津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■先祖召し出しの恩人

2023-11-13 06:34:11 | 人物

             

 私事で申し訳ないが、これは我が家の細川家召し出しの経緯が判る先祖附の冒頭部分である。

      三斎様豊前より江戸御上下被遊候時分ハくた松(下松)ニ御船
      繋被成候 右市左衛門(初代の父)居宅浜辺に有之候を、御船被遊
      御覧御尋被成候ニ就而者磯部浄雲与申者之忰居
      宅之由清田石見殿 槙島雲庵方ゟ被達御耳候
      處兼而被為 聞召及候由ニ而市左衛門宅へも両度被為
      懸 御腰御膳等被召上候御供之衆ニハ浜辺に假
      屋を申付料理等差出申候由 其節市左衛門親子三人共ニ
      御前へ被召出御懇之御意共御座候 其後於豊前
      右石見殿雲庵方両人ゟ申参御意之由ニ而市左衛門子供
      両人豊前へ御召寄御児小姓ニ被召出(以下略)

つまり当家の初代(庄左衛門)と兄(長五郎)は、清田石見殿・槙島雲庵(昭光)御両人のお陰で召し出しになったという訳である。
清田石見の直接のご子孫ではないが、石見の兄・五郎左衛門のご子孫とは大変ご厚誼をいただいている。
今般全く偶然の事だが、横手の禅定寺の和尚様が槙嶋雲庵のご子孫だという事が判り、当家の曽祖父と絶家した一族のお墓がここにあり、驚いている。
お電話でお話したが、近々お邪魔をして親しくお話をしたいと思っている。
長五郎の家は男子がなく途絶えたようだが、先には、平川氏の古文書史料から、当家が庄左衛門の次男の系統で母方の姓を名乗り現在の姓になり、長兄も平川氏を名乗られ、熊本に於いては磯部の名前は途絶えたことになる。

コメント
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