津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

於豊前小倉御侍帳

2013-01-26 20:55:47 | 史料

かって500石以上の禄を拝領している御家を 文化十三年御侍帳 から調べたことがある。これらの方々は、まさに当時のセレブだという事ができるが、それぞれの御宅の出自についてはよく承知していない。
三齋公は何方かを高禄で召し抱えるに就いては、「由緒」が必要だといっておられる。ならばその由緒を知りたいと思っているのだが、この500石以上の御宅と云うのは意外と出入りがある。侍帳から時代をおって眺めてみようと思っている 

於豊前小倉御侍帳                                       

   30,000石  細川中務大輔立孝                    
   25,000石  細川刑部興孝            

  御家老衆
   30,000石  長岡(松井)佐渡守興長     
    3,200石  長岡(三渕)右馬之助重政
   15,000石  有吉頼母英貴             
    6,500石  長岡(米田)監物是季
    5,000石  長岡(沼田)勘解由延元 

  頭衆
    5,000石  志水伯耆                
    1,000石  志水新之丞
    5,000石  小笠原備前               
    3,000石  氏家志摩高光
    3,000石  南条左衛門元信
    1,000石  松野半斉
    3,000石  澤村大学吉重
    2,155石余 道家帯刀
    2,500石  清田石見乗栄
    1,250石  津川四郎右衛門
    1,500石  谷 内蔵允
      700石  細川七左衛門
      500石  三渕藤十郎
      500石  黒田蔵人
    1,000石  牧 善太郎
      500石  横山藤右衛門
      500石  津川数馬
      500石  後藤又市郎
      500石  松野長蔵

  御鉄炮(弓)頭衆
   (鉄炮30挺頭)
    1,500石  寺尾左助
      500石  荒木助左衛門
      600石  国友半右衛門
    1,000石  井門亀右衛門
    1,000石  伊藤金左衛門
      800石  佐分利兵大夫
      700石  芦田与兵衛
      950石  田辺主水
    1,000石  竹内吉兵衛
      800石  佐分利作左衛門
      500石  山路太郎兵衛
      500石  牧 尉大夫
      700石  友田次郎兵衛
      550石  不破平大夫
      500石  寺本八左衛門
      500石  山川惣右衛門
    1,000石  小坂半之丞
   (鉄炮20挺頭)
      500石  松山源之丞
      800石  谷 忠兵衛
      650石  西沢久左衛門
      600石  坂崎半兵衛
   (弓20挺頭)
    1,000石  神西与三右衛
                                       
      500石  黒部吉兵衛

  物奉行

      600石  長谷部文左衛門
      500石  金森杢左衛門
      500石  一尾伊織
      500石  西川与助
      500石  藤懸蔵人

  馬廻組(一番組)
    3,000石  三渕内匠昭正
      700石  魚住嘉助
      500石  黒田次左衛門
  馬廻組(二番組)
    1,000石  筑紫大膳
    2,500石  谷 主膳
  馬廻組(三番組)
    1,000石  嶋 又左衛門
      800石  西郡刑部
  馬廻組(四番)
    2,000石  藪 図書
      700石  筑紫左近重門
      500石  小笠原左京
  馬廻組(五番組)
    1,000石  松野左京
    2,000石  藪 市正
      500石  吉田縫殿
  馬廻組(六番)
    1,500石  遠坂越後
      500石  志賀左門

  供之者(一番)
    1,300石  坂崎清左衛門
  供之者(二番)
    1,000石  加々山主馬可政
      600石  村井内蔵
  供之者(三番)
      571石余 道家左近右衛門
  供之者(四番)
    2,050石  松井宇右衛門
  供之者(五番)
    1,000石  平野九郎右衛門
  供之者(六番)
      なし

  側小姓
      500石  朝山 斉
      500石  明石源右衛門
      700石  坂崎内膳
  江戸江相詰衆
      800石  松野織部

  持筒頭
      500石  加々山権左衛門
  側鉄炮頭
      500石  横田権之助
      500石  湯浅角兵衛

医師并伽之者(17人)
      600石  山田竺印

  留守居組(62人)
    1,000石  浅山修理
    1,000石  田中兵庫

  留守居組 従是巳下(163人)
      600石  松山彦右衛門
      500石  岡村十兵衛

  三齋様御附中津ニ相詰候衆(137人)
   10,000石  長岡(村上)河内景則
    1,000石  中路宗悦
    1,000石  蜂屋隠岐
    1,000石  一色杢之助
    1,000石  小川四郎右衛門
    1,000石  槇島雲庵
    1,700石余 魚住傳右衛門
      700石   佐方与左衛門
      600石  長船十左衛門
      500石  福知平左衛門
      500石  熊谷権大夫
      500石  貴田権内
      500石  志方半兵衛
      500石  永良宗茂
      500石  山本宗覚(三郎左衛門)
      500石  高島兵助
      500石  神戸喜右衛門
      500石  清田五郎大夫 


   500石以上の士 104人 合計知行高 218,276石 

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赤穂義士切腹之図(二)

2013-01-26 09:07:13 | 史料

 切腹の場に臨んだ右田才助が描いたとされる「切腹之図」である。
説明によると「右田才助(御奉行所物書)ひそかにその場の全体を視、上検使より下卒徒の吏に至るまで排列(ママ)階級を混ぜず審らかに警衛諸士の多少を弁別し、およそ目に触れる所の者し悉くこれを暗記し、事終わるに及び憤慨の志を発し、直に真を写し・・・・・」とある。
先の「白金邸」の平面図と比べていただくと、役者之御間と書院との関係も確かなものであり、まさに間違いない配置である。上検使の位置を見ると書院のはずれ近くであり、これは切腹の場が能舞台があるためにその位置が制約されていることがわかる。

この絵図では内蔵助はすでに切腹を終わり戸板に乗せられて運び出されている(中央下)。切腹の場所には吉田忠左衛門がすでに控えている。正面には屏風が置かれているが、切腹の時には移動するのだろうか。なるほどと思わせる臨場感あふれる絵図となっている。もっと鮮明なものをみてみたいのだが、この絵図をもとにしたものが「赤穂義士纂書」(赤穂義士資料大成, 第 2 巻)に附図として載せられているらしい。熊本県立図書館はこれを所蔵していない。悲しい・・・・・・ 

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