津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

立冬に・・・

2013-11-07 11:21:32 | 徒然

            今日は立冬ですが暖かい朝を迎えました。 
            我が家のランが季節外れの、それも今年三度目の花を咲かせました。秋口も暑い日がつづいて、植物も少し戸惑っているのかもしれません。
            少しはびこりすぎたので、来年の春には株分けをしなければなりません。 

            夕方からは下り坂だそうですから、昼食後に散歩に出かけようと思っていますが、汗をかきそうな感じです。冬の気配はまだまだです。

 

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山下尚史著「芸者論」

2013-11-06 07:27:14 | 書籍・読書

7月22日、「サワコの朝」岩下尚史 を書いた。その時の話を大変興味深く心に感じていたのだが、最近オークションで氏の著書「芸者論」を手に入れた。

                                 芸者論―神々に扮することを忘れた日本人

第20回和辻哲郎文化賞受賞作だが、同賞の選考委員である梅原猛は、「このように若くして老成した文章という感を強く受けたのは高橋和巳の書いたもの以来である」といっているが、読んでみるとまさしくその通りである。格調の高い作品が毎回受賞しているこの賞の性格からしても、この作品の素晴らしさがわかる。
新橋演舞場という職場環境が、この作品を醸成させるのに適していたことは間違いない。
お妾さんを第二夫人(権妻)として戸籍にのせた時代があったというような話は、秋の夜長の読書の眠気を覚まさせてくれる。       

内容紹介

古代から今日にいたる芸者の歴史的変容の姿を解き明かし、その歴史と現状を紹介しつつ都市文化の本質を探る。魅力的な挿話による注釈とともに、実際には全く知られていない東京の芸者や花柳界を都市文化の核と位置づける画期的日本文化論。
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安政の大地震(南海)・・2

2013-11-05 17:51:27 | イベント

 四日に続いて五日には南海地震と後代呼ばれる地震が起こった。
月代を剃っている最中に地震が起こり、半分は剃り残してそのまま表に飛び出したなど、一行を初め町々の人の驚きが伺える。
それでも地震の被害の大きさを目の当たりにしながら、相州への旅路を急いでいる。

 

                  十一月五日
                尾州愛郡 名古屋城主六十万九千五百石 江戸八十六里廿一丁
                一宮、なるみ一里半一二丁 御用達大森仙左衛門
                  此処ニ八ツ比着船 桑名出船之砌者
                  役人より乗合人数改 船頭江賃銭
                  之外壱銭も渡不申候様之趣
                  重畳申渡候へとも是非仲中ニ而御
                  船玉江御神酒代等して少し充もらい
                  候故遣し候事 然ニ大森方ニ皆々
                  暫休いつれも熱田宮江参詣此社ハ
                  古太(ママ・織)田信長公今川義元公鳴海
                  御合戦之時御参詣被遊候御
                  宮之由ニ而御座候處 荒木・桜井
                  両人者宿ニ残り月代そり居り候處
                  アタマ半分覚ソリ居り候處
                  大ユリニ而勝而口より十四五間も間奥ニ
                  入込居り候故両人共ニ仰天いたし
                  其マヽ乱髪ニ而町江走出候処只々只々
                  ユリ方強ク又々老若男女顔色変じ
                  神仏江祈念之聲々ハゲ敷
                  世直し世直しと地ニ伏しトナへ半町計
                  ユリ日も早及暮候処御用達方裏
                  而より火事トヨバハリ候ニ付家ユリ
                  候中ニ荷物出火ニ逢候而者皆々
                  留守ニ而別而相済不申ト存両人
                  御用達手代四五人ニ而勝手ニ積置
                  候駄津ユラレナガラ外ノ様ナゲ
                  出し漸ク濱辺へ積置候處
                  又々つ波参り候と聢■■いたし
                  候故自然津波参候而者
                  難成と熱田宮馬場江御用達親類
                  候故此処ニ持越候様申聞候ニ付五六丁
                  計之処持越候処脇ニも皆々宮之様
                  持運ハコビ町中おし合へし合よふ
                  よふと荷物駕籠共ニ半分計持上
                  候得共宮参詣人々帰り不申
                  無人ニ而誠ニよふよふとハコヒ申候
                  処又々去ル人より濱手御用達之様
                  持かへし候様との儀ニ付猶持かへし
                  候而漸夕飯抔町中ニ而夕べ候処
                  無程沖ノ方ゴウゴウト海なり
                  するや津波来候ト一ドニどつと
                  さわぎ立親ハ子を負子ハ親を
                  負御宮ヲ差し而老若男女之なき
                  聲天地ヲサケビアハレ成事ニ而候
                  荒木桜井両人ハ大森方より彼方ソウ
                  ドヲノ内灯燈ニ火ヲ付ウスベリふとんヲ
                  取ようようと熱田宮江迯上り候
                  其夜松木之下ニ一夜明し市中之
                  人々社内廣キ故群集集致夜スカラ
                  火をタキ老若男女誠ニ見るニ
                  不忍哀レなる事筆紙ニ難盡
                一、宮之駅致而遊女多く有之処ニ而ユリ
                  不出前ハ所々楷ニ泊興之最中ニ而
                  藝古(ママ・子)舞(ママ・妓)遊女者勿論我をわす
                  れる泊興ニ乗しうたい舞
                  候中彼ノ地震ニ而皆々面見合セ
                  色を変しス呈ニテ迯出ス有サマ
                  前代未聞之事ニ而無之
                  此社ニ懸り石燈籠数多有之候得共
                  一トツモ倒不申アラタナル霊社ニ而候
                  宮宿之駅二合通り損し鳴滝の
                  方出切者四五十軒左右シヨキタヲシニ
                  タワレ候事 宮宿朝五ツ比出立
                尾州名古屋領
                一、鳴海 池鯉二里三十丁
                  此処山手ニ手至而軽クユリ格別家
                  損不申家財■敷出し野小屋懸
                  住居申候 宮より一り半之往還筋ハ
                  橋々損し小屋小屋数多候へとも茶屋
                  一軒モ無之仕度処なく            ・炊事場
                  桶狭間古戦場鳴海之先五日松ト云
                  処之先ニ往来筋壱丁計り右山テニ
                  入あり
                三州刈屋郡土井金三郎様一万三千石 江戸八十ニり
                一、池鯉鮒 岡崎三里三十丁
                  此処ニ昼仕度至当駅も
                  皆々門戸ヲ閉野住居候也
                一、矢矧橋弐百八間
                  此橋日本一之大橋之由 橋より岡崎
                  天守真向ニ見へ絶景也 此処ニテ
                  日本武尊御矢ハキ給由ニテ
                  矢矧ト云シヨシ 極て堅固ナル
                  橋ニ候得共二ヶ所地震之損クボミ候
                  尤矢矧ノ町ハ川端塘付ニテ
                  家数五百軒計崩損 間ニ者
                  メリ込言語道断之事候

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姻戚の輪を極める

2013-11-05 11:32:27 | 歴史

 先祖附からであったり、活字化された資料からであったり、文書からであったり、個人から頂戴した資料であったり、いろんな人物の姻戚関係を覗いてきたが、思いがけない広がりを見せてびっくりすることがある。
これは一人ノートを眺めてにやにやしているよりも、皆様に開示すれば、更なる広がりにつながるのではないかと考えて、開示の準備を進めている。
これまでも、このような情報をお伝えした結果、時代を遡ってお付き合いが始まった御宅も有り、「肝煎りどん」もうれしい限りではある。
先祖附を読破して、2020年までに「新・肥後細川藩侍帳」を完全なものにしたいと思って、緒に付いたばかりなのだが姻戚の情報なども加味して行こうと思っている。

家紋や菩提寺の情報などもお教えいただいたものは掲示したいと思っているが、まったく情報が得られない御宅も有り、この辺りが悩ましいことではあるのだが・・・・

  

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安政の大地震(東海)

2013-11-04 19:50:43 | 歴史

                                         

   安政元年(嘉永七年)の今日、いわゆる安政東海地震が起きた。翌日には南海地震が発生している。   
  この時期細川藩は相州警備の為、肥後藩士を派遣しているが道中のさ中に地震に遭遇、荒木敬右衛門が道中日記で詳しく有様を認めている。
  苦労をしながら十一月廿一日相州陣屋に到着している。以下は地震が発生した十一月四日の模様である。

 

                 勢州亀山縄手
                   地震縄手     並松左右沼アリ
                  此処通懸り当六月十四日地震ニ而亀山
                  御城ヤクラ 塀 カベ抔散々損し誠に
                  目を驚かし地震之噂抔いたし
                  所々損所見通り縄手並松左右ニ而
                  十丁計之処半分計通り懸候処
                  五ッ半比と覚いつ方となくゴヲゴヲト
                  ライ聲もおとりたる天地をさけび
                  よふなる変成音いたし往来之人々
                  顔見合而仰天いたし候中道■次第次第ニ
                  ユリ出し大地震ニなり暫ユリ人足
                  人馬皆々足踏留メ難成千鳥足ニ而
                  右よ左よと倒レ馬乗之人は
                  落馬致無残籠の人は籠よりぶり出し往還
                  筋前後足元之無差別壱尺
                  弐尺七八寸 五六寸幾筋か千々ニ引
                  割泥水吹上ケ往還に満水いたし通路之人馬
                  駄津うセながら倒れたすけ
                  呉れと喚嗁べ共たれとて助ル人モ
                  なし 私し共初皆々彼の割目ヲ
                  飛越■■■よふよふと並松ニ取付居
                  実ニ一命終り候と存神仏江祈念の
                  聲々あわただ敷旅人ハ世直し
                  世直しととなへし 聲々誠ニ身ニシミ
                  夢うつつともわからぬ不時之仰天ニ
                  候処猶並松よりユリハナサレ最者ヤ弥以
                  一命士中ニ割込レ候と心決仕其アハレ
                  言語同断をそろしきとも何れとも
                  言語難盡筆紙述候而又々並松ニ
                  よふよふと取付神仏江祈念仕候 漸
                  半時計りユリ次第ニ終候
 

                 一、長崎御奉行水野筑前守様行列も
                  先度之無差別散乱いたし
                  家来之中壱人怪我いたし足打折
                  気絶致し参人も壱人怪我いたし
                  私共御勢ハ多人数ニ候へとも天運強
                  不残無事ニ而よふよふと石薬師
                  之駅ニたとり付誠ニ古今無類の天変ニ而前代見分
                  之事共ニ御座候事
                勢州亀山領
                一、石薬師、四日市 二里十丁
                  此処ニ朝五ツ半比着 ■田中本田■之■
                  此宿之先ニ罷越候ニ付町口一丁計り入り居候処
                  市中之人々ケハ敷走出畑田中本丸かト
                  (判読不明)           地震ユリ
                  出し自然と強成市中江老若男女
                  群集いたし騒立テ水野殿下向
                  ニ付人足人馬段々セリ懸来り候
                  最中ニ而問屋場継立人足人馬
                  等入レ乱町中江迯出 元より人家畜
                  ユリ崩レ町中江ノ人込押分押分
                  よふよふと町迯江明家敷有所江
                  迯込候 然処只只地震強ク此処も
                  往来筋引割前条同様ニ而
                  当宿之人々案内怪我いたし候由
                  カツ又在方より人足罷出候者所々
                  方々と迯去り継前役人大イニ困り
                  暫し而漸ク継立罷越候處此先
                  往来損橋崩落候段駅役申聞
                  候之計 又暫彼之處水野■■ニ而
                  差速ニかり橋出来打越候
                勢州郡山領
                一、四日市、くわな 三里八丁
                  此処当六月十四日大地震壱番手強候由ニ而
                  神社佛閣寺院鳥井石燈籠等
                  ことごとく崩人家数千軒余之内三合通ハ
                  少し無難七合通ハ散々崩死人怪我人共ニ
                  七百余有之 其上過半焼失最ハヤ
                  新規出来之家段々有之 普仕(ママ)候
                  最中ニ候処又も十一月十四日之大地震ニユリ
                  崩レ家士中ニメリ込候ヶ所も有之
                  一軒も無難之家等無之惣躰此処
                  沼ニ而別而ユリ方強クあわれ
                  ハカなき事共ニテ候得共六月之
                  様ニは此処ハユリ不申由此節ハ各別
                  死人怪我人無之由 右之次第ニ而
                  炊火等一サイ難成煙草の火もなく
                  仕度所茶屋小屋等も一向無之
                  素より往来も留りこまりたる
                  道中ニ而御座候事


安政の東南海地震から約160年、いろいろ伝えられる予測が空振りに終わることを願わずにはいられない。

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お安く読む・中公文庫「水の旅・日本再発見」

2013-11-04 16:08:25 | 書籍・読書
    水の旅 (中公文庫)
 
     中央公論新社

内容(「BOOK」データベースより)

日本文化は水の文化でもある。日本列島の自然は山も川も、先祖たちが手をかけて、後世に贈ったものである。
先祖の知恵を学び、水を通して明日の日本を考える。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
紀伊国屋の「書評空間」で、文筆家近代ナリコは次のように書いている。
 
日本列島の山々を覆う森林が、祖先たちによっていかに築きあげられたものであるかを伝えるエピソードである。
たとえば「阿蘇の水を作る話」。江戸時代、阿蘇の外輪山吉無田官山から有明海へ注ぐ緑川の支流御船川流域では、水の乏しい土地に入植するさい、半世紀にわたって水源の山に木を植えつづけ、川の水量を増やし、水路を引いた。
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40分散歩

2013-11-04 07:34:11 | イベント

                                                                             販売店のサイトから

 4キロ散歩を宗旨替えして40分散歩を始めた。行程約2.5キロ、高低差18メートルあって膝痛爺にとってはこの程度が宜しかろう。
奥方から「続けることが大切ョ」と一本くぎを刺されたが、今度は血圧降下の大命題があって、早々止めるわけにはいかない。
膝をかばいながらの散歩に成るが、ある程度身体に負荷がかからないと運動にはならないから、兼ね合いが難しい。

途中に最近できたミニローバーの販売店に、話題のくまモンミニローバーが置かれていた。昨日の事だが、通りすがりの人達が盛んに撮影をしていた。
そんな街中の風景を横目に見ながら40分散歩すると、いろんな発見をする。
栗・柿・ザボン・夏みかん(?)・ざくろ等が結構植えられている。まさに秋の風情である。人様の御宅の表札を観察するのは最近の私の癖になったが、気に成るお名前に出くわすと、「古文書なんぞお持ちではないか」などといらぬ妄想を逞しくしている。

さて本日はお昼にしようか、夕方にしようか・・・ 

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熊本史談会11月例会ご案内

2013-11-03 09:46:46 | 熊本史談会

 

 熊本史談会11月例会を下記の如く行いますのでご案内申し上げます。

            日時:平成25年11月16日 10時~12時
            場所:熊本市中央公民館5階2号室

            ■細川家八代重賢公の逸事集「肥藩落穂集」をよむ

当会は入会料は頂戴いたしておりません。資料代として500円を申し受けておりますが、参加は自由です。会員登録をいただきますと毎月ご案内を致して居ります。
歴男・歴女の皆様の奮ってのご参加をお待ちしております。

 

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熊本の大凧あげ

2013-11-02 17:39:37 | 歴史

                                       

十一月に入って年賀状の発売が始まったり、干支の置物の話や凧の制作風景などがTVなどで紹介されると、いささか慌ただしく感じられる。
そこで今回は「大凧」の話、「番太日記」に次のような記事があった。

                たつあげの事                      [ ]は虫食い
            春はよう気うへにのほるゆへ、うへをむけけいきをつかするゆへ、身の保養になり息災なり。其のゆへにをあけさする。
           又娘子にははね羽子板にてうへをむかせいきつき、はねをつくなり。たつ殊の外はやり方々にたゝみ壱枚敷、又二枚敷のあり、
           方々にあけに行。見物人多し。古かぢや町松屋達磨殿のたつは、たゝみにつもりて八丈敷程有。其比本山村に鉢ち増(坊ヵ)主
           休西とゆふ大ぼうずあり。是をたつにつくる。みな人休西だつとゆふ。夫にさし渡し四五尺のとふ(尾)五ツゆひつけあくる。
           其音きんごふ(近郷)はひゝき渡り、糸は細引のよふにあり、四斗桶にたぐりこみ、ふたりにて持行なり。米壱俵に結つきおけば
           米を引きて行也。米俵にこしかけ見物する。扨おろす時[ ]しんとふしておろす。方々畑作を[ ]願にてきひしき御法度になり、
           もし[ ]其時分にわやく咄あり[ ]御役人松屋にかようなるをつくる[ ]松屋殿私の儀は御用達にて御座候と申上られたれは、
           御役人しからは手のだるまで、あけらるべしと被仰候とゆふはなしあり。

凧のことを「辰=たつ」と呼んでいるのが興味深い。絵柄に「龍」という文字を書くのもなにか関係あるのだろうか。
幕末の頃の話だと推察されるが、今はもう熊本に大凧を揚げるという事はどこにもないような気がする。
八丈(疊)敷とは3.6メートル平方といったところだが、春日部あたりの大凧に比べると、ちょっと見劣りはするが・・・・・・
どこかで町おこし・村おこしで再興されては如何だろうか?? 

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船場界隈

2013-11-02 11:40:02 | 徒然

                                    

                                           銘菓 加勢以多(かせいた)

2006.1.15に加世以多を書いた。これに今朝ほどコメントをいただいたのだが、かってこの品を作っていた菓子舗が店を閉じられた理由を知った。
山城屋という菓子舗が熊本船場にあった。この店は「朝鮮飴」で有名なお店だが、途絶えていた細川家の銘菓「加勢以多」を明治四十年に作って、朝鮮飴と共に明治天皇に献上してその名をたから〆たという。
坪井川を背にして「研屋」という老舗旅館があり、山城屋は道向かいの角に位置していた。元々はお茶や茶道具を扱う洗心堂というお店の跡らしい。研屋の隣には山城屋という旅館がありここの主人は小早川常八、お茶屋が小早川慶作、御菓子舗が小早川慶八、関係は判らないが親子兄弟であろうが詳細は判らない。

船場という地名は大坂の船場になぞらえたものだと聞く。有名な唄、「あんたがたどこさ、肥後さ、肥後どこさ、船場さ・・・・」の船場である。
高橋から坪井川の水運をつかって多くの品物が運ばれ、ここで上げ下ろしがされた。また、芸者衆を乗せた舟遊びもさかんな粋な町であった。
今ではすっかり変わってしまったが風情のある町だった。
20代なかば、職場がこの近くにあって数年間この界隈に親しんだが、研屋旅館のロビーで飲んだコーヒーがやみつきになってしまった。本当に思いで深いし、私の人間形成の上でも重要な歳月であった。 

                                  ★送料無料 熊本 研屋本店 戦前 ★送料無料 熊本 研屋本店裏手 戦前

                                        研屋 表         裏手・坪井川沿い

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高血圧と膝痛

2013-11-01 13:31:06 | 徒然

 「耳の奥が痛い」とブログで時々ぼやいた覚えがあり、遡って調べて見たら、2006年の4月の事だった。
どこかに出かけた折血圧を測っているが167:102と記しているから、このころからの高血圧症である。7年も経過していた。
今頃になって「耳の奥が痛い=頭痛」症状が、血圧によるものであることに思い至った。
我が家は脳溢血の家系だといわれてきたが、この年に成るまであまり血圧など気にせずのんびり過ごしてきた。
最近は「血圧ノート」などをつけたりしている。やはり脳溢血で倒れるのは願い下げにしたいからだ。

「膝が痛い」と書くと、悪友が「年相応の老人病」などと茶々を入れてくる。
言い訳がましいが、私の膝痛は二三年前人様のお宅の石段を暗闇の中踏み外して膝をしたたかに打った折の後遺症である。
だいたいが出不承の私だが、「膝痛」のせいで最近はとんと外出をしなくなった。
血圧降下の為にもまた4キロ散歩を再開しようと思っているが、せいぜい距離を半分ほどにしてゆっくり・のんびり歩こうと思っている。
今日は郵便局まで出かけ、坂を下って最近オープンした雑貨屋さんをのぞいてこようかと思っている。 


 

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目安言上如件

2013-11-01 10:57:24 | 徒然

 参議院議員・山本太郎が園遊会で直訴に及んだ。やむに已まれぬ気持であったのだろうが、皇室の政治不介入という原則を考えると騒ぎに成るのは当たり前のことだ。また陛下が手紙をお読みに成る事も、そういう観点からして有りえないであろうという事を考えなかったのか・・・・

大胆なことをしたものだが、どんな内容であったのかは興味深い。発表すれば山本氏の望む處であろうから、宮内庁もそんな手には乗るまいし、マスコミが追いかけてもこればかりは無駄足と成る事だろう。
田中正造に直訴事件では、狂人あつかいとされて不問とされたそうだが、現代社会ではどのようにあつかわれるのか。
参議院あたりで一言注意などがあって終息となるのだろう。

近世に於いては、幕府には「目安箱」なるものがあった。一方命を懸けての「直訴」なるものもあった。

肥後藩に於いても庄屋の横暴などを参勤途中の藩主への「駕籠訴」などがあった。一族・関係者は捕らえられお調べを受け、真実が判明したものの訴えた本人は「磔」に処せられている。手続きを踏んでの訴えであれば命をなくすことは無かったのだろうが・・・・

山本氏も名前は売れたな・・・・

 

 

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