一昨日から左の膝の具合が悪い。土曜日は熊本史談会だというのに、未だ準備が完了していない。今朝ほどは膝の痛みと共に熱が出て
何とも不愉快な感じである。まったく腹筋に力が入らず起き上がることが出来ない。
二三年前五六日寝込んだことが有るが、同様の症状のような気がする。加齢から来るものだろうが、何とも不自由である。
三四二
覺
一在中諸出来銀之儀、近年委敷改方各へも申聞、相改申候、
然共上向は相改候様ニ有之、内々今以相改不申候、其旨
趣ハ畢竟各末改方之指はまり薄く、此方之沙汰筋迄を受
内心より改候心ニ成不被申候ニ付、各之吟味不委候、去
年申渡候帳面之仕立も、未聢と無之候ニ付、猶又文案之
帳面相渡候間、此段各より委細被申渡、各引取被申、不
埒無之様ニ可有吟味候
一右出米銀、各加印有之帳を小百姓共え見せ、割賦仕候様
可被仰付候、小百姓共ハ各加印之帳見不申候ハヽ、限て
出米銀少も出不申様、不残村々共方角宜村へ召寄、猶又
申渡置可被申候、左候て村役人共とやかく申候ハヽ、各
へ訴出候様可被申付置候
一給人出銀帳之儀も、彌以去春及沙汰候通、帳本手前ニ記
置、是又毎暮取揃、此方へ相達置候、委細去春も及沙
汰置候事ニ候へ共、改方いまた得斗無之候ニ付、猶又令
沙汰候、兎角實情より相改委可有吟味候、尤此段被申
渡候節ハ手永横目列座ニて可被申渡候、依之連名相加候
事
寶暦六年三月 阿蘇御郡代
三四三
一今度思召之旨有之、非常之赦を被仰付候ニ付、前々御知
行取・御中小姓御暇被下、御勘氣之者共儀、被成御免候
條、右之通之者支配致置候分ハ、右之趣其者へ申渡有之
候様及沙汰候間、寺社之内、右躰之者共支配ニ有之候ハ
ヽ、御免之段早々申渡名付可被指出候
一御切米取之内不届之筋有之、御給扶持被差放、御構所有
之者共、右ニ准し、總て被指免候間、其通之者致支配候
寺社ハ其者申渡、是又名付可被相達候
右之通令沙汰候條、支配之寺社中へ不洩様可有沙汰候、
以上
寶暦六年六月十一日 御奉行所
三四四
覺
一當秋免之儀、只今より受合免ニ被仰付、少々之不毛上ニ
ても受合之通上納可被仰付候、作方無難ニ候得は、先達
て二歩下りも被仰付事ニ付、彌以申分無之儀勿論ニ候得
共、右申達候通少々之不毛上ハ兎哉角なしニ、此節受合
之通上納仕事ニ候、猶又左之通
一水夫米増分
一二ノ口米
右二稜御免被下、受合可被仰付候、左候ハヽ下方も只今
より限りを安んし、其上之事ハ銘々益ニ成候事を相勤、
根さらへ其外手入共別て精力を盡し可申と存候、其上徳
掛等之入組も無之、苅揚跡作業ニ至迄手廻能、萬事簡易
ニ有之、自然と下方之甘ニ可相成と存候、右ニ申達候
通、作方無難ニ候得は、例年之御土免ニ受除候より見合
候得は、先達之二歩下り之上、右二稜之御免結構過候程
二候得共、唯今より受合少々之不毛上二は兎哉角御断不
申ため之事ニ候間、此段能々可有御承知候、勿論去年な
とのことき、若非常之天災有之候ハヽ、是非受合候通と
可被仰付様無之、其節は相應之徳掛り可被仰付候、右之
趣各御出在委曲小百姓共御申聞、一統具ニ承知仕、彌以
精力を盡し候様、尤水夫米増分、二ノ口米又は先達之二
歩下り之米合て高ニ何程、反ニ何程下りとの事、委ク書
付、百姓共銘々下り方承知仕候様可有御取計ハ不及申、惣
庄屋を初メ村庄屋共不心得、或姦曲之者ハ、却て行當不
取計之所も可有之哉、左候てハ折角之仕法行届不申候間、
別て御取計至て肝要ニ存候、右之儀ハ一同之申談ニ不及、
支配所限右しらへ可有候程次第、胡麻・大豆を初、徳懸
相止可申候條、不及遅滞様御出在候て御格追々様子可有
御達候、以上
寶暦六年六月 堀平太左衛門
三四五
覺
一御年貢納方之儀、御徳懸相濟候日より、眞米ハ明天日數
十日、大米ハ十五日限ニ相納候筈ニ候、古来より相極居
候處、近年ハ御徳掛差出日限より見合候得は、納方及延
引候處も有之、下方ニは右御極之日限も不存者共も有之
様子ニ相聞候、追々役人共も入替有之ニ付て、役人之内
ニも右御極之日限を不存者も可有之と存候、依之猶又令
沙汰候條、彌以御極之日限之通無相違上納仕候様、役人
を初小百姓共へも不洩様、堅ク被申付置、各よりも右日
限を以せり立相納せ可被申候、如此令沙汰候ても以来右
不存と申者も有之候ハヽ、各可為越度候、以上
寶暦六年子九月 御郡代中
三四六
衣類御制度背候者向後■方左之通 ■扌偏に乄=締
一絹類幷上方染帷子用候もの、男女共五十日在牢
一龜甲之櫛竿用候者、三十日在牢
一菅笠かふり候者、二十日在牢
右之通之者指免候節、極り之通過料等申付、指免候筈
尤人ニより右之通申付筈之事
寶暦六年子十一月定