津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■意味深な歌

2023-11-30 09:22:57 | 歴史

 「木下韡村日記」(八)ー3に時習館教授・高本紫溟の歌が記されている。

(弘化二年)十一月廿一日
  高本教授、人々学校を嘆せしに
         冬枯の野邊を見つつ思ふかや  かくても春ハもゆる若草

 人々が学校・時習館のことについて嘆いているというのだが、どうやらこれは時習館内に於いて実学連の結成がみられることによるものではないかと推察される。
時習館訓導・中村恕斎の「恕斎日録」11月9日の記録を見ると、「訓導中、実学連の動きについて談合」という頭注の記事には「実学連と唱、坪井・京町諸生党を催、色々御教化之筋ニ障り可申哉之模様ニ付、教授内意いたし、惣教衆申出ニ相成可申との談合也、(以下略)」とある。
実学派の家老・米田監物の動きに対して、11月24日に至り訓導中より教授の近藤英助をたのみ、「監物殿存念を伏(ママ)蔵なく被申聞度」申し入れ、近藤はその月の晦日に談合するとしているが、晦日周辺にこれに応じる記事はない。

 高本(元)教授のこの歌は、そんな状況を意味深に歌っている。
時習館における米田監物や横井小楠らの実学派勢力の伸長を「冬枯の野邊」として、その状況を憂いながら、「それでもまた若い新しい塾生が勉学に励むことだろう」との期待が見て取れる。
なにげなく記されたような韡村の日記の記述だが、新たな時代の息吹が見て取れる。


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■田螺の不平

2023-11-30 07:08:20 | 俳句

 現在のMに引っ越した後、メダカが7~8匹死んでしまい、水槽の中は3匹ほどの誠にさみしい状態になったが、購入するにも季節的にはあまりよくないと思って来春を待っている。
二個入っていた田螺も死んでしまい、近頃その水槽がコケに覆われ始めた。
田螺をペットショップで求めようとすると、6~7mmくらいの小さなものでこれでは掃除もままならない。
以前は15mmほどのものを入れていたが、掃除能力は大変なもので壁はいつもピカピカ状態にコケを食い尽くしてくれた。
田螺くらい近所の水路で見かけないものかと思うが、これがなかなか見つからない。
以前はピンク色のジャンボ田螺の卵があちらこちらで見られたが、相当丹念な駆逐作業が行われたと見えてあまり見かけなくなった。
ジャンボ田螺ならばメダカの水槽など朝飯前で掃除してくれそうに思えるが。

 ぶつぶつと大なる田螺の不平かな という漱石先生の句があるが、これは熊本滞在中のものらしい。
どこで田螺に遭遇されたのか、先生がおいでだった時期は、本当にあちこちの水路で生息していたろう。
私が若いころには、飲み屋のおつまみに醤油で煮込んだ田螺がよく顔を出したものだ。
コリコリしてなかなか美味いものだったが、もうずいぶんお目にかからない。
田螺の不平とは何だったのか、まだ解説を承ったことがない。

 わがMの下を流れる健軍川は、100メートルほど上流に堰があり天気が続くと下流部は水無川になる。
つまり田螺など住める環境にない。少し上流部で探せばいるのではないかと散歩のコースを変えて発見にこれ努めようと思っている。

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