Sightsong

自縄自縛日記

鬼頭昭雄『異常気象と地球温暖化』

2015-05-20 22:09:45 | 環境・自然

鬼頭昭雄『異常気象と地球温暖化 ―未来に何が待っているか』(岩波新書、2015年)を読む。

著者は、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)が2013-14年に提出した最新の「第5次評価報告書」の執筆にも参加している。本書もその知見を活かして、気候システムや、それを解き明かそうとする各種モデルについて説いたものになっている。その点で、気候変動に関する最新の評価を紹介しており、今、全体をつかむには良い本である。(もっとも、新書という分量の限界があるためか、もう少し図表を使って丁寧に解説すべきではないかと思う箇所が少なくない。)

最近のトピックとして、1998年に起こったエルニーニョ現象以降、2014年に至るまで、気温がわずかな上昇傾向にとどまっていることがよく挙げられる(ハイエスタス)。その原因としてわかってきたことは、海水の熱の蓄積が、この間、深層でなされていたということだという。すなわち、今後また海水の表層部分で熱を蓄積し海水温度が上昇するようになれば、また温暖化が加速するのではないかという予測がなされている。

また、氷期がまた来るのではないかという問いに対しては、CO2濃度が300ppmを超えているような状況では、それは起こりえないとの答えである。過去200万年の間、工業化がはじまるまで、300ppmを超えた時期はない。

本書は、最後に、気候工学の適用による温暖化の抑制について言及している。例えば、大気中(成層圏)にエアロゾルを撒いて太陽エネルギーの到達量を少なくする方法、CO2を分離回収して地中に貯留する方法(CCS)、海に鉄分を撒いて肥沃化する方法などである。それらについては、一時的な手段なのかどうかに加え、どのような副作用が出るかわからないという危険性を指摘している。この冷静な記述には好感を覚える。ナオミ・クライン『This Changes Everything』のように過激にそれを訴える方法は、ときに逆効果である(ナオミ・クラインは、『世界』2015年5月号におけるインタビューでも、着実な努力を否定する発言を繰り返している)。

●参照
大河内直彦『チェンジング・ブルー 気候変動の謎に迫る』
多田隆治『気候変動を理学する』
米本昌平『地球変動のポリティクス 温暖化という脅威』
小嶋稔+是永淳+チン-ズウ・イン『地球進化概論』
ジェームズ・ラブロック『A Rough Ride to the Future』
ナオミ・クライン『This Changes Everything』
ナオミ・オレスケス+エリック・M・コンウェイ『The Collapse of Western Civilization』
ナオミ・オレスケス+エリック・M・コンウェイ『世界を騙しつづける科学者たち』
ノーム・チョムスキー+ラリー・ポーク『複雑化する世界、単純化する欲望 核戦争と破滅に向かう環境世界』
ノーム・チョムスキー+ラレイ・ポーク『Nuclear War and Environmental Catastrophe』
ノーム・チョムスキー講演「資本主義的民主制の下で人類は生き残れるか」
『グリーン資本主義』、『グリーン・ニューディール』
吉田文和『グリーン・エコノミー』
ダニエル・ヤーギン『探求』
『カーボン・ラッシュ』
『カーター大統領の“ソーラーパネル”を追って』 30年以上前の「選ばれなかった道」


アート・ファーマー+リー・コニッツ『Live in Genoa 1981』

2015-05-19 07:33:23 | アヴァンギャルド・ジャズ

アート・ファーマー+リー・コニッツ『Live in Genoa 1981』(Tramonti Records、1981年)を聴く。最近の発掘盤である。

Art Farmer (flh)
Lee Konitz (as)
Ross Tompkins (p)
Milt Hinton (b)
Shelly Manne (ds)

演奏前にホテルの一室で練習しているようなジャケット写真が日常を垣間見せてくれるようで実に良いが、実は中身も文字通り自然体である。ファーマーのフリューゲルホーンには極端に走らない上品さがあって、スタンダードを丁寧に吹くときに魅力的。

コニッツのアルトサックスはすでに柔らかくエアが多く、つまりヘコヘコでフワフワの音を出す。同じころに吹きこまれたギル・エヴァンスとのデュオ『Heroes & Anti-Heroes』(1980年)もそうだったが、あまり世評は高くなくてもわたしは好きなのだ。こんな弛緩と緊張とが混ざったアルトを他に誰が吹くだろう。

ミルト・ヒントンのベースも聴きどころ。特に「Joshua Fit the Battle of Jericho」はベースソロであり、弦がきしむ金属音とともによく鳴っている。

●参照
アート・ファーマー『Sing Me Softly of the Blues』
ジーン・バック『A Great Day in Harlem』(ヒントンによる8ミリ映像、ファーマーも登場)
『セロニアス・モンク ストレート、ノー・チェイサー』(ファーマー登場)
ミルト・ジャクソンの初期作品8枚(ファーマー参加)
リー・コニッツ『Jazz at Storyville』、『In Harvard Square』
ケニー・ホイーラー+リー・コニッツ+デイヴ・ホランド+ビル・フリゼール『Angel Song』
ギル・エヴァンス+リー・コニッツ『Heroes & Anti-Heroes』
リー・コニッツ+ルディ・マハール『俳句』
今井和雄トリオ@なってるハウス、徹の部屋@ポレポレ坐(リー・コニッツ『無伴奏ライヴ・イン・ヨコハマ』)
アルバート・マンゲルスドルフ『A Jazz Tune I Hope』、リー・コニッツとの『Art of the Duo』


稲垣清『中南海』

2015-05-18 22:56:47 | 中国・台湾

稲垣清『中南海 知られざる中国の中枢』(岩波新書、2015年)を読む。

中南海とは、北京・紫禁城の西隣にある地域である。その中に中海と南海のふたつの池があるためにそう称する。わたしも何度も北京を歩いたが、天安門と西単の間にあるくらいの認識であり、意識したことはまるでない。しかし、実際のところ、その中はほとんど隠されていて一般人が知ることはできない。意識しないのではなく、視えないのだ。

かつては清国の皇帝が住む場所であり、そのため、毛沢東はここに居を構えるのをひどくいやがったという。それでも中国建国以来、中南海は、政府と共産党の中枢であり続けた。本当に、ごく一部の限られた者のみが入ることを許される空間なのである。

本書は、中南海の内外にあるさまざまなスポットを覗き見つつ(つまり、覗くことしかできないから)、中国現代史上のエピソードを追いかけていく。これがなかなか興味深く、つぎに北京に行く際には、可能な場所だけにでも近づきたくなってくる。

語りは現在の中南海にまで及ぶ。現在の中国共産党の権力ピラミッドは、次のように構成されている。総書記(もちろん習近平)、政治局常務委員(習、李克強を含む7名)、政治委員(25名)、中央委員(205名)、中央委員候補(171名)、党大会全国代表(2,270名)、党員(8,512万人)。ここに座する権力者は、1890年代生まれの第一世代(毛沢東、周恩来ら)、1900年代生まれの第二世代(小平ら)、1930-40年代生まれの第三世代(江沢民、李鵬、朱鎔基、胡錦涛、温家宝ら)、そして1950年代生まれの第四世代(習近平、李克強ら)。この後の1960年代生まれ、1970年代生まれのエリートたちも、このピラミッドの中でキャリアを積み重ねている。

面白いことに、次の執行部に入るであろう面々は、決して「太子党」(高級幹部のボンボン)などではなく、おそらく地方出身の優秀極まる学歴エリートのほうが多い。また、人民解放軍の軍人が中央委員の上位にのぼることはほとんどない。すなわち、おかしな偏見を排して見るならば、優秀で強靭なる組織ができあがるのは当然ともいうことができる。

●参照
L・ヤーコブソン+D・ノックス『中国の新しい対外政策』
国分良成編『中国は、いま』
ダイヤモンドと東洋経済の中国特集
白石隆、ハウ・カロライン『中国は東アジアをどう変えるか』
『世界』の特集「巨大な隣人・中国とともに生きる」
『情況』の、「現代中国論」特集
加々美光行『裸の共和国』
加々美光行『現代中国の黎明』 天安門事件前後の胡耀邦、趙紫陽、小平、劉暁波
加々美光行『中国の民族問題』
堀江則雄『ユーラシア胎動』
天児慧『中華人民共和国史 新版』
天児慧『中国・アジア・日本』
天児慧『巨龍の胎動』
汪暉『世界史のなかの中国』
汪暉『世界史のなかの中国』(2)
加藤千洋『胡同の記憶』
藤井省三『現代中国文化探検―四つの都市の物語―』


スティーヴ・コールマン『Invisible Paths: First Scattering』

2015-05-18 07:13:04 | アヴァンギャルド・ジャズ

むかしはスティーヴ・コールマンの「Five Elements」やもっと大きなグループなんかを熱心に聴いていたのだが(なかでも『Curves of Life』が好きだった)、コールマンが活動休止したりしているうちに関心を失ってしまい、CDもすべて手放した。実はまたいろいろと活動していて、「Down Beat」誌の表紙にもなっている。

そんなわけで、『Invisible Paths: First Scattering』(Tzadik、2007年)という完全ソロ作を中古の棚で見つけ、久しぶりに聴く。

Steve Coleman (as)

この人のアルトサックスのフレージングは独特で、革命的であったゆえに多くのフォロワーを生んだわけである。

いま聴いても相変わらずクールだ。コードからも一定の距離を保ち、かといってアウトしても悪戯に熱情を放つことがない。グループによる構造の構築がなくても、ひとりで楼閣を淡々と建設し、それを空中に消えるにまかせている。気が付くと、眼前の風景が夢であったかのように、聴く者が同じ場所に立っている。そんな演奏が16曲。


山本義隆『原子・原子核・原子力』

2015-05-17 16:03:58 | 環境・自然

山本義隆『原子・原子核・原子力 わたしが講義で伝えたかったこと』(岩波書店、2015年)を読む。

現在の原子力発電は、主にウラン235の核分裂によって放出されるエネルギーによって動かされている。235とは質量数であり、原子の重さ、つまり、陽子と中性子の重さの合計である。天然のウランは大多数が質量数が少し異なるウラン238であり、ウラン235はごくわずか(0.7%)しか存在しない。したがって、原子力発電を行うには、ウラン235の割合を人為的に増やしてやらねばならない。原子力を論じる上での基礎知識である。

しかし、これがなぜなのかについて解き明かしてある本はきわめて少ないに違いない。その理屈には、質量数が偶数か奇数かの違いが関係している。それを理解するなら、放射線のうちα線がヘリウム原子核であることも関連していることがわかってくる。そしてα線、β線、γ線のもつエネルギーが極めて巨大であり、それゆえに危険であること、閾値の設定は便宜的なものに過ぎないことが理解できる。

同様に、なぜ、核分裂を促すための中性子を、(軽水炉では水によって)減速しなければならないのか。すでに天才ニールス・ボーアにより、20世紀前半には、感覚的にわかりやすいイラストが描かれていた。

本書は、物理学者であり、かつ科学史家でもある山本氏が、こういった物理学上の発見の歴史を紐解きながら、原子力発電の理屈にまで導いてくれる講義録である。そして、あくまで論理的な帰結として、原子力が危険な技術であり、倫理にも反していることを説く。反原発が技術を知らず感情的な運動だと決めつける言説は少なからず転がっているが、そうではないのだ。

ちなみに、わたしも高校生のときに駿台予備校の講習に出かけ、山本氏の説く物理に接し、感銘を受けたことがある。本書は、語りは平易であっても、山本氏にしかなしえない仕事である。

●参照
山本義隆『福島の原発事故をめぐって』
山本義隆『知性の叛乱』
山本義隆『熱学思想の史的展開 1』
山本義隆『熱学思想の史的展開 2』
山本義隆『熱学思想の史的展開 3』
東海第一原発の宣伝映画『原子力発電の夜明け』
福島原発の宣伝映画『黎明』、『福島の原子力』
福島原発の宣伝映画(2)『目でみる福島第一原子力発電所』
フランク・フォンヒッペル+IPFM『徹底検証・使用済み核燃料 再処理か乾式処理か』
『"核のゴミ"はどこへ~検証・使用済み核燃料~』
『活断層と原発、そして廃炉 アメリカ、ドイツ、日本の選択』
使用済み核燃料
『原発ゴミは「負の遺産」―最終処分場のゆくえ3』
『核分裂過程』、六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ)
『伊方原発 問われる“安全神話”』


蒲田の鳥万、直立猿人

2015-05-17 12:51:00 | 関東

友人のNさんと密談のためまた蒲田に行く。というより、蒲田に行くために密談を設定した。

まずは、昭和を体現したような「鳥万」。なかは99パーセント、おっさんである。鶏の唐揚げは手羽と胸肉で、やけにでかくて豪華。焼き鳥は1本90円と安くて旨い。そして正義の味方・鰺フライ(たんに好物というだけなのだが)。鰺フライには醤油とソースのどちらが相応しいか、永遠の課題ではあるが、今回はソースにした。いや~、すばらしい。

さらにブラブラと歩いていると、「直立猿人」というジャズ喫茶を発見した。3階にあって、階段の踊り場にはコルトレーンの破けたポスター、入口の扉にはデックスの写真。中はずいぶん昔からやっている雰囲気で、黄ばんだ『Let's Get Lost』のポスターと黄ばんだ日本地図。

マイルス・デイヴィス『Bag's Groove』がかかっていて、コーラを飲んでいるうちに、さらに、シェリー・マン『At the Black Hawk』、ソニー・クラーク『Cool Struttin'』と、ジャズ喫茶の王道。すっかり気持ちよくなってしまった。

●参照
蒲田の喜来楽、かぶら屋(、山城、上弦の月、沖縄)
蒲田のニーハオとエクステンション・チューブ
「東京の沖縄料理店」と蒲田の「和鉄」


金城実彫刻展『なまぬるい奴は鬼でも喰わない』

2015-05-17 11:35:02 | 沖縄

金城実さんの彫刻作品展『なまぬるい奴は鬼でも喰わない』を観る(日本教育会館)。

まずは荒々しく木を彫って作られた表題作を凝視する。目をかっと開き、震えながら舌を付き出して、怒気を露わにしている。会場でいただいた「大獅子通信」のNo.19にもこの彫刻の顔が印刷され、「辺野古の海を侵す奴は、許せねえーーーー。」と書かれている。直接的な怒りの表現なのであり、金城さん本人が自称する「在日沖縄人」としての怒りの臨界点が来ているのだなと思う。

金城さんの世界には、沖縄のみならず<帝国>に激しく抵抗した人も登場する。それはチェ・ゲバラであり、安重根であった。またどういうわけなのか、メキシコのシケイロスの顔を掘った作品も置かれている。

ぜひ足を運んで、共鳴を。

●参照
金城実『沖縄を彫る』
豊里友行『彫刻家 金城実の世界』、『ちゃーすが!? 沖縄』
金城実+鎌田慧+辛淑玉+石川文洋「差別の構造―沖縄という現場」
森口豁『毒ガスは去ったが』、『広場の戦争展・ある「在日沖縄人」の痛恨行脚』


田中直毅、長田弘『この百年の話 映画で語る二十世紀』

2015-05-16 07:38:13 | アート・映画

詩人の長田弘氏が亡くなったという報道があって、何気なく本棚を眺めていたら、田中直毅氏との対談集『この百年の話 映画で語る二十世紀』(朝日新聞社、1994年)が目に入った。

新刊で出た当時に入手してつまみ読みしただけで、20年もの間、ずっと眠っていた。「二十年前までの百年の話」だ。(いまでは文庫にもなっている。)

ここで取り上げられた映画は次の通り。
『嘆きの天使』1930年
『スミス都へ行く』1939年
『わが谷は緑なりき』1941年
『第三の男』1949年
『東京物語』1953年
『ジャイアンツ』1956年
『ニュールンベルグ裁判』1961年
『家族日誌』1962年
『博士の異常な愛情』1963年
『ディア・ハンター』1978年
『ハドソン河のモスコー』1984年
『非情城市』1989年
『ジャーニー・オブ・ホープ』1990年

ベトナムはまだアメリカと国交回復していなかった。それは本書が出された翌年の1995年のことであり、つまり、サイゴン陥落から20年後。現在はさらに20年後。現在でも傷痕は残っているわけだが、さらに当時は終わっていない問題としての認識が強かった。そのことが、『ディア・ハンター』において、帰る場所を失い廃人のようになったクリストファー・ウォーケンの顔にあらわれている。

台湾のリーダーは当時李登輝であり、政権交代はまだ実現していなかった。このとき『非情城市』が他ならぬ台湾で公開されたことが、どれだけの重要性を持つか。「二・二八事件」(1947年)に代表される、決して表通りで語られることのなかった歴史のこともある(何義麟『台湾現代史』)。また、本書で指摘されるのは、映画における「生活」という視点である。

何よりも、ソ連崩壊(1991年)からまだ数年しか経っておらず、そのことが、国家なるものを最優先するイデオロギーへの批判として、また、逆に、アメリカのシチズンシップへの評価として、この対談にも反映されているようにみえる。とはいえ、歴史の転換点において熱に浮かされているわけではない。アメリカだけではなく、「ナチス」というものへの戦後ヨーロッパにおける大きな反省が、国家と社会とを明確に区別するという考えにつながっている。この緊張感を持ち得なかった、そして、またしてもそこへ戻っていこうとするいまの日本にあって、田中氏の発言はとても大きな意味を持っている。

「ところが国家社会で「・」なしにくっついちゃう社会というか、そういう歴史的存在というのがドイツにあって、じつはわが国もそうなんですね。いまでも国家社会のために貢献するという言い方をするんですね。「国家・社会」じゃない。国家と社会がくっついている。
 これを剥離して考えるという発想は、根づいていません。「国家社会」とくっついちゃっているんです。そこに対して個人というのは太刀打ちできるのか。「・」を入れないと、よわい個人は立ち向かえないんじゃないか。国家と社会を一度断ち切ってこそ、そこで個人というものの自立があるし、従って個人の責任もまたあるんだという社会の見方を鍛えないと。」


ジャズ・インコーポレイテッド『Live at Smalls』

2015-05-15 07:42:40 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジャズ・インコーポレイテッド『Live at Smalls』(Smalls Live、2010年)を聴く。

Jeremy Pelt (tp)
Louis Hayes (ds)
Anthony Wonsey (p)
Dezron Douglas (b)

「ジャズ」を堂々と掲げているだけあって、確立されたジャズという制度の中で、「ハードバップがすべて」だと言わんばかりの熱演。アンソニー・ウォンジーのピアノは正統そのものだし、ルイ・ヘイズの嵐を起こさんとする勢いもいつも通り。ジェレミー・ペルトはその文脈のなかで気持ちよく吹きまくっている。

もちろんシニカルに言うつもりはない。聴いていると、こちらも「ハードバップがすべて」だという気持ちになってくる。NYのSmallsという小さなハコならではのこもった音が響くのも嬉しい限りである。

●参照
ジェレミー・ペルト『Tales, Musings and other Reveries』
ジェレミー・ペルト@SMOKE
ジェレミー・ペルト『Men of Honor』
ルイ・ヘイズ@COTTON CLUB
ルイ・ヘイズ『Dreamin' of Cannonball』
ルイ・ヘイズ『Return of the Jazz Communicators』
ルイ・ヘイズ『Dreamin' of Cannonball』 
ルイ・ヘイズ『The Real Thing』
フレディ・ハバード『Without a Song: Live in Europe 1969』


吉村昭『破獄』

2015-05-14 23:16:25 | 思想・文学

吉村昭『破獄』(新潮文庫、原著1983年)を読む。

戦前から戦後まで4回も脱獄した男。しかもおそるべき執念と頭脳とをもって。

この小説は、実在のモデルをもとにしたフィクションである。しかし、刑務所という特異な空間から時代を描いたすぐれた作品にもなっている。たとえば、戦争が、社会を持続させることさえ困難な飢餓を引き起こしていたこと。アッツ島の玉砕などにより北海道へのソ連軍・米軍侵攻が警戒されたこと。網走刑務所の過酷極まる環境(宮本憲治のことには言及されているが、徳田球一についての記述がないことは残念)。GHQにより、戦時中の捕虜虐待への疑念があったこと。

そして、男の脱獄への執念が、権力関係というものに対する本能的ともいえる憎悪により支えられていたことが、描き出されている。

●参照
『徳田球一とその時代』
牧港篤三『沖縄自身との対話/徳田球一伝』
ミシェル・フーコー『監獄の誕生』
ミシェル・フーコー『コレクション4 権力・監禁』


リーガルパッド

2015-05-14 07:48:17 | もろもろ

普段の仕事用に、B5サイズ(182×257mm)のものを使うことが多い。ただ、コクヨの一般的な「キャンパスノート」は薄すぎてカバーに2冊入れなければ不安だし、万年筆で書くと滲んでしまう。何よりあの横罫が好きではない(勝手に字の向きや間隔を決めないでほしい)。最近では上質な紙のノートが多くなってきているのが嬉しいことで、わたしはライフの「ノーブルノート」や満寿屋の「MONOKAKIノート」をよく使っている。

一方、B5でも大きいと思うことが少なくない。鞄に入れて持ち歩くにも、狭い場所で開くにも、もう一回り小さいほうが便利である。A5サイズでも悪くないが、縦に開いて折り返すノートパッドならばどこでも書くことができる。

そんなわけで、米国ミードの「ケンブリッジ・リーガルパッド」がちょうど良いサイズだということに落ち着いた。海外でもA4サイズのものを使っている人をよく見る。わたしが使うのは5×8インチ(127×203mm)である。これを丸善の革製のノートパッドカバーに入れれば非常に便利。革製でなく合皮やビニール製だと、他の印刷物がべりべりとへばりついてしまうことがあって嫌なのだ。

しかし、これにも問題がある。独特の黄色はまあいいとして、やはり横罫が入っているし、万年筆ではどうしても滲む。他に良いものがないものかと探していて、ツバメノートの「ツバメ・リーガルパッド」を見つけた(ミードのものより若干薄い)。「OKフールス紙」が使われており、淡いクリーム色で方眼または無地、インクは滲まない。

なお問題がないわけではない。書き終わった紙を切り離すミシン目が不十分で、結局、すべてちぎらずに使うことになる。そうすると、最終頁あたりでは書き終えた分が厚すぎて、折り返す具合がよくない。

なかなか完璧ということはないものである。


ケンブリッジ・リーガルパッド、ツバメ・リーガルパッド、丸善のノートパッドカバー


ケンブリッジ・リーガルパッド。細字なのに結構滲む。


ツバメ・リーガルパッド。ほとんど滲まない。

●参照
ほぼ日手帳とカキモリのトモエリバー


「失望」の『Vier Halbe』

2015-05-12 22:08:45 | アヴァンギャルド・ジャズ

グループ「失望」(Die Enttauschung)の最近の作品を見つけた。ドイツ語で『Vier Halbe』(Intakt Records、2012年)であり、英語でいえば「Four Halves」、つまり半分がよっつ。相変わらず謎めいているが、まあ確かに4人である。ただしみんな半人前ではない。

Rudi Mahall (bcl, bs)
Axel Dorner (tp)
Jan Roder (b)
Uli Jennessen (ds)

このグループのことを知ったのは、90年代後半のルディ・マハール来日時のこと。シュリッペンバッハ・トリオのエヴァン・パーカーの都合が悪くなって、マハールが代役に抜擢されたのだった。そのとき、マハールは「失望」によるセロニアス・モンク集(アナログ2枚組)を新宿ピットインに持ち込んでいた。シニカルでかつ愉快、わたしはすっかり魅せられてしまった。

どうやら結成は90年代前半のようだ。気が付くと、ベルリンにおいて20年くらい続く長寿グループになっている。

佇まいも奇怪だが、音も奇怪。マハールもドゥナーも、他のふたりも、アンサンブルだとか気持ちのいいユニゾンだとかいったものは最初から棄てさっている。それぞれが出したい音を出し、浮かれ果て、同時に自らの姿を冷ややかに視ているような感覚だ。もちろんハチャメチャに破綻しているわけではない。どの結節点でつながっているのか曖昧で、開かれているのである。それにしても、マハールのバスクラは相変わらず絶品だ。

なぜだろう、聴いているとブリューゲルの絵をイメージしてしまう。

●参照
『失望』の新作
リー・コニッツ+ルディ・マハール『俳句』
アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ『ライヴ・イン・ベルリン』(マハール、ドゥナー参加)
アクセル・ドゥナー + 今井和雄 + 井野信義 + 田中徳崇 『rostbestandige Zeit』


齋藤徹+喜多直毅+黒田京子@横濱エアジン

2015-05-12 08:00:10 | アヴァンギャルド・ジャズ

関内の横濱エアジンに足を運び、齋藤徹+喜多直毅+黒田京子のトリオ(2015/5/9)を観る。

齋藤徹 (b)
喜多直毅 (vln)
黒田京子 (p)

曲は、徹さんの「オペリータ うたをさがして」、アントニオ・カルロス・ジョビン、テオ・アンゲロプロス『永遠と一日』(エレニ・カラインドルーではなく徹さんの作曲だとのこと)からそれぞれ数曲ずつ。いずれもメロディアス、さらにジョビンにはジョビンの色、アンゲロプロスには東欧の哀しい色があった。

今回もっとも印象的だったことは、喜多さんのヴァイオリンの音色だ。以前の「ユーラシアンエコーズ」で聴いたときには、大人数だったこともあってか、さまざまな変わった音を出す個性なのかととらえていた。ここでも、演奏のはじまりにおいては、蜘蛛の糸を思わせる細く繋がった音の繋がり。しかし、やがて、単音でも和音でも、その都度、予想のリミッターを上回る美しい周波数の山々が繰り出される。

やはり音色に少なからぬこだわりを持っているであろう徹さんのベース。重い楽器は慣性も大きく、音楽全体の軌道を定めていく。そして、ヴァイオリンとベースという軽重の弦ふたりの間で、黒田さんのピアノは、槌のように、コキンコキンと、その軌道に摂動を与える。

ユーモアも調和も緊張もあって、素晴らしい演奏だった。

●参照
映像『ユーラシアンエコーズII』(2013年)
ユーラシアンエコーズ第2章(2013年)
バール・フィリップス+Bass Ensemble GEN311『Live at Space Who』(2012年)
ミッシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹@ポレポレ坐(2011年)
齋藤徹による「bass ensemble "弦" gamma/ut」(2011年)
齋藤徹+今井和雄『ORBIT ZERO』(2009年)
齋藤徹、2009年5月、東中野(2009年)
ミッシェル・ドネダと齋藤徹、ペンタックス43mm(2007年)
往来トリオの2作品、『往来』と『雲は行く』(1999、2000年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ『交感』(1999年)
久高島で記録された嘉手苅林昌『沖縄の魂の行方』、池澤夏樹『眠る女』、齋藤徹『パナリ』(1996年)
ミシェル・ドネダ+アラン・ジュール+齋藤徹『M'UOAZ』(1995年)
ユーラシアン・エコーズ、金石出(1993、1994年)


寺尾忠能編『「後発性」のポリティクス』

2015-05-11 23:41:08 | 環境・自然

寺尾忠能編『「後発性」のポリティクス 環境政策の形成過程』(アジア経済研究所、2015年)を読む。

中国の吉林省では、2005年、工場の事故によって河川に大量のベンゼン類が流出した。SARS対策を契機に、緊急性の高い事故・汚染等への対応が必要視されていたときであったこともあり、この事故への対応のまずさは、情報公開や指揮系統のあり方を問うことにもつながった。事件後、地方政府は、汚染現場にNGOやジャーナリストが入ることへに警戒しているという。情報公開のまずさに対する批判が、却って情報公開そのものを慎重にさせるという傾向は、日本にも共通するところがあるのかもしれない。

タイのチャオプラヤでは、2011年に大洪水が起きた。発生から長い時間が経ってもどの地域に水が来るのかはっきりせず、また、水が引くにも長い時間を要した。わたしもバンコクに行く用事をいつまで延期しなければならないのか見通しが立たず、やきもきさせられた記憶がある。これこそが、勾配が緩やかなチャオプラヤの特性である。そのとき、安定政権がインフラ投資できなかったからこのような事態になったのだという声をしばしば聞いたものだが、本論によれば、新旧の縦割り組織が事故対応を難しくしていたのだった。インラック政権は短期対応には高く評価すべき組織改革を行ったが、中長期の水資源管理対策についてはうまくいかぬまま、クーデターを迎えた。そして、組織はまた非効率な形へと戻ってしまった。

カンボジアの巨大なトンレサップ湖では、2012年、かつてフランスによって導入された区画漁業制度が撤廃された。このことは、政府主導の私有資源化(囲い込み)とは逆の、珍しい「脱領域化」である。実は、いまや漁業由来の歳入は非常に小さく、それを考えあわせれば、非常に多くの零細漁民を含めた人々に利益を再分配し、政治的な安定をはかるべきだという狙いが政府にあったのではないかという(カンボジア国民1,500万人のうち、トンレサップ湖に何らかの利害を持つ者の人口はなんと400万人)。しかし、その一方で、生態系や漁業資源の管理があやういものとなっている。実際に、目に見える形での悪影響は出ているのだろうか。

台湾では、水質保全の法制度が整備されてきたものの、それは必ずしも実効的なものではなかった。逆に不十分な法制度を作ってしまったことが、それを言い訳とする使い方を許してしまい、環境影響の観点からはマイナスともなった。日本では、浦安の「黒い水事件」(1958年)を受けて導入された「水質二法」が実際には甘く、むしろ公害追認法として機能し、その後の水俣病の被害拡大を招いてしまった。台湾でも同様に「緑色牡蠣事件」(1986年)が政治問題化し、関連法制度が整備された。しかし、日本と同様の失敗を繰り返してしまった側面があるのだという。

ドイツで1991年に導入された容器包装例は、容器包装廃棄物に関する拡大生産者責任(EPR)を法制化するモデルとなった。環境の時代を象徴するような政策であり、日本の容器包装リサイクル法にも大きな影響を与えている(わたしも1999年頃にOECDでのEPRの会議を黒子として手伝い、大変な勢いがあったことを記憶している)。なぜこれがドイツで導入されたのか。そこには、缶など「ワンウェイ容器」の台頭を脅威とするビールメーカーが多く立地する地域出身の政治家の存在があった。そして、政府と産業界とのせめぎあいにおいて、瓶など「リターナブル容器」の回収率が常に問題とされた。日本でも、リターナブル容器のほうが環境負荷が小さいとする論文が酢メーカーによって公表され、目立っていた記憶がある。

また、ドイツでは、埋め立てや焼却を従来通り公共部門が、そしてリサイクルを民間が行う「デュアル・システム」が導入された。おそらくリサイクルの事業性について明確なメッセージがないまま進んだのではないかと思ってしまう。日本では、容器包装リサイクル法の導入当時、ペットボトルのリサイクルに新規事業者が急激に参加し、原料としてのペットボトルの過不足やコストの乱高下を生んでしまった。果たしてドイツではどうだったのだろう。

大恐慌後、ニューディール期のアメリカでは、公共政策としての「保全」概念が拡張した。すなわち、水や森林の管理だけでなく、野外レクリエーションの機会創出、都市・農村間の格差解消までもが「保全」の範疇内なのだった。それに伴い、雨後の筍のように、数々の機関ができ、収拾がつかなくなった。これを受けて、連邦政府は「保全」という理念をもとに、権限争いをする省庁・機関をうまく統合し管理しようと試みた。そのひとつの答えがEPA(環境保護庁)なのだろう。著者は、「理念」の「制度化」のプロセスを検証しておくべきだとする。

本書は、寺尾忠能編『環境政策の形成過程』の続編的な本であり、同書と同様に、各国において環境政策がどのように導入され、多くの場合、それがどのように失敗したのかといった観点で掘り下げたものとなっている。齧った分野も関心のあった分野も取り上げられており、それぞれ興味深く読んだ。さらなる続編を期待したい。

●参照
寺尾忠能編『環境政策の形成過程』
佐藤仁『「持たざる国」の資源論』


小泉定弘写真展『漁師町浦安の生活と風景』

2015-05-10 23:30:18 | 関東

町屋文化センターに足を運び、小泉定弘写真展『漁師町浦安の生活と風景』を観る。

すべて1960年代の後半から70年代の前半に、浦安で撮られたスナップ写真である。もちろん記録的な価値も大きいが、浦安で生活する人々の表情や、昔の風景がしみじみと良い。貝剥きの少女(なぜかカメラの方を睨んでいる)。貝灰工場で働く、顔をタオルで巻いた人。海苔干し。堀江の江戸川沿いの湿地帯。ゴカイ売買が終わって満足そうな人。船宿・吉野の中や船(山本周五郎『青べか物語』のモデル)。江戸川から東京湾へと出ていく多くの舟。境川。

ちょうど前日に行ったばかりだという研究者のTさんによれば、すべてキヤノンのレンジファインダー機で撮られており、そのほとんどは50mmレンズによるものだという。確かに肖像シリーズなどにはその距離感を感じる。

RCペーパーに新しく焼かれたものだろうか、黒い縁を出す形の綺麗なプリントだった。

●参照
北井一夫『境川の人々』、浦安写真横丁2008
浦安市郷土博物館『青べか物語』展
浦安市郷土博物館『三角州上にできた2つの漁師町』
ハマん記憶を明日へ 浦安「黒い水事件」のオーラルヒストリー
浦安市郷土博物館『海苔へのおもい』
浦安・行徳から東京へのアクセス史 『水に囲まれたまち』
浦安市郷土博物館
『広重名所江戸百景/望月義也コレクション』(境川を描いた作品がある)
江戸川漂流と慈悲地蔵尊
ロモLC-Aで浦安(と、丸の内)
すぐに過去形になる桜と境川 FUJI GW680 III
当代島稲荷
『青べか物語』は面白い