津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■熊本城の高さ

2022-03-01 13:03:55 | 先祖附

 熊本市には「熊本城周辺地域における建築物等の高さに関する景観形成基準」なるものがある。
簡単に言えば熊本城の高さを越えてはいけないという郷土愛にあふれた規定である。大先生方が諮問されて決定に及んだ。
      熊本城周辺地域
       熊本城周辺地域における高さの基準

           熊本城特別地区   海抜50mを超えないこと。
           京町台地地区    海抜63mを超えないこと。
           一般地区      海抜55mを超えないこと。

「熊本城周辺地域」というのがみそで、それを外れたらご自由にという訳だが、この基準を越えた建物は当然存在している。
NHKの局舎が千葉城跡から現在地に移ったおり、放送塔が基準を越えたらしいが特例を以てクリアしたということがあった。(建築基準法の工作物に該当する)

この「海抜」というのが面白いが、そもそもどこから来ている数字のか、これは熊本城天守周辺の標高でありほぼほぼ50mである。

 2015年のYAHOOの質問箱に「熊本城の高さ」についてのクエッションがあった。
これに対する回答が以下のものだが、これがいまだに生きていて世間に流布している。
さてこの回答は正確なものなのだろうか?

回答 熊本城のある茶臼山は比高約38m。天守は天守台が平左衛門丸から八間なので約14.5m。天守建物の高さは十六間三尺五寸なので約32.58m。
   単純計算では平左衛門丸からの天守(大天守)の高さは約47m、茶臼山を含めれば熊本城全体では85mです。

この回答者は随分とお詳しいようで天守の高さを尺貫法で示しておられる。
天守台の標高については、富田紘一先生の「熊本城・歴史と魅力」(p63)によると58.5mだとされ、これに天守の高さ32.6mを加えると91.1m程になると思われる。
これを正解としたいが如何だろうか?御城周辺部の標高は11~12m、つまり地上面からすると約80mばかりである。

甦った天守の最上階から望む山々や風景は、清正・忠廣そして細川忠利以下代々の藩主がながめた姿である。

 

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■細川齊護四男「津軽承昭公伝」「書翰」「和歌色紙」

2022-03-01 07:16:18 | オークション

 細川齊護の四男・津軽承昭に関するものが数点オークションに出品されている。
長男は慶前、23歳で跡を継ぐことなく死去、二男が韶邦、三男が護久、承昭は四男で津軽家の養嗣子となった。
末弟が護美、一時期喜連川家を継ぐも脱走し離縁した。
津軽承昭が一人細川一族で最高の従一位勲一等に至った人物である。
尚、幕末期津軽藩援助のために細川藩は350人の家士を派遣、真冬の房総沖で乗船した船ハーマン号が座礁し、多くの人命を失った。
     ハーマン号遭難事件


    ■ 津軽承昭公伝

       津軽承昭公伝◆津軽氏 弘前藩 津軽藩 幕末 藩主 戊辰戦争 近世 江戸時代 明治維新 華族 青森県 弘前市 東北 郷土史 歴史 伝記 資料 史料   読んでみたいと思いますが随分高価で手が出ませんね。   

    ■ 津軽承昭書翰  弘前藩第一二代藩主

        
    
    ■ 津軽承昭 肉筆和歌色紙2葉

       <C193306> 津軽承昭 肉筆和歌色紙2葉/幕末の大名 陸奥弘前藩主 伯爵

 

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