津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■陣の橋、放生池、御旅所

2022-03-29 09:17:03 | 熊本

 細川藩政時代、熊本城内から本妙寺方面へ行くには、井芹川を渡るために「陣の橋」が架けられていた。
元々は板橋であったらしいが、下馬橋のかけるにあたって橋の材料が使われたらしく、陣橋は土橋になったという。
ところがここにある陣の橋は見事な石橋である。熊本城顕彰会会誌「熊本城」復刻第31号に掲載ある写真を引用させていただいた。右手に見える石垣は森本櫓あたりだろうか。
この陣の橋に至る200mほど手前に放生池があった。その位置について「肥後国誌」は「槙島坂ノ下西ニアル池ナリ」として「曾テヨリ要害ノ爲ノ堀ニアラス藤崎宮神事八月十五日ニ往日ハ放生會ヲ行フ魚ハ此池ニ放チ鳥ハ此池邊ニテ放セリシヨリ名トス」と記す。
先に期した如く槙島坂そのものが、熊本市電通行の爲段山台地が開平されたため消失している。放生池も同様である。
その例年の神事について同じく「肥後国誌」は次のように記す。
「随兵百人鑓五十本神馬數匹笠鉾等美ヲ盡シ段山へ神輿行幸神官祓神樂音樂ヲ奏シ社僧經ヲ詠ム 國君ノ御名代御家老御備頭組共ニ御桟敷ニ伺候シ能見物御料理御菓子ヲ賜ル(略)」そして「八月十五日祭禮段山ノ旅所ニ御幸一ノ神輿ハ山鹿郡石村 ニノ神輿ハ飽田郡池田村 三ノ神輿ハ段山村ノ氏人等駕籠丁二参ル」とある。
この御旅所については、段山の酒造研究所があったあたりだとされるが、此処で示す地図では「八旛御旅所」の書き込みがあり百姓地に囲まれ「段山」とある。
こうして史料をひも解いていると、現在の藤崎八幡宮秋の例大祭とは違う往時の姿が垣間見られて興味深い。
ふと熊本史談会のK氏が所蔵される、当時の桟敷設置に関する古文書を一度拝見したことを思い出した。

       

コメント
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