ちょうど一年前に掲載した「下津家」「(織田一族)津田家」「松山家」「八木家」の系図である。
現在、「肥後墳墓録」をまとめにかかったが、写真や系図の行方が知れない中、Gooブログではこのように一年前の記事を振り返らせてくれるから大いに助かる。偶然に感謝・・・
先祖附と読み合わせながらまとめ上げていきたい。
ちょうど一年前に掲載した「下津家」「(織田一族)津田家」「松山家」「八木家」の系図である。
現在、「肥後墳墓録」をまとめにかかったが、写真や系図の行方が知れない中、Gooブログではこのように一年前の記事を振り返らせてくれるから大いに助かる。偶然に感謝・・・
先祖附と読み合わせながらまとめ上げていきたい。
昨晩本の整理をしているさなか藤井学著「本能寺と信長」が目に留まり、表紙を開いたところ、一枚のコピーが挟まっていた。
2011年の5月21日ころのヤフーオークションに出品されたもののコピーである。
署名に宗旦とありあて名は■■法印様とある。書き出しには「円乗坊迄尊意・・・」とあり、なにやら拝領物に対する礼状らしい。
古文書の常で日時がはっきりしないが宗旦とは千家の三代目の宗旦であろうし、円乗坊とは利休の女婿の円乗坊であろう。
なぜこのコピーを大事にしていたのかというと(もっともこんなところにあるとは思いもよらなかったが)、円乗坊という人物は茶道肥後古流の遠祖だといわれるが故である。
そして、なぜこの本に挟まっていたかというと、この本の中に、「円乗坊宗円」「円乗坊宗円と天王寺屋宗及」「円乗坊宗円の懐具合」「円乗坊宗円と熊本古流」「円乗坊宗円と利休」など「円乗坊」について約32頁にわたり貴重な論考が記されているいることによる。
円乗坊という人物は茶道界においても、この人物の名前をご存じの方はあまりないのではないか、熊本の茶道肥後古流を学ぶ人はご承知であろうが・・・
「本能寺と信長」というタイトルのこの本の中に、なぜこんな32頁にもわたるスペースを使って円乗坊が語られるのか、改めて精読し始めたところである。
利休のお点前は、三千家に於いては代々の宗匠の好みも加わり純粋な利休流の姿は、熊本の肥後古流にのみその形を変えずに継承されていると言われる。
他事ながら、肥後古流がまた見直されることを大いに願っている。