最近、国土地理院のサイトを大いに活用させていただいている。
例えば先日書いた、薬師坂・槙島坂など同サイトの「断面」を活用すると次のように現況が出てくる。(もっとも槙島坂は現在は存在しないが・・)
かっての藤崎宮(藤崎台球場)側からみた、左が新町、右が段山町の砂薬師坂に至るダラダラ坂の上り口のあたりである。(X・Y比1:1)
縦方向の数字は標高で記されている。大体熊本城周辺は11mくらいで、此の断面でもそれが判る。
この巾約200mくらいの奥に、左・片山邸、西・島邸があった。島邸は以前槙島氏の屋敷でもあったから、右の急阪を槙島坂と呼ぶ。
段山の高まりが14~5mであり、井芹川方向に段丘で下がっていたと思われる。
今では段山は完全になくなり、新町方面からこの断面の中央部あたりに至る隧道が、路面電車の上を島崎方面へ抜けていることになる。
こちらは縦方向と水平方向は1:5で記している。
左側の11m部分が路面電車が走る部分、標高24m部分が薬師坂頂上部、34m程の高まりが藤崎台球場、その右手が護国神社、V字になった切通が美術館裏から新町へ下る坂、40m程の高まりが美術館、その右に二の丸広場が広がる。
これらの史料は、数百年前のこの一帯の有りようを想像するのに誠に有効である。
最近色々あって忙しいが、等高線を見ながら縄文海進などを調べてみるのも面白いだろうと思っている。
以前ご紹介した「熊本平野に於ける貝塚分布」では、標高5mラインの内側に貝塚が分布しているとある。
これをみると随分標高差に違いがある様に思えるからだ・・・