津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

『死ぬのによい日だ』

2009-08-22 19:26:13 | 書籍・読書

死ぬのによい日だ―’09年版ベスト・エッセイ集

               
 穏やかならざる表題は、『’09ベストエッセイ集』のものである。どうやら料理研究家の丸元淑生氏のご子息がお父上のことを書かれたエッセイらしい。「増穂の小貝」を発表された近藤健氏は、「ご先祖を辿れば熊本人、東京在住道産子サラリーマンエッセイスト」である。
我がサイトでご紹介している『Coffee Break Essay』の主宰者である。     過去には

     05年ベストエッセイ集・・「警視総監賞」
     06年ベストエッセイ集・・「昆布干しの夏」
     08年ベストエッセイ集・・「介錯人の末裔」    のエッセイが掲載された。

 今年も「増穂の小貝」が掲載されることを、随分以前にご連絡を戴いたのだが、発刊まではコメントを差し控えようと思い今日に至った。昨日「日本エッセイストクラブ」のHPに正式に発表がなされた。5年間で4回の掲載というのは、プロのエッセイストでもなかなか為せることではない。親しくご厚誼戴いている者として我が事のような喜びである。短編映画のスクリーンを見るような情緒に満ちた時空に、登場人物に好きな俳優を配して想像を膨らませている。
                         定価 :1890円(税込)
                         発行:文藝春秋社
                         ぺージ数 :256ページ
                         判型 :四六判上製カバー装
                         初版発行日 :2009年08月30日


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熊本縣史料--近世編第三(部分御舊記) 3-(1)

2009-08-22 19:06:54 | 歴史
 四十五 部分御舊記  軍事舞五
       有馬一件ニ付御奉書・御内書并公辺・自他御書通之事

 四十六 部分御舊記  軍事舞六
       有馬一件ニ付上使之御衆御宿誘御賄帳
       有馬一件ニ付上使衆御働之様子見及候面々より差出候覚書
       有馬一件ニ付陣中心得之事
       有馬一件ニ付公義・御自分御触并諸書付等之事
       有馬一件ニ付公辺并他所出入之儀ニ付御家老中より言上書
       有馬一件ニ付上使御下之事
       有馬一件ニ付他所御音物之事
       有馬一件ニ付嶋原・天草江御加勢之事
       有馬落城之事
       有馬一件ニ付御人数配之事
       有馬一件ニ付御船加子等之事

 四十七 部分御舊記  軍事部七
       御側備之事
       有馬一件ニ付御人数付并武具附
       有馬一件ニ付御褒美之事

 四十八 部分御舊記  軍事部八
       有馬一件ニ付武功御吟味并働之面々覚書

 四十九 部分御舊記  軍事部九
       有馬一件ニ付武功御吟味并働之面々覚書

 五十   部分御舊記  軍事部十
       有馬御陣中并所々御使相勤候面々之覚書
       二月廿七日・廿八日両日有馬ニ而歩御使番方々御使ニ参覚
       有馬城攻之時御側衆之内御先江参ル理書并御用ニ付而出陳不致理書

 五十一 部分御舊記  軍事部十一
       有馬城乗之刻上使之御衆并他国衆と言葉を替申者之事
       有馬城乗之刻働之衆 他国衆浪人術 証拠ニ被立候帳
       有馬一件ニ手負・討死并一揆首数之事
       有馬籠城之一族宗門御吟味之事

 五十二 部分御舊記  軍事部十ニ
       有馬一件ニ付御備立并船陸道押之事
       有馬一件ニ付上使衆江乗馬御貸之叓
       有馬一件ニ付御下向之節之叓
       有馬一件ニ付他所へ御米被差出候事
       有馬一件ニ付嶋原・天草江御人数被差出候事
       有馬一件ニ付立允主御人数之事
       有馬一件ニ付御郡筒預候面々より差出候覚書
       有馬城攻之事
       有馬一件ニ付城中取遣矢文之事
       有馬一件ニ付放火之事

 五十三 部分御舊記  軍事部十三
       有馬城乗御銕炮頭々差出抜書御帳
       寛永拾五年二月廿七日有馬城乗之刻働之衆重而改出申帳
       有馬城乗御弓・御銕炮之吟味頭々差出帳

 五十四 部分御舊記  軍事部十四
       御武器之事

 五十五 部分御舊記  軍事部十五
       御武器之事
       所々江被遣置御武具之事

       
  
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振仮名の歴史

2009-08-22 10:20:51 | 書籍・読書

振仮名の歴史 (集英社新書)
 
著者:今野真二
出版社名:集英社 /集英社新書
販売価格:735円(税込み)


【本の内容】
日本語史の影の主役は振仮名だった!日本書紀の読み下しからサザンオールスターズの歌詞まで、日本語表現をいろどり、支えてきた陰の主役は振仮名! 平安時代から現代まで振仮名が日本語表現に与えた功罪を分析する画期的な一冊。
 
本書は、日本語表現の最強かつ饒舌なサポーター・振仮名にスポットを当てた本邦初の解説書。『日本書紀』の読み下しから夏目漱石の直筆原稿、サザンオールスターズの歌詞、漫画のふきだしまで、縦横無尽に振仮名を分析する。

【目次】
第1章 振仮名とはなにか(サザンオールスターズの歌詞にみられる振仮名
     現代の小説にみられる振仮名
     コミックスにみられる振仮名
     ルビ訳のいろいろ)
第2章 平安時代から室町時代までの振仮名-読みとしての振仮名(振仮名の起源
     仮名(平仮名・片仮名)と振仮名
     室町時代の仮名)
第3章 江戸期の振仮名-表現としての振仮名(読本の振仮名
     江戸期に出版された辞書にみられる振仮名
     江戸期の振仮名百花繚乱)
第4章 明治期の振仮名(新聞の振仮名
     布告・布達の振仮名
     翻訳小説の振仮名)


【著者情報】
今野 真二(コンノ シンジ)
1958年、神奈川県鎌倉市生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学文学部教授。日本語学専攻。早稲田大学大学院博士課程後期退学。主な著書に『仮名表記論攷』(清文堂出版・第30回金田一京助博士記念賞受賞)など
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「黒田殿子達の様に・・」

2009-08-21 09:53:02 | 歴史
 寛永十六年卯月廿七日付、長岡佐渡守・有吉頼母佐・長岡監物宛の忠利書状に次のようなものが有る。(抜粋)
立允 上様へ御奉公之事黒田殿子達の様ニご奉公させたきとの三齋様御内意と申候 其段加賀殿なと御申候様ニ聞申候處三齋様いか様之御このミもいまたしれ不申候 御老中之御相談たるへきと存候 先此段もさた不入事色々之儀を申物にて候間如此候事

「黒田殿子達の様に・・」とは、元和9年(1623年)黒田長政の3男・長興が福岡藩より5万石を分知され秋月藩を立藩したことを指すものであろう。

 立孝は東方立允と称し城州愛宕山福寿院に在ったが、寛永七年還俗し立孝と改めた。
寛永九年十二月父・三齋と共に八代に入城、翌十年七月忠利より正式に三万石を内分されている。同十一年婚姻(五条中納言為適卿女・鶴)、同十四年十二月三齋の陣代として嶋原一揆に出陣、そして上の書状にある十六年には二月五日父三齋から数々の宝物を伝授せられ七万石を内分することを内定している。

 そんな時期の「黒田殿子達の様に・・」という三齋の発言が面白い。
 
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圓通院殿

2009-08-20 15:46:26 | 歴史
   圓通院殿江被遣御知行所付之御目録
現高五百貮拾六石八斗四升八合七夕五才  八代郡
 一 高五百六十八石五斗四升七夕       長田村
現高七百三拾九石貮斗五升三合四夕壹才  同郡
 一 高九百三拾壹石四斗五升九合三夕    興善寺村

 現高千貮百六拾六石壹斗弐合壹夕六才
  高合千五百石
     以上
    正保三年九月十九日御印  沖津作大夫 判印
                      堀江勘兵衛   同
                      浅山修理大夫 同

 圓通院殿とは細川忠興(三齋)の側室清田氏である。「清田主計鎮乗入道素閑女幾知、寛文三年癸卯七月二日熊本ニ於テ卒ス、年六十七歳、法号圓通院玉宗雲」 宇土細川家祖・細川立孝並びに細川刑部家祖・細川興孝の生母である。上の文書は日付から判るように、三齋の死(正保二年十二月)後に光尚から発せられたものである。宇土細川家は同年七月廿九日孫の行孝が宇土藩の立藩が許されて初代藩主となっている。忠興の養女・佐舞(於三とも)が行孝の室となり、佐舞の叔母忠興側室立法院も宇土に入ったと思われる。圓通院は細川興孝を頼ったと見られ、その墓所は刑部家の慈眼庵(下立田村龍田山泰勝寺中)にある。忠興が溺愛してやまなかった立孝、疎んじられて早々に隠居した興孝、二人の生母である圓通院が刑部家で晩年を過したことを考えると、圓通院の苦しい心持が判るような気がする。尚、「真源院様(光尚)御代御侍名附」によると、御さんさま・千五百石、立保院北丸殿・五百石、円通院様・千五百石とある。
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興味有る文書

2009-08-19 13:36:09 | 歴史
 忠利が松野織部・町三右衛門に宛てた、何時の頃のものか判然としない次のような文書がある。

   我等内大木織部粟田口國吉之脇差佐々平馬と申者を頼本阿弥へときニ京へ
   遣候処加藤右馬之允其脇差を江戸へ取候て下りたそ出頭衆ニ見せやすく放
   我か進物ニ可仕とのたくミと聞候丹後殿御覧有度様ニ申候て取て下たる由加
   藤平左ヱ門かたより織部所へ申越事之外肝をつふし此者を下候祖父已来持
   候脇差ニ而唯今放申儀ニて無之候少も放可申候て上せ申儀にて無之候故只
   今右馬允所へ如此申候て人を下候右馬允かたへの織部状持せ遣候被見候
   て封シ織部者ニ可遣候脇差之儀ハ今程放申脇差にて無之由申候然共是ハ我
   等ものニて候間丹後殿はや御覧候て御所望ニ候ハゝ可申聞候此あち七郎兵
   衛・盛甫にも能々可申候未無御覧右之脇差右馬允返候ハゝ織部ものより其方
   共受取置慥成便宜ニ此方へ可下候謹言
       三月廿八日                (忠利)
          松野織部殿
          町三右衛門殿
      此わき差之事我々さゝハり候様ニ申候間其あち両人江態可申候但丹後
      殿へ不及申との事ニ候ハゝしらぬ分にもくるしからす已上
      猶/\國吉之わき指丹後殿于今無御覧候ハゝ猶々右之あち能々申候て
      置可申候此織部状参候ハゝ急ニ出頭衆への進物ニ仕事可有之候間為其
      候わき指を我々ほしかり候て申候様ニ仕なし可申候其段合点仕候て可申
      候以上 
   

 大木織部とは大木兼憲のことで、加藤清正に殉死した大木兼能の孫である。
佐々平馬とは大木兼能の娘婿、あの水戸光圀の家臣・佐々助三郎のじい様である。勿論佐々友房へと至る熊本佐々家の祖である。この織部が叔父である佐々平馬を通じて、「粟田口國吉之脇差」を本阿弥(光悦一族カ)に砥ぎに出した。処がこの刀を、祖父・兼能の加藤清正時代の同僚・加藤右馬允()が取り上げたらしい。大変面白いのは、其のことを加藤平左衛門が連絡をしてきたという事である。熊本城天守閣下に「平左衛門丸」という屋敷(現存しない)を残したこれまた清正の重臣である。大木織部は寛永十年に召し出されているが、当時十四歳であったとされる。宛名に有る町三右衛門は当時の江戸留守居役であるが、寛永十五年六月の忠利の書状に「三右衛門もしに(死に)・・・」として、江戸留守居の補充を考慮しているものがある。このことからすると、織部の召しだしの寛永十年から、三右衛門の死の寛永十五年の間の文書であるということに成る。

 いずれにしても二十歳には至っていない織部だが、百戦錬磨の加藤右馬之允にしてやられたという事だろうか。その後の「粟田口國吉之脇差」の行方を追っている。

 参考:粟田口派  【 http://www.n-p-s.net/jidai.htm から引用 】
粟田口は京から近江へ通じる関門であり、ここに平安時代から鍛冶が在住したことは『宇治拾遺物語』に記され、鎌倉初期から中期にかけて幾多の名工を輩出している。後鳥羽院番鍛冶に召されたと云える国友・久国・国安と国清・有国・国綱の6兄弟がいて時代を建久(1191)ごろと伝える。さらに国友の子に国吉・国光がいる。また国吉の弟子に藤四郎吉光がいて短刀の名手として名高い。
国友・久国など鎌倉初期の名工の作風は鍛が小板目肌がよく約んできれいで地沸が金砂子を散らしたように厚く美しいのが特色で、刃文に小乱刃と直刃の二様があるがいずれも小沸のよくついたものである。
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熊本縣史料--近世編第二(部分御舊記) 2

2009-08-19 10:35:29 | 歴史
 二三、部分御舊記  御書附并御書部十七
     御父子様・御連枝様御書通之事
 
 二四、部分御舊記  御書附并御書部十八
     御父子様・御連枝様御書通之事

 二五、部分御舊記  御書附并御書部十九
     御父子様・御連枝様御書通之事 

 二六、部分御舊記  御書附并御書部廿
     御父子様・御連枝様御書通之事

 二七、部分御舊記  御書附并御書部廿一
     御父子様・御連枝様御書通之事 

 二八、部分御舊記  御書附并御書部廿二
     御父子様・御連枝様御書通之事

 二九、部分御舊記  御書附并御書部廿三
     御父子様・御連枝様御書通之事

 三十、部分御舊記  御書附并御書部廿四
     御父子様・御連枝様御書通之事

 三一、部分御舊記  御書附并御書部廿五
     御仕置等之儀ニ付而被仰出御書并伺書等之事

 三二、部分御舊記  嘉禮部全
     嘉禮部
       公儀江初而御目見并御元服之事 附御連枝御目見之事
       御任官并口宣之事
       公義御髪置并御元服之節之事
       御自分并御連枝様・御縁家様縁談并御婚禮之事
       御誕生之事
       御祝御能之事
       御拝領之御品御披メ之事
     関所并御津方部
       往来手形之事
       津方切手運賃并穀類都留之事
       浦御番并遠見之番事
     標之事

 三三、部分御舊記  賞賜選挙部一
     仙洞様并宮様より御拝領之事
     八木御拝領之事
     御鷹之鶴并鴈・雲雀御拝領之事
     不時御拝領之事
     御鷹場并御鷹御拝領之事
     江戸御屋敷御類焼ニ付御拝領物之事
     御鷹見出候者ニ御褒章之事
     盗賊とらえ候者ニ御褒美之事
 
 三四、部分御舊記  賞賜選挙部二
     跡目相續并御役附・御知行・御切米・御扶持方・米銀等被下候事

 三五、部分御舊記  賞賜選挙部三
     跡目相續并御役附・御知行・御切米・御扶持方・米銀等被下候事

 三六、部分御舊記  賞賜選挙部四
     跡目相續并御役附・御知行・御切米・御扶持方・米銀等被下候事

 三七、部分御舊記  賞賜選挙部五
     跡目相續并御役附・御知行・御切米・御扶持方・米銀等被下候事

 三八、部分御舊記  賞賜選挙部六
     跡目相續并御役附・御知行・御切米・御扶持方・米銀等被下候事

 三九、部分御舊記  賞賜選挙部七
     跡目相續并御役附・御知行・御切米・御扶持方・米銀等被下候事

 四〇、部分御舊記  賞賜選挙部八
     跡目相續并御役附・御知行・御切米・御扶持方・米銀等被下候事

 四一、部分御舊記  軍事部一
     御感状之事
     御軍役之事
     大坂御陣一件
     忍之者之事
     阿部仕物之事
     御陳用意之事

 四二、部分御舊記  軍事部二
     有馬一件ニ付御奉書・御内書并公邊・自他御書通之事

 四三、部分御舊記  軍事部三
     有馬一件ニ付御奉書・御内書并公邊・自他御書通之事

 四四、部分御舊記  軍事部四
     有馬一件ニ付御奉書・御内書并公邊・自他御書通之事

    
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熊本縣史料--近世編第一(部分御舊記) 1

2009-08-18 17:26:50 | 歴史
一、部分御舊記  公用之部一
    公方様御上洛之節之事 付右ニ付御法度
    公方様馬揃并遊藝等御覧之事
    若君様御名乗御定并御名替等之節御城江御使者之事
    諸御禮御登城之事
    公義御移徒之節御登城之事
    西丸江御登城之事
    公方様・大納言様所々御成并御供之事
    公方様御社参・御佛詣ニ付御勤并御時分御社参・御佛詣之事 付日光御成御法度
    公方様并御連枝様方御不例之節御機嫌伺之事

ニ、部分御舊記  公用部二
    公方様・御連枝様御不例ニ付三齋様御参府之事
    國母様御痘疹ニ付御機嫌御伺之事
    御受領御禮御登城之事
    御目見ニ付御登城之事
    火之御番御受持之事
    公方様并御連枝様方御不例之節御立願之事
    御城江之御使者御目見并拝領物之事
    御用有之被為召候節之事
    御登城之節御連人之事
    御参府・御歸國江御出之事
    風雨・地震・出火等之節御機嫌御伺之事
    御禮日御登城御延引之事
    上使衆御隣國江御下等之事
    日焼ニ付公義より御横目國々江差下候節之事

 三、部分御舊記  公用部三
    御國廻上使之事
    御能之節御登城并御禮之事
    御茶被下候節御登城之事
    御参府・御歸國御時分御伺并御發駕御日限之事
    御歸國之節御城江御使者之事
    公義衆御領内御通行之節之事
    公義を被重候事
    朝鮮人来朝之節御登城之事

 四、部分御舊記  公用部四
    御隣國并他所異變ニ付公邊御勤御用意等之事
    加藤家御改易之節之事

 五、部分御舊記  献上并音信部一
    御即位・御入内若宮様御誕生ニ付御使者并御献上物之事
    仙洞様江御献上物之事
    若宮様御誕生并御袴著ニ付而御献上物之事
    公方様御上洛ニ付而御献上物之事
    公方様日光御社参ニ付御献上物之事
    定例御献上物之事
    不時御献上物之事
    御参府・御歸國之節御献上物之事

 六、部分御舊記  献上并音信部ニ
    御鷹野之時候御献上物之事
    公義御普請并御移徒に付而御献上物之事
    御凶事ニ付定例御献上御遠慮之事
    公方様御不例并御快気御祝ニ付御使者并御献上物之事
    公義御婚礼ニ付而御使者并御献上物之事
    御臺様江御献上物之事
    御祈祷御札被差上候事
    三齋様より妙解院様江御具足被進候二付御召初之御祝儀被進候事
    他所御音物御贈答之事
    御誕生ニ付御音物御贈答之事
    御家中并町中より差上物之事

 七、部分御舊記  御書附并御書部一
    公辺并他所御書通之事

 八、部分御舊記  御書附并御書部二
    公辺并他所御書通之事

 九、部分御舊記  御書附并御書部三
    公辺并他所御書通之事

 一〇、部分御舊記  御書附并御書部四
     御父子様・御連枝様御書通之事
 
 一一、部分御舊記  御書附并御書部五
     御父子様・御連枝様御書通之事

 一二、部分御舊記  御書附并御書部六
     御父子様・御連枝様御書通之事 

 一三、部分御舊記  御書附并御書部七
     御父子様・御連枝様御書通之事

 一四、部分御舊記  御書附并御書部八
     御父子様・御連枝様御書通之事 

 一五、部分御舊記  御書附并御書部九
     御父子様・御連枝様御書通之事

 一六、部分御舊記  御書附并御書部十
     御父子様・御連枝様御書通之事

 一七、部分御舊記  御書附并御書部十一
     御父子様・御連枝様御書通之事

 一八、部分御舊記  御書附并御書部十二
     御父子様・御連枝様御書通之事

 一九、部分御舊記  御書附并御書部十三
     御父子様・御連枝様御書通之事

 二〇、部分御舊記  御書附并御書部十四
     御父子様・御連枝様御書通之事

 二一、部分御舊記  御書附并御書部十五
     御父子様・御連枝様御書通之事

 二二、部分御舊記  御書附并御書部十六
     御父子様・御連枝様御書通之事

    
    
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高瀬藩(細川新田藩)藩士先祖附について

2009-08-18 09:59:41 | 歴史
 ある調べ事があり高瀬藩士の足跡を追っている。高瀬藩についての諸資料としては次のようなものがある。

 ■高瀬藩関係資料調査報告書 玉名市立歴史博物館こころピア資料集成
 ■肥後高瀬藩史  中川斎著
 ■熊本県公文類纂8-5 高瀬藩士代禄帳 明治3年(明治大正期県政資料8-5)

 先祖附については、「熊本県公文類纂8-5 高瀬藩士代禄帳」に詳しい。
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部分御舊記の目録

2009-08-17 19:11:20 | 歴史
 過日、熊本の古い古書籍店J堂から古書目録を頂戴した(感謝)。詳細に見せていただくと欲しくてたまらないものが何点もある。処がなんとも高価で年金生活者としては奥方を説得するには至難の業である。熊本縣史料近世編が三冊揃って出ているが・・・ムムム
これはなんとも手が出ない。

 別に悪あがきをしているわけではないが、この三冊の目録を当サイトでご紹介し様と、タイピングの真っ最中である。この三冊は『部分(ぶわけ)御舊記』と呼ばれ、寛永期前後の細川藩の政治・経済・文化並びに幕府及び諸藩の事件などが取り上げられている。2000数百ページに及び活字化された、大変貴重な史料であるがその内容は通常窺い知る事が出来ない。ならば目録だけでもご紹介し様という目算である。これまた、何時になれば終了するのかわからないでいるが、小生も目録を作りながら再確認のよい機会だと思い、度々立ち止まりながらの作業を進めている。
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読書「紀行西南の役」

2009-08-17 17:47:43 | 書籍・読書
 車を走らせていると、歴史には余り興味がないという知人が、西南の役に関する遺跡などにやけに詳しい事にきずいた。「地元の事だけんな・・」と言う。いろいろ話しをしているとどうも付いていけない。
 帰宅してから、「これはまずい」と思い立ち、本棚から古い本を取り出した。
清水幸義著の「紀行西南の役」である。(昭和48年購入・PHP研究所発行初版本)清水氏の略歴を見ると「十津川」という作品で芥川賞候補になった実力派である。同人誌仲間から土方(どかた)というニックネームで呼ばれた体躯で、大好きな国鉄の鈍行列車であちこち動き回っておられる。この作品も、都合三度にわたり現地を歩き回っての事であるから、史料を引っ掻き回しての小説などとは異なる真実が見て取れる。
 読み始めると「西南の役」について、余りにも知らなさ過ぎる事に呆然としている。
時折お尋ねがあって、ご先祖様が従軍したとか、埋葬されている場所がわからないとか、いま尚精神的・物理的に重荷を負っておられるお宅がある事に驚かされている。そういえば亡母の実家T家の某氏も、宮崎で捕われの身となって獄死したが、賊軍の身としての死は、その墓のありかされ定かではない。いささか私の守備範囲からかけ離れてはいるが、じっくり勉強をせずば成るまいと思い至っている。

 参考サイト(植木町HP)
     http://www.town.ueki.kumamoto.jp/seinan/index.html
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最近の新聞から

2009-08-16 15:34:32 | 熊本
 ■この八月十三日は横井小楠の生誕200年にあたる。これに関して熊本日々新聞は「大義を世界に」というシリーズものらしい一文を掲載している。今日で三回目を向かえているが、毎回筆者がことなっており、どうも新聞記者の諸氏なのではないかと思われる。大変勉強をなさっておられるようだが、単なる紹介の域を出ていない。今後も続くみたいだがどのような展開を見せるのか興味深い。

 ■サンデー特報は、熊本県立美術館保管する「永青文庫預かり品」と呼ばれる資料の調査が始まったことを報じている。同美術館に「永青文庫展示室」が設けられた事により、このような動きが出てきたものと思われるが、動機はともあれ結構な事だ。熊本大学の「永青文庫研究センター」に関する記事も少し見えるが、何だかワクワクしてくる。そしてこのような形で報道される事もありがたい。

 
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幽齋の葬儀

2009-08-15 17:28:00 | 歴史
 細川幽齋は、慶長十五年八月廿日京都三条車屋町の館において薨じた。所縁深い南禅寺の北門前で荼毘に付され、遺骨は天授庵に埋葬された。分骨された遺骨は圭長老に奉持され室・麝香(光壽院)や忠興等に護られて豊前小倉に下向した。京都から200名にも成ろうかとする僧侶が小倉の地に参着した。葬礼は九月十八日午の上刻と定められた。

 惣奉行ハ長岡式部興長・沢村大学吉重・益田蔵人正重、御火屋廻之警固、神西与三
 右衛門・牧丞大夫なり、兼日此事相聞へ候間、御分国の出家自他宗に寄らす、宇佐の
 社僧の外は一人も不残参候、其外遠境の寺院、老若男女夥敷相集候、御規式之所は
 野上の原 東小倉門司口 とて、方八丁斗広き野辺あるを垣結廻し、北ニ龕堂を建、南ニ火
 屋あり、宝形作り桧皮葺ニしつらひ、九輪を簿(ママ)にてみかき、柱は純子を以て巻き、軒
 の水引は紫空色の絹を用、幕垣を卒都婆頭ニ切て貫を通し、四方ニ四ッの華美を建て、
 紺地に金字の額をかけ、すへて方四十九間也、火屋と龕堂前の間百二十間を隔て、右
 之中間に当つて六体の地蔵を画たる御影の前に香花灯明を備ふ、龕堂の前に高き机を
 居へ、紫の打敷をひろけて御位牌、香炉、香合、茶筒作り、花蝋燭、色々の菓子を備へ、
 垣の内ハ不残敷物をしき、垣の外は蝋燭を並へ立て、辻堅の諸士一間ニ一人宛各鑓を
 持せ、小姓一人を召供し、皆白キ小袖二上下を着し、股立を取、其以下は会紋の羽織を
 着し、手毎ニ杖を持、長岡式部少輔、沢村大学介、益田蔵人三人肩を双へ埒の内を廻る、
 諸宗の出家其外の諷経夫々の法位に随ひ、座配の札を立させらる、是に随ふて、小士
 六人隙なく内外を巡見して行儀を正す、西の方に仮屋を建て、御女中の御座所とし、其
 外ニ諸用を便する下小屋あり、拝見の者は辻堅より一間はかり退ひて、一面に並ひ居候、
 辰の上刻、彦山の座主山伏五百はかり引連、夥敷ほらを吹立、足早ニ通り申さる、漸々
 午の刻に至り、一番ニ烏帽子白丁を着たる者六人ニ手、本篝をかたげ来る、次に大なる
 香炉をわくに入行て隙なく沈香を割くべ、其次に平生御秘蔵被成候月毛の駒、額に銀の
 角取紙を当、舌を結ひ、白き手綱をゑりかけ、木地の尻がいをかけ、力革を腹帯にくゝり
 付、無紋の鞍鐙を懸、白き馬絹を以惣体をつゝミ、沓を打、尻綱を付て舎人四人にて是を
 率出立ハ、髪を乱し額にとぼうをあて、白き素袍四■袴短刀を指、わらちをはく、其次に弓
 鑓長刀挟箱杖沓傘袋太刀刀御骨桶、何れも白き絹にて包、烏帽子白丁の者持之、御位
 牌は玄蕃殿御息七歳なるを肩に乗せ申、名代の侍持之、御龕は四方作り、五色を以彩
 色、金のかな物をつかひ、所々を金襴にて包ミ、玉の瓔珞を下ヶ、風鈴をかくる、扨旗をさ
 し、蝋燭をともし、天蓋を差かけ、花を散し、役者の僧二行に列り、仏具を携へ、太鼓小鼓
 を鳴し、鉦鐃鉢を撞、錀を打、経を読、于時村雨降て、無程晴、原の気色静に風冷也、善
 の綱に付所の大小名五十余人、綱先ハ松井佐渡守、綱本は大塚源左衛門入道、龕の後
 ハ長岡中務大輔、士二十四人を被連、御女中の輿七十二挺、先達の女房九十七人、何
 れも白き絹を被き、其次ニ尼四人黒衣を着し、数珠を爪繰、杖にすがる、すべて行列の左
 右を堅固る士五六百程也、忠興君ハ御冠、鈍色の御束帯、無紋の御太刀、青地の中啓
 を御持被成、御鞋也、御愁傷の御中、御粧ひ人に超へ御威光に感して、皆人信心仕候
 御供の禅門三十四人、其外烏帽子素襖を着たる士雑兵共ニ千斗り也、御龕龕堂に居り
 候へハ、机に向ふて喪主念誦維那あり、同少間を置て、施主おハしまし候、左之方に堂
 頭和尚あり、起龕鎖龕の行ひ終り、火屋ニ移り、三度の行道納り候へハ、捴見院玉甫和
 尚ハ牌前ニ至り、座具をのべ、香を焼、引導の規式あり、奠茶は南禅寺、奠湯は天竜
 寺也、施主御焼香事済、諷経の諸宗、家/\の勤めをなし、御規式相済候

 
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堀口捨己の著作

2009-08-14 12:52:07 | 書籍・読書
 堀口捨己なる高名な建築家が居た。
        ja.wikipedia.org/wiki/堀口捨己
        www.sainet.or.jp/~junkk/horiguti.htm

ウィキペディアの説明を借りるならば、「従来の様式建築を否定する分離派建築会を結成(1920年代)、伝統文化とモダニズム建築の理念との統合を図った。」建築家である。「紫烟荘」(現存しない)等といった作品は、大変ノスタルジックで私も大好きな作品である。数奇屋建築の第一人者として知られ、
        『草庭』(1948年)
        『利休の茶室』(1949年) 日本建築学会賞(論文賞)
        『利休の茶』(1970年)北村透谷文学賞     等の著作が有名である。

2005年11月12日のブログで「見たい・・・」というタイトルで次のようなことを書いた。
       三斎好み茶室もろもろ
         1、吉田屋敷の茶室図「松屋筆記」
         1、小倉城内本丸大書院囲の図「細川三斎茶書」
         1、福寿院の路地の図「茶湯秘抄」・・・・(愛宕山下ノ坊)
         1、 同上茶室の図 「松屋会記」
         1、細川休無邸路地の図「茶湯秘抄」・・・(聚楽第祉)
         1、 同上  茶室の図  同上
         1、天龍寺真乗院茶室 「茶室おこし絵図集・第10集」
         1、真乗院の三斎好数寄屋図
         1、真乗院の書院の図 「無題の茶室図集」
         1、真乗院の茶室と書院と庭 「都林泉名勝図会」
         1、東大寺四聖坊スキヤ図 「堀口捨己蔵」

 これらのいくつかが氏の著作で確認できるのではないかと考えている。
ならば、「日本の古本屋」のお世話になり手に入れようと思っているが、残念ながら「草庭」については難しいようだ。松岡正剛の千夜千冊--『草庭』堀口捨己--等を読むと是非ともと思うのだが・・・。
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1000回突破

2009-08-13 16:56:43 | 徒然
 このブログの「カテゴリー・歴史」が、昨日の書き込みで1000回を越えていた。そろそろじゃないかと気にはしていたが、あっけなく到達していた。別段感慨というものもないし、振り返ってみるとよくもこんな稚拙なことをぐだぐだと書いてきたもんだと、冷や汗もので反省しきりである。しかし「精進して頑張ります」と申上げるような大仰なサイトでもないし、淡々と今迄通りにやっていこうと思っている。最近は暑いこともあり、ネタも夏枯れ状態だし、時折心臓が悲鳴を上げるし・・・二三日お休みする事が有るかもしれませんが、其の節はご容赦ください。
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