津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■脇蘭室全集を買いました。

2018-03-30 18:34:06 | 書籍・読書

                      

 文政九年の豊後各地における百姓一揆を取り上げた「黨民流説」が掲載されている。最近は豊後ずくしで、いろいろ関係資料を購入している。
これは「日本の古本屋」から・・・4月21日の史談会例会迄、ただひたすら史料を読み込もうと思っている。

                        脇蘭室 のお墓

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■寛永より寶暦迄・郡中法令(31-了)

2018-03-30 07:20:27 | 史料

 三八二
   覺
一井樋出銀之儀、手永ニより候てハ莫大之員數ニて、年久敷
 不納いたし候故、格別之御参談を以追々年賦上納被仰付
 置候處、其以後迚も上納方不埒之様子ニ候、内々及吟味
 候ヘハ下方より之不納之様子ニハ相聞不申、畢竟其節之
 在役人共不正之筋より不納ニ相成居候趣ニ候、右付てハ
 年々少宛相納候、年賦分も定て色々仕相納申ニて可有之
 候、左様之所より諸出米銀之割方も自然と不正之筋有之、
 下方疑心を生し、衰微之端ニも成申事ニ付、今度御讃談
 之筋を以別紙書附之通之滞高被捨下候間、加有其沙汰候、
 勿論右之通被仰付候上ハ去年以来之上納分ハ不及申、新
 方之儀年々少も無遅滞取立上納可仕候、右之通結構ニ被
 仰付候上ハ、此以後若不埒之筋有之候ハヽ、御吟味之上
 御惣庄屋迄屹ト被仰付筋有之候間、此段も委ク可有御沙
 汰候事
   寶暦四年十一月      御郡間

 三八三
一銀百三拾壹貫五百貮拾目餘
   享保年中已來之滞、追々依願年賦上納被仰付置候得
   共、多クハ不納二て押移候
一同百貮拾六貫四百目餘
   享保年中より寶暦四年迄滞、年々不納分
 合貮百六拾貫目程
   内
  拾七貫貮百目餘         五丁手永
  貮拾七貫六百目餘        池田手永
  貮拾壹貫八百目餘        横手手永
  六拾貫目餘           銭友手永
  拾壹貫五百目餘         田迎手永
 右は今日方年中より寶暦四年迄井樋出銀滞、不残被捨下候
 事
   以上
   十一月

            (了)

 引き続き「井田衍義 寶暦より天明迄・郡中法令」をご紹介していきます。

 

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