鉄炮頭衆
    3,008石  奥田権左衛門
    1,050石  寺尾九郎左衛門
    2,500石  伊丹半弥
    1,000石  芦村十郎左衛門
    2,000石  浅山修理亮
     500石  西川与助
    1,500石  長尾伊織
    1,000石  住江甚兵衛
     800石  佐分利加左衛門
     900石  山田新九郎
     600石  田中又助
     700石  木戸与五右衛門
     700石  野田安兵衛
    1,000石  中根平兵衛
     650石  河喜多九太夫

     500石  平野治部左衛門
    1,000石  谷 忠兵衛
     500石  奥田藤左衛門
     600石  早水助兵衛
    1,000石  小崎五郎左衛門

    1,200石  斉藤又太夫
     700石  横井牛右衛門
    1,300石  松野亀右衛門
    1,500石  出田作左衛門

  御弓頭衆
    1,000石  中路内蔵介
     500石  黒部孫丞

  御買物奉行衆
     600石  小笠原宮内少  
     500石  藤懸蔵人
     500石  金守外記
     500石  吉弘嘉兵衛
     500石  山尾又作
     500石  貴田角右衛門
    1,000石  坂崎金右衛門

  一番長岡右馬助組
     700石  佐藤安太夫
     500石  松崎伝介
  二番谷内蔵允組
       なし
  三番丹羽亀丞組
    1,000石  国友半右衛門
  四番有吉内膳正組
    1,000石  春木主税
     500石  山川平兵衛
    1,500石  奥田源左衛門
     500石  中村市郎右衛門
     500石  水野善左衛門
  五番西郡要人佐組
     800石  林才兵衛
     500石  赤埴八良左衛門
     500石  小笠原勘介
  六番槇嶋半丞組
    1,000石  嶋又左衛門
      500石  佐分利兵大夫
  七番筑紫左近組
    1,000石  小坂新八
     500石  濱田新蔵
     500石  井上勘左衛門
  八番藪図書組
     500石  大塚喜兵衛
    2,000石  藪 図書
  九番小笠原民部少輔組
     500石  松野善右衛門
     600石  長尾清右衛門
     500石  冨田藤松
  十番平山三郎左衛門組
    2,000石  藪 市正
     500石  湯浅三大夫
    1,000石  陳 吉大夫
  十一番氏家志摩守組
     600石  吉見内蔵助
    1,000石  志方半右衛門
     600石  吉住伝右衛門
     500石  上月十郎
  十二番牧平左衛門組
     なし
  
  御詰衆
    3,066石余 坂崎兵庫
     500石  山田三郎右衛門

    1,356石余 横山五郎大夫
     700石  堀 太兵衛

     600石  小笠原隼人正

    2,822石余 朝山斉助
     500石  金子十郎兵衛
     500石  仲光半助

     500石  山路新太郎

     800石  住江求馬助
     500石  佐藤八郎右衛門

     800石  藤崎作右衛門
     500石  遠坂関内

  御小児性衆
    1,000石  有吉市郎兵衛
     500石  高木吉右衛門

  御側物頭衆
    1,000石  柏原新右衛門
    1,000石  寺本久太郎
    1,000石  奥村安大夫

    1,000石  田辺平助
     500石  芦田与右衛門

  御使番衆
    1,000石  津田三十郎
     821石余 高見権右衛門
     500石  続 次大夫
     568石余 生田又介
    1,000石  乃美市郎兵衛
     800石  林 孫介
     600石  落合勘兵衛

     500石  服部武右衛門
     700石  上月八右衛門
     500石  丹羽源兵衛
     500石  山内八大夫
     500石  佐藤小右衛門
     800石  芳賀助右衛門
     500石  加来佐左衛門
     700石  三宅藤兵衛
     500石  兼坂藤右衛門
     500石  戸川貞右衛門
     500石  上条又十郎

  御医師衆御伽衆御茶道衆
     600石  片山自庵
     600石  明石玄碩

  御側組外衆
     500石  志水久馬
    1,000石  須佐美権之丞
     650石  永良長兵衛
    1,000石  大河原仁右衛門

     500石  阿部主殿助

  組外衆
    1,000石  松下市進

     800石  河喜多五郎左衛門

  八代与力衆
    1,500石  立石市兵衛
    1,500石  岩越惣右衛門

 

   計158人 

    

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史談会新年会

2013-01-27 16:07:35 | 徒然

 今日は講師の花岡先生もご出席いただいたのだが、お話を伺うのは一回だけ御休みして、新年会と称して御城のすぐ下のホテルでお昼をいただきながら二時間ばかりの楽しい団らんの会となった。
 熊本史談会も8年目に突入する。ここで勉強したことが随分身になったし、私が歴史狂いの下地ともなっている。考えてみると私がサイトを立ち上げてからの年月にほど近い。最近会員の皆様の出席が少なくなり、会をゟ発展させるための知恵が必要な時となった。今後皆さんのご意見などを頂戴しながら、歴史を積み重ねていかなければならないと感じている。

部屋の窓から大天守・小天守が目の前にそびえ、時折小雪がまいなかなかの景色となった。
かっては下津棒庵の屋敷があった由緒ある場所である。しばし目の保養もさせてもらった。
              http://www.kkr-hotel-kumamoto.com/

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