公開講演会 第15回永青文庫セミナー/「廃藩置県後の旧藩主細川家と旧藩士」
今村 直樹 永青文庫研究センター 准教授
45分程度の時間ですがお楽しみください。
齊茲公は隠居後、病を申し立て治療のためと称して帰国した。帰国前に本山に御屋敷が準備された。
帰国してそのまま木の香新しい新築の屋敷に入られた。
そして子をなされた。あの耇(こう)姫である。齊茲にとっては可愛くてたまらない。
本山屋敷は新築故周りに建物もなかったので、風がまともに当たり寒くて仕方がなかったのだろう、二の丸に移築されることになった。
耇姫はあの高台から眼下の景色を楽しまれたらしい。
さてその耇姫の誕生は二月であったため、すぐに初節句ということで二組の「大町人」達がお祝いを差し上げた。
一組は二人で「御人形、御燭台三対、御毛氈」である。
あと一組は八人で「御人形、銘酒瓶、御銚子」であったが、これは本山の勘定方が京都からひな人形を買い下し、その代金を八人に支払わせたものらしい。
手の込んだ話ではある。お雛様は能舞台付きで一両三歩、潮汲人形が一両、五人囃子が三歩とある。
その他ほかにも入用金が計上されているし、御銚子なども「そちらで宜しきようにと」して指定している。
小役人の差し金である。姫様のお誕生に、浜町様は新しい御銚子でお酒を召されるという訳であろう。
このような関係が、大町人と役人の並々ならぬ関係だと、「熊本御城下の町人」の著者岡崎鴻吉は長嘆息している。
岡崎氏もまた、そんな大町人のご子孫でもあるが・・・