津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■3回目完了

2022-03-09 10:49:25 | 徒然

 先に熊本県知事はマンボウの延長を宣言して、これが吉と出るか凶とでるかと思っていましたら、吉と出たようですね~
1月27日最高の1,281人を記録し、それ以降は下降を続け、ここ一週間ほどは600~500~400人/日と下り気味だった数字が、昨日は862人と跳ね上がりました。吉とはマンボウ延長が良かったという意味ですけど・・・
今日は朝から掛かりつけの病院で、3回目のコロナワクチン接種を完了しました。
そのまま散歩しようと思っていましたら、病院から今日は家でゆっくりしていてくださいと言われて、公認の散歩取りやめです。
前2回は腕がこわってしまいましたが、2時間近くになる今、同じような症状がでて少々頭痛がする感じがしています。

しかしコロナで少々寿命が縮むのではないかと思っていましたが、元に戻ったのではないかと感じています。
皆様は如何ですか、どうぞ早めにすまされて安心なさってください。そしてまだまだ気を付けて過ごしましょう。

3:10追記
前の時もそうでしたが、腕が上がりません。
以前はファイザー、今回はモデルナでしたが、効き目は強いとか聞きましたが今回は痛みも伴いなんだか一両日続きそうな感じです。
昨晩はシャワーも控え、今朝シャワーしましたが腕が回らず烏の行水状態でした。

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■町人等の登城

2022-03-09 07:32:53 | 歴史

  新町から京町台へ抜ける、いわゆる「豊前街道(薩摩街道)」の正規ルートは、新町一丁目御門を入り、法華坂から住之江門を通って二の丸へ入り、二の丸御門から京町口御門をぬけて京町に抜けるというもので、薩摩藩などは大いに困り城外ルートを通った。
これは藤崎宮(現新町1丁目)まえから薬師坂を登り、百閒石垣下(古京町‐三の丸とも)を通り、京町口へ抜けるというものである。これはかっての官道に名残であるという。
通常城内ルートは武家、城外ルートは農工商民が使用したとされる。
当然武家の屋敷に用があればこれらの人々も各御門でチェックをうければ、通行は自由であったわけだが、御城に入る事は通常はあり得ない。
しかし御召を受けて公然と入る機会もある。いわゆる種々の「御礼之規式」への出席である。また国主の発入部など臨時のものもある。
いずれも家臣の者を含め、身分ごとに数回に分けられて指定された時間に登城する。
町人にも当然階級があるのだが、岡崎鴻吉著の「熊本御城下の町人」では、町人が藩から「金銭的奉仕によりて授けられる階級」だと手厳しい。
同書を見ると、独礼の町医師・町人、別当上座の職人、町別当、別当同列や丁頭上座に仰せ付けられている者、御扶持を頂戴している諸職人、諸町人(御扶持方以下)等が上げられている。
さてこのお召しを受けると職人以外の各人は「扇子一箱」を持参しなければならない。これにも小難しい決まりがあるようだがここでは略す。
さて登城に際しては、供の者も従って入城したようだが、「数寄屋御門の内、坂の上まで」だとされ、雨天の場合は「闇(くらがり)御門」までと決められている。また「大手御門より内玄関までの間は煙草、高声は不可」所持行儀よくするようにとの示達である。
この「御礼」の御規式がどの部屋で行われたのかはよく判らないが、殿様にお目にかかるという訳ではない。
御小姓の組脇に独礼身分の者迄(のみ)が「御礼」を申し上げる。日が替ると「御船頭・御役段・一両一匹・地侍・御扶持を頂戴する諸職人や諸役人座並」の人々が、今度は歩御小姓よりお酒を頂戴した。
大変混雑した模様である。
侍以外の世界の頂点にある人たちだが、やはり御城に召されるのは大変名誉なことであり、喜びを秘めて軽やかな足取りで御城を跡にした事であろう。
頬当御門から振り返ると、天守がせまるように聳えていた。

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