津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■資料紹介「岡山藩池田家文庫ー天保五年廻状留」

2018-03-03 20:12:45 | 論考

この資料は岡山藩池田家の大坂留守居が作成したものだが、大坂に蔵屋敷を構える諸藩の役人(留守居組合・18藩)の交流を記した貴重な史料である。
熊本藩においても、人事によると思われる役人の移動などが記されており、藩庁の記録とは別に大変珍しいものである。

                 「岡山藩池田家文庫ー天保五年廻状留」

         (9)梅原善之助            自らが上京するにあたって、福田治左衛門を代役とする挨拶
        (17) 同上              藩内損耗203,679石の報告
        (24) 同上              御鷹の雁拝領について
        (43) 同上              木挽町屋敷類焼の報告
        (46) 同上 外連名          三宅惣兵衛への連名の挨拶
        (76) 同上              藩主に伴い国許へ帰国するにあたり、関素兵衛・福田次郎衛門を跡役にする挨拶
        (99)関素兵衛・福田次郎衛門      実方(宇土)出生の男子・雅之進を嫡子とし白金下屋敷に入ったことの披露
        (125) 同上              福田次左衛門→西村半助交代挨拶
        (137)西村半助・関素兵衛        御鷹の雲雀拝領について
        (160) 同上              西村半助→鎌田甚吉交代挨拶
        (164)鎌田甚吉・関素兵衛        江戸城二ノ丸御修復御普請の御用を受け賜ったことの報告
        (196) 同上              御鷹の雁拝領について

 この様に各藩の大坂留守居が、お互いに情報を交換しあっていることが良くわかる。各藩の損耗高などあからさまに報告されている。
 「たね・まつ」という女性の連名の書状も見え、これは留守居の寄合(懇親会)の世話役ではないかと考えられる。
 大変興味深い。

      

 

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■寛永より寶暦迄・郡中法令(7)

2018-03-03 07:48:29 | 史料

二七八
   口上書
 盤將之儀に付、別紙書付之通可致沙汰旨、御家老中被仰
 聞候間被得其意、右之通御支配中えも御沙汰候、以上
   酉二月五日        奉行所
   覺
 盤將之儀ニ付て、先年も及沙汰候、然處近年は盤將ニて
 之出會専有之由相聞候、若キ輩ハ武藝・文學之妨ニも相
 成、且ハ風俗不宜筋之儀も有之候様子相聞候間、彌以盤
 將かけの出會ハ堅無用候間、可致其沙汰候、以上
   元文六年酉二月

   「将棋」の画像検索結果

二七九
   覺
 在中村々え蜜々酒致賣買、又は脇方より徳利酒持参、村         蜜々=密々
 中え入込致賣買候様子ニ相聞候、在中ニて御免之外致賣
 買候儀堅難成趣追々及沙汰候處ニ、蜜々致賣買、所ニよ
 り人集等もいたし候様子相聞不届之至ニ候間、向後右之
 通之儀有之候ハヽ詮議之上、致賣買候者ハ不及申、村役
 人共迄も急度可申付候、尤横目役をも差廻聞繕せ申候
 間、此上紛敷儀於有之ハ各迄も可為越度候條、委ク遂吟
 味、右之通之儀無之様堅可被申付候、以上
 右之通申談、諸御郡一統ニ及沙汰候間、可被得其意候
 以上
   酉五月十一日         小野さん右衛門

二八〇
 諸御代官共御年貢米銀書取立方之儀に付てハ、前々被仰
 付置候様子も有之候處、近年二季御算用之節も支ヶ間敷
 様子ニ相聞申候、随分諸事心掛御為宜様相勤可申事
一新米徳掛之砌、御代官見届、一品限石高目録を取、早速
 下方人別割付夜白せり立在蔵入可申付候、ゆるかせニ仕
 置取抜ニ成御算用差支候節ハ、高利借物をも仕、追繰之
 利疊ニ成、百姓困窮之基ニ成行申事ニ候、下方取續之所
 は夫々稼方を以も兎哉角押移申習ニて、相續之為ニも宜
 儀ニ候處、畢竟初秋より御代官之懈りよう發り申候條、
 無油断村々えも打廻り下方も納得和熟仕、御年貢ハ有之  
 内萬端打捨無遅滞相拂候方、銘々身抜宜物と大切ニ元は
 まり候様委敷申聞、自然と風俗も改り申様諸事■方宜敷          ■扌偏に乄=締
 取計ひ、不及申何も二季御算用他之無見合手際能仕上候
 儀専要ニ候、尤取立方一ヶ年限無出入跡を引不申様ニ仕
 向、返號等ニ至迄御算用濟次第夫々相渡毛頭疑無之様入
 念を可相勤候事
一御免相究候上、一ヶ村限諸上納之請米銀、帳面仕立置、
 御蔵拂之切手前を内立ニ記、諸取通帳正米拂之分ハ正米
 納ニ付、御蔵立拂等之差継御免之節、下方より切手を調上
 納仕候分ハ切手納ニ記、銀請之儀鳥目納は銭納と正銀納
 ハ其通ニ記、割印を加へ渡置、以後御吟味之節明白ニ相
 分り申様ニ諸帳面入念置候事御役第一之儀ニ候、勿論私
 之手廻しヶ間敷儀無之、上下無疑様ニ相勤儀専要ニ候事
一御年貢皆濟已來、内證借物拂又は諸觀進之類迄入込不申
 様ニとの儀ハ、前々御大法ニ候處ニ、近年猥敷様子ニ相
 聞候間、相對借物等不仕様ニ堅加申付候事
一御代官共自分愼之儀は御定法之趣堅相守、勿論米銀借銀
 等私之手廻シヶ間敷儀仕間敷候事
一寺社方より觀化物又は入藥等之類、手筋を以頼之筋も有
 之様子ニ相聞候、近年ハ從上も堅被仰付候條、左様相心
 得、御役柄之儀別て下方ニ無心ヶ間敷儀は有之間敷事ニ
      本ノママ
 候得共、彌代而肝要ニ候事
 右之通堅相守可申候、尤常々諸事心を附、御惣庄屋役之
 儀は不及申、御定法之通入念相勤可申候、以上
   延宝三年丑ノ八月

 二八一
 他國之商人、御國え商賣物致持参振賣仕候儀、従前々御
 停止之所ニ、去々年も御達有之、口ニ出ス故爰ニ略ス
   十月十九日        奉行所

 二八二
 諸御郡酒商賣之儀、造酒幷請酒共御免被仰付置候所々ハ
 格別、御免無之所ニて致商賣之儀堅不仕筈之處ニ、近来
 は猥ヶ間敷様子ニ相聞不届之至ニ候、向後御免無之所ニ
 て蜜々酒致商賣候者有之候ハヽ、吟味之上被差通間敷
 候、此段御仲間中え御通達不洩様急度可有御沙汰候、以
 上
   延享二年十二月廿四日    奉行所

 二八三
   覺
 御郡方横目幷上地内檢、其外諸役人共廻在之節、下方よ
 り之馳走ヶ間敷儀堅受不申筈ニ候、然處ニ近年猥ニ相成、
 會釋ヶ間敷儀有之、又は役儀之品ニより役人之宿元へ音
 物等相送り候得ハ致受用候物も有之段相聞不届ニ候、當
 時迄左様之心得違之者も、此已後急度覺悟を相改、廻在
 之節如何様之輕キ品たり共、茶・たはこ之外一切馳走ヶ
 間敷儀請不申、尤音物堅受申間敷候、萬一以来不慎之輩
 も有之段相聞候ハヽ被差通間敷候、此段可申渡旨候條、
 能々相心得可申事
  但、下方えも以来決て右之通會釋ヶ間敷儀不仕様ニと
  及沙汰候間、此段承届候、此上萬一違背之者有之候ハ
  ヽ早速其趣可被相達候、以上
   延享二年四月

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