寛文六年のこの時期藩主綱利は江戸にいる。四年前に高松藩主松平頼重(水戸徳川家)の養女・久姫と結婚した。
その舅殿の八代の蜜柑を贈るように指示している。これは高松藩家老衆に宛てた送り状(案文)である。
年月日が記されており、また長岡左近(南条左近)の名前が見える貴重な史料である。
一筆致啓上候其御地弥無御
別条 讃岐守様増々
御機嫌能可被為成御座と恐悦
奉存候然者 讃岐守様江當國
八代二番蜜柑をも進上仕候様ニと
従江戸被申越候ニ付而只今為拵
差上申し候條可然候様ニ被仰上
可被付候猶来春可得■申候
恐惶謹言
寛文六年 長岡左近 (忠利末子ーのち綱利により永蟄居となる)
十二月廿一日 有吉大蔵 (七代・貞之)
長岡監物 (三代・是長)
彦坂織部殿
大久保主計殿
谷平右衛門殿
星野宮内右衛門殿 人々御中