津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■購入したいけど・・・

2022-03-13 14:25:00 | 書籍・読書

 今強烈に読みたい本がある。熊本県立図書館にも二冊しか所蔵してないから、貸し出しをしていない本である。
ならば購入しようかと思って「日本の古本屋」を探したら9件がヒット、安いもので6,600円、高いものは18,000円もする。
こんなに高価な本になるとつまらない内容の本だとガックリしてしまうから、図書館であらかじめ下見をしておく必要がある。
この本は下見の必要はない。いくつかの論考が掲載されていて、興味深い内容のものばかりだ。
相当大部の本で、郵便ポストには入らないから、多分玄関越しでの手渡しとなるのだろう。
これはまずい。奥方が不機嫌になる事は目に見えている。
というのも、本が増えて置き場所がなくあちこちにあふれているのを、本当に嫌がっていてるのが顔に出ている。
置けなくなった本が、私の部屋からリビングへでて床の上で小山を作り始めた。

今年に入って結構本を購入したが、コロナのせいもあって、Amazonもしくは日本の古本屋からだ。
郵便物が本だと途端に機嫌が悪くなる。本棚を購入しようと思っているが「何のため?」と聞き返される始末・・・
本の処分を進めながら新刊本や古書を購入するという、矛盾を克服しなければならない。
散歩の途中で本屋さんによりこっそり購入する本は、判らないように我が部屋まで運び入れるのに苦労する。
件の本は図書館に出かけ必要部分をコピーをしてこようと思っている。跡では是非購入したいと思っている。

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■目眩まし

2022-03-13 07:42:12 | 歴史

「目眩まし」とは、相手を欺くことである。細川家正史「綿考輯録」にある記述は、現代の私たちは目眩ましをくって欺かれていたのではないかとさえ思える。

 それは細川興秋の死についてである。大坂の陣で西軍についたがその敗北を受けて身を隠した。
徳川家は細川家の多大な貢献によって、興秋の処分を求めることはなかった。

然し訴人が出たことにより、その身柄を徳川に託すことはせず、父忠興の命として切腹させたと正史は伝える。
切腹したという東林院という場所の存在すら確定できず、介錯を行った松井右近の行方さえ知れない。
徳川方は首実検をしたのだろうか。もししたとしたら、興秋の顔を見知った人が見聞したというのであろうか。
どうやら、細川家からの報告でことは済まされたと考えられる。

つまり、興秋は生き延びたということである。
高田重孝氏の20年に及ぶ研究は熊本県立美術館に寄託されている後藤(是山)コレクションにある、「与五郎宛内記(細川忠利)文書」の存在により大団円を迎えた。

細川家内においては、この文書により米田是季が関係していることが判る。
また文書に登場する人物比定において、「伊喜助」が伊丹喜助康勝だという小川研次氏のご指摘は、幕府の中枢にある人物が与五郎興秋の存在を大いに認識していることを示し、この書状の真実性のおおいなる補強となった。間違いない。

すなわち、幕府は非公式に興秋の存在を認めていることになる。
しかし表向きはあくまでも「切腹して果てた」人物であるから、表立っての行動に制限があったのは当然であろう。

この著書が発刊されてからまだ三ヶ月に満たない、自家版であることから、これを購入されて読まれた方もそう多くはなかろう。メディアも反応しない。
この文書を委託されている熊本県立美術館は、この文書の取り扱いについて四つの疑問点を挙げられているが、これらもすべてクリアしているが、コメントも発せられることはない。
細川家がどうお思いなのかも良くわからないが、静観されるのであろう。
講演などでよくガラシャ夫人などを取り上げられる佳代子夫人のお話などで、今後変化が出てくるかもしれない。

私はと言えば、高田重孝氏の多年の御苦労に対し、大いなる気炎を上げて御説の正当を叫んでいきたいと思う。
歴史を楽しむということは、小さな真実を紡ぎ繋いで撚り合わせて、大きな真実を知るという醍醐味である。
  

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