Sightsong

自縄自縛日記

FRAGILE考現学 ver.2

2015-05-10 09:38:06 | もろもろ

日本の国内線を除き、飛行機に乗るときには、かならずスーツケースに「FRAGILE」のラベルを貼ってもらっている。

荷物の扱いを視た人ならわかると思うが、大体の場合は何のためらいもなくブン投げていて、おいおい何をすると言いたくなる。中にパソコンなんかも入れているから、気休め程度とは知りつつ、せめてもの対策である。

これらのラベルは、似ているようでいて、各社各様で面白い。

シンガポール航空。角ばったワイングラスと、「FRAGILE」の文字そのものにヒビが入っている。(それともビールグラスか?)

ガルーダ・インドネシア航空。ワイングラスはまったくの無傷。

タイ国際航空。ワイングラスは2箇所も割れている。

その後変更され、ワイングラスが復旧した。

ミャンマーのエア・バガン。実際には難しそうな割れ方をしている。

インドのジェット・エアウェイズ。無傷のワイングラスがなぜか3つ。

インドのエア・インディア。カクテルグラスにオリーブと優雅。

インドのキングフィッシャー航空。ビール会社がはじめた航空会社のくせに、割れているのはワイングラス(いや、ビールグラスのつもりか?)。名前の通り、カワセミの絵が良い感じだ。ところで、最近の経営悪化はひどいようで、もう乗ることもないかもしれない。

モンゴルのミアット。タイ国際航空の旧タイプと同様に、ワイングラスの同時2か所割れ。

UAEのエミレーツ航空。縦長のシールがいかにもオシャレ。カクテルもオシャレ(何しろ、バーカウンターを備えた機種がある)。

全日空。タイ国際航空と同じく、2箇所が割れている。デザイン的にはつまらない。

なお日本航空の場合は、頼むと「FRAGILE」のラベルではなく、ゴム紐で結える厚紙のタグをつけられる。

以上、9対2と、ワイングラスがカクテルグラスに圧勝した。また、割れ有り7に対し、無し4。

ところで、向って左上が割れていることが多いのはなぜだろう。

(ver.1: 2012/9/27)


ケニー・ホイーラー『One of Many』

2015-05-09 10:33:39 | アヴァンギャルド・ジャズ

ケニー・ホイーラー『One of Many』(CAM、2006年)を聴く。

Kenny Wheeler (flh)
John Taylor (p)
Steve Swallow (b)

とにかく、ホイーラーのフリューゲルホーンが展開する音の透明感が半端でない。微妙に音色をずらしていき、尻尾がぶるぶると震える。聴きながら眼前に広がるイメージは、向こうの雲の切れ目から差し込む日の光である。ジョン・テイラーのピアノによって、透明感はさらに増している。

さらに、エロチックなスティーヴ・スワロウのエレキベース。甘甘でずぶずぶででろでろの沼に落ちてしまうことを恐れないのだろうか。

●参照
ケニー・ホイーラー+リー・コニッツ+デイヴ・ホランド+ビル・フリゼール『Angel Song』
『A Tribute to Bill Evans』(ホイーラー参加)
ジョン・サーマン『Flashpoint: NDR Jazz Workshop - April '69』(ホイーラー参加) 
スティーヴ・スワロウ『Into the Woodwork』
カーラ・ブレイ+アンディ・シェパード+スティーヴ・スワロウ『Trios』
カーラ・ブレイ+スティーヴ・スワロウ『DUETS』、渋谷毅オーケストラ
ポール・ブレイ『Complete Savoy Sessions 1962-63』(スワロウ参加)
日野元彦『Sailing Stone』(スワロウ参加)


Vision Festivalの映像『Vision Vol.3』

2015-05-09 08:42:39 | アヴァンギャルド・ジャズ

Vision Festival」は、「Arts for Art」によって毎年開催されているイヴェントであり、フリー寄りのミュージシャンが数多く参加している。今年のプログラム(Vision 20)を見てもすぐにでも飛んでいきたい内容。ニューヨークに住んでいる人が羨ましい。

『Vision Vol.3』(AFA、2003年)は、12年前(Vision 8)のDVDとCDによる記録である。映像の方がぶつ切りなのが残念ではあるが、貴重なものであることは確かである。

●参照
エバ・ヤーン『Rising Tones Cross』
ESPの映像、『INSIDE OUT IN THE OPEN』
ウィリアム・パーカー、オルイェミ・トーマス、ジョー・マクフィーら『Spiritworld』


ミシェル・ポルタル『Bailador』

2015-05-08 07:16:08 | アヴァンギャルド・ジャズ

メンバーの顔ぶれに惹かれ、ミシェル・ポルタル『Bailador』(Universal、2010年)を聴く。

Michel Portal (bcl, ts, ss)
Ambrose Akinmusire (tp)
Bojan Z (p, key)
Lionel Loueke (g)
Scott Colley (b)
Jack DeJonette (ds)

アンブローズ・アキンムシーレの端正なトランペットも、ジャック・デジョネットのともかくも前にプッシュするドラムスも良い。

しかし、ここでは主役は圧倒的にポルタルである。特にバスクラなんて、粋な趣味人が悠々と巨大なアメ車を乗りこなしているような感覚。巧すぎて、アレンジも含めて隙がなさ過ぎて、逆に聴く者が気持をよいしょと置く場所がない。

1998年の来日時に三鷹公会堂で観たのだけど、そのときにも、最後はバンドネオンを弾き、盛り上げ、完璧なステージだった。凄いなとため息をついた。その後、さほどフォローしようという気にならなかった。わたしがあまりポルタルを聴いてこなかったのも、隙間がないことが理由なのかな。相性の問題かな。

●参照
アンブローズ・アキンムシーレ『The Imagined Savior is Far Easier to Paint』
アンブローズ・アキンムシーレ『Prelude』
トム・ハレル@Village Vanguard(アキンムシーレ参加)
ヴィジェイ・アイヤー『In What Language?』(アキンムシーレ参加) 
デイナ・スティーブンス『That Nepenthetic Place』(アキンムシーレ参加) 
ジャック・デジョネット『Made in Chicago』
ワダダ・レオ・スミス『The Great Lakes Suites』(デジョネット参加)
ワダダ・レオ・スミスのゴールデン・カルテットの映像(デジョネット参加)
テリエ・リピダル+ミロスラフ・ヴィトウス+ジャック・デジョネット
キース・ジャレット『Standards Live』(デジョネット参加)
『Tribute to John Coltrane』(デジョネット参加)
アリス・コルトレーン『Universal Consciousness』、『Lord of Lords』(デジョネット参加)
チャールス・ロイドの映像『Arrows into Infinity』(デジョネット参加)


古関彰一『平和憲法の深層』

2015-05-07 22:44:37 | 政治

古関彰一『平和憲法の深層』(ちくま新書、2015年)を読む。

本書を読む者が痛感せざるを得ないことは次の二点である。一、日本国憲法はGHQの押しつけだとする主張は歴史的に弱く、低水準な言説である。二、自民党の改憲案がいかに時代に逆行しており危険な代物であるか。

確かに敗戦直後(終戦と曖昧な言葉を使い続けているが)、明治憲法から大きく変わらないものを当初構想した日本政府に対し、GHQが提示した方針は、戦争の放棄と天皇制の維持であった。後者は、沖縄の基地化を前提としての昭和天皇とマッカーサーとの合作として知られているが(豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』に詳しい)、本書の分析はむしろ前者についてである。

9条」の第1項は平和条項、第2項は戦争放棄条項である。マッカーサー草案にもGHQ案にも、第2項の方針はあっても、平和を積極的に求める第1項の内容はなかった(言うまでもないことだが、現在詭弁のように使われる「積極的平和主義」とはまったく関係がない)。著者の丹念な研究によれば、これこそが、日本側の意思なのだった。それには、政府側の憲法問題調査委員会(宮沢俊義ら)や、民間側でそれよりも優れた案を提示した憲法研究会(鈴木安蔵、森戸辰男ら)が関わっていた。GHQ案は単純に「押しつけ」なのではなく、それを積極的に受け入れてジャンプ台とし、より良い憲法を生み出したのは、まぎれもなく日本の知性だったということになる。

戦後まもなく、日米は再軍備に舵を切った。9条第1項において「国際紛争を解決する手段としては」という部分と、第2項において「前項の目的を達するため」の部分は、芦田均が付加したとされている。これが「自衛戦力合憲論」の根拠とされるが、著者の結論は、それに対して否定的である(つまり、「前項の目的を達するため」は、国際紛争の解決よりも広くかかるという解釈)。もちろん異論はあろうが、この「芦田修正」の解釈が都合よく使われてきたことは否定できないだろう。

「日本国憲法」の平和主義は実に先駆的で、実際の効果を上げてきた。奇怪で単純な「押しつけ」論で片づけられるようなものではなく、日本オリジナルであることがよくわかる本である。

●参照
豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』
吉次公介『日米同盟はいかに作られたか』
ジョン・W・ダワー+ガバン・マコーマック『転換期の日本へ』
孫崎享『日本の国境問題』
波多野澄雄『国家と歴史』
『9条を抱きしめて ~元米海兵隊員が語る戦争と平和~』
沖縄「集団自決」問題(16) 沖縄戦・基地・9条


中尾勘二@裏窓

2015-05-06 23:39:54 | アヴァンギャルド・ジャズ

中尾勘二さんのソロライヴがゴールデン街の「裏窓」であると知り、足を運んだ。たぶん記者のDさんと酔って突入して以来、4年ぶりである。

ちょうど先日、中尾さんが加わっているグループ「ストラーダ」のライヴに行きそびれたこともあって、聴きたかったのである(『山道』と『Texas Underground』の2枚は昔からの愛聴盤)。

「裏窓」は狭い店で、6人座って満員。中尾さんはきっちり19時半に演奏をはじめた。その前に、多重録音をするが解説あり・なしのどちらがよいかと6人に訊ね、消極的なる満場一致で解説なしのもくもくプレイとなった。

1曲目は、訥々としたピアノ、かすれそうなヴァイオリン、いかにも木管らしき音のするクラリネット、さらに謎なドイツ語の朗々とした歌。2曲目は、声によるブギウギのようなドラムスとベースのパターン、やはりノリノリのピアノ、テナーサックス、謎なスキャット。これらの各要素を5分くらいずつ繰り返す。その間、ずっと向こう側の録音機を向いて、こちらを一顧だにしない。多重録音の結果を、曲が終わるたびに再生した。実に愉しい。なんてオリジナルな人なのだろう。

もう15年くらい前だったか、「コンポステラ」へのオマージュとして、故・篠田昌巳のかわりに林栄一さん、そしてオリジナルメンバーの中尾さんに関島岳郎さんが「フォトン」というグループを組んで演奏した。そのとき、林さんが中尾さんを評して「天才」だと言ったことを覚えている。

●参照
大島保克+オルケスタ・ボレ『今どぅ別り』 移民、棄民、基地
嘉手苅林次『My Sweet Home Koza』
船戸博史『Low Fish』
ふいご


石原岳+康勝栄@Bar Isshee

2015-05-06 00:55:48 | アヴァンギャルド・ジャズ

千駄木のBar Issheeに足を運び、石原岳さんと康勝栄さんのデュオを観る。

石原岳 (g, electronics)
康勝栄 (electronics)

ふたりとも正体不明の電子機器を駆使する。会場は石原さんの意向でかなり暗く抑えられ、その中で、顕示的なノイズと、闇の中からかそけき音を増幅してマクロな領域に持ってきたような音波とが混じり合う。生き物のようでもあり、人為のようでもあり。

そして、光も音に連動したりしなかったりして明滅し、眼も耳も刺激され、まるで花火大会に連れてこられたように脳が覚醒した。

ところで、石原さんは沖縄県東村高江の人。高江のヘリパッドに反対するステッカーを持って来ておられたので、2枚購入した。さっそくスーツケースに貼り付けることに決めた。

●参照
Sakurazaka ASYLUM 2013 -TAIWAN STYLU- 


ポール・ブレイ『Complete Savoy Sessions 1962-63』

2015-05-06 00:18:36 | アヴァンギャルド・ジャズ

ポール・ブレイ『Complete Savoy Sessions 1962-63』(Savoy、1962-63年)という再発盤を見つけた。サヴォイでのブレイの演奏は聴いたことがなかったし、『Footloose!』と『Syndrome』の2枚分が収録されていてお得。

Paul Bley (p)
Steve Swallow (b)
Pete La Roca (ds)

ブレイは1932年生まれだからこのとき30歳くらいだ。そんなに若いのに、既に、我こそは美なりといったような、自らの発する音に耽溺するようなスタイルを確立していて、ちょっと感動してしまう。実際に、次々に繰り出す和音が気持ち悪いほど美的なのだ。かつて新宿ピットインでブレイのソロピアノを聴いたとき、近くに座っていた観客が、「美しい・・・」と漏らしてしまったことを思い出した。ビル・エヴァンスとはまた違った形で、後のプレイヤーに大きな影響を与えているに違いない。

曲もいい。一緒に活動していたオーネット・コールマンの「When Will the Blues Leave?」や、前妻(このとき既に離婚していたんだっけ?)のカーラ・ブレイによる「Vaskar」など、聴いているこちらが溶けそうである。

スティーヴ・スワロウのベースはメリハリがあって気持ちがよいのだが、でろでろの変態的な甘さを全面に出してくるのはいつ頃からだろう(もちろん、褒め言葉である)。

●参照
ポール・ブレイ『Plays Carla Bley』
ポール・ブレイ『Homage to Carla』
ポール・ブレイ+チャーリー・ヘイデン+ポール・モチアン『Memoirs』
ポール・ブレイ『Solo in Mondsee』
イマジン・ザ・サウンド


大城立裕『対馬丸』

2015-05-05 08:45:00 | 沖縄

大城立裕『対馬丸』(講談社文庫、2005/2015年)を読む。

1944年8月、沖縄から「本土」に向かう疎開船・対馬丸が、米軍に撃沈された。乗船者1,661名のうち学童834名、さらに学童のなかで海に何日間も漂流して運よく生き残った数は約59名(確実に把握された数字ではない)。多くの子どもが犠牲になった悲劇とされているが、これは、半ば権力による人災であった。

というのも、沖縄からの疎開ということ自体が、沖縄戦を見越した人減らしと、それによる軍隊の食糧確保でもあったからだ。さらに、対馬丸には軍人も乗船し、軍事物資が積まれ、また2隻の軍艦が護衛についたことが、攻撃される原因にもなった。戦時国際法では非戦闘員を攻撃することを禁じていたからである。

対馬丸による疎開は、上意下達の厳しい国策として実施された。小説には、政府から沖縄の警察、市長、各学校の校長と下っていき、とにかく疎開者を集めることが強引になされたことが、よく描写されている。

沖縄からの疎開船は対馬丸だけではなかった。のべ187隻で、「本土」や台湾に7万人以上を運んだとされる(台湾疎開については、松田良孝『台湾疎開 「琉球難民」の1年11カ月』に詳しい)。また、このような悲劇も、対馬丸だけではなかった。

あまり知られていないことだが、対馬丸事件の8か月前に、対馬丸同様に疎開に向かう民間人多数を乗せた湖南丸が、やはり米軍に撃沈されている。しかし、このことは、日本軍によって伏せられ、数十年間も表に出てこなかったという(丸木美術館の宮良瑛子展)。そのことは、当然、対馬丸の乗船者は知るはずもなかった。そして海から救出されたあとでも、沈没した事実を含め、沖縄の親元に連絡することが固く禁じられた。とにかく戦争遂行のためである。

●参照 
丸木美術館の宮良瑛子展
松田良孝『台湾疎開 「琉球難民」の1年11カ月』
大城立裕『朝、上海に立ちつくす』
大城立裕『沖縄 「風土とこころ」への旅』
『現代沖縄文学作品選』
新城郁夫『沖縄を聞く』(大城立裕『朝、上海に立ちつくす』に言及)
植民地文化学会・フォーラム『「在日」とは何か』(大城立裕『カクテル・パーティ』に言及)
鹿野政直『沖縄の戦後思想を考える』(大城立裕の小説を「ヤマトへの距離感」として整理)
島尾敏雄対談集『ヤポネシア考』 憧憬と妄想(大城立裕との対談)
豊里友行『沖縄1999-2010 改訂増版』(大城立裕の小文を収録)


アンソニー・ブラクストン『Trio (Victoriaville) 2007』、『Quartet (Mestre) 2008』

2015-05-04 22:07:49 | アヴァンギャルド・ジャズ

アンソニー・ブラクストンテイラー・ホー・バイナム、メアリー・ハルヴァーソンと組んだ作品のうち、『Trio (Victoriaville) 2007』(Victo、2008年)と『Quartet (Mestre) 2008』(Caligola Records、2008年)を聴く。(JOEさんにご教示いただいた。)

Mary Halvorson (g)
Taylor Ho Bynum (cor, bugle, tb, tp, etc.)
Anthony Braxton (sopranino sax, ss, as, bs, bcl, electronics)

Diamond Curtain Wall Quartet:
Anthony Braxton (sopranino sax, ss, as, bcl, electronics)
Taylor Ho Bynum (cor, flh, tp, tb)
Mary Halvorson (g)
Katherine Young (basoon)

両作とも文字通り眩暈がするようだ。もちろんその条件は揃っている。

重力を無視したハルヴァーソンに、やはり空中浮遊型のバイナム。そして、既存のコードや、こぶしや、泣きや、ブルースなどどこ吹く風で微分的・記号的な音を飽くことなく繰り出し続けるブラクストン。さらにエレクトロニクスの音が時空間に微妙な歪みを与える。寄る辺なき音楽なのである。いやあ、面白い。

どちらかといえば、バスーンが入ったことがさらなる刺激剤となったのか、後者のほうがアグレッシブだ。そして、ブラクストンの存在感は際立っており、かれがピロピロとまことに軽々しく吹き始めると、世界がブラクストン一色になってしまう。

「ブラクストンが好きだというジャズ・ファンを信用しない」と言い切った評論家がいたことを思い出す。

●参照
ブラクストン、グレイヴス、パーカー『Beyond Quantum』
アンソニー・ブラクストンはピアノを弾いていた
ブラクストン+ブロッツマン+バーグマン『Eight by Three』
アンソニー・ブラクストン『捧げものとしての4つの作品』
デイヴ・ホランド『Conference of the Birds』(ブラクストン参加)
ムハール・リチャード・エイブラムス『1-OQA+19』(ブラクストン参加)
Book of Three 『Continuum (2012)』(バイナム参加)
ステファン・クランプ+メアリー・ハルヴァーソン『Super Eight』
イングリッド・ラブロック、メアリー・ハルヴァーソン、クリス・デイヴィス、マット・マネリ @The Stone
メアリー・ハルヴァーソン『Thumbscrew』
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Electric Fruit』
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Mechanical Malfunction』
イングリッド・ラブロック『Zurich Concert』(ハルヴァーソン参加)
イングリッド・ラブロック(Anti-House)『Strong Place』(ハルヴァーソン参加)
ジャズ的写真集(2) 中平穂積『JAZZ GIANTS 1961-2002』


『9条を抱きしめて ~元米海兵隊員が語る戦争と平和~』

2015-05-04 09:39:44 | 沖縄

NNNドキュメント'15」枠で放送された『9条を抱きしめて ~元米海兵隊員が語る戦争と平和~』(2015/5/3放送)を観る。

元米海兵隊員とは故アレン・ネルソン氏である。アメリカではどの町にもあるという軍人勧誘の事務所において、1965年、若き日のネルソン氏は貧困から抜け出せると言われ、入隊した(日本でも、自衛隊員勧誘は同じ構造である)。そこで教えられたのは、「徹底的に何も考えず敵を殺す」こと。北爆開始から間もない1966年、氏はベトナム戦争に駆り出され、数えきれないほどのベトナム人を殺す。それはベトコン、民間人を問わないものであった。帰国後、多くの帰還兵と同様にPTSDに苦しむ。そして、1995年の沖縄における米兵少女暴行事件をきっかけに、基地や戦争という装置のからくりを明確に意識し、また、日本国憲法の第9条を知る。

ネルソン氏が憲法9条を読んだとき、飛び上がるほど驚いたという。氏は、それをキング牧師の演説と同様の水準・衝撃とする。一方、この憲法の価値をまったく認識せず破壊してしまおうとする為政者は、最近の米国での演説において、こともあろうにキング牧師の演説を引用してみせた。それは間違っているばかりでなく、植民地主義に支配される側からの肯定なのだった。

番組にはダグラス・ラミス氏も登場し、基地は、植民地主義の象徴などではなく、植民地そのものなのだと説いている。

●参照
エンリコ・パレンティ+トーマス・ファツィ『誰も知らない基地のこと』(ネルソン氏登場)
アレン・ネルソン『元米海兵隊員の語る戦争と平和』
小森陽一『ことばの力 平和の力』
沖縄「集団自決」問題(16) 沖縄戦・基地・9条

●NNNドキュメント
『“じいちゃん”の戦争 孫と歩いた激戦地ペリリュー』(2015年)
『100歳、叫ぶ 元従軍記者の戦争反対』(2015年)
『日本地図から消えた島 奄美 無血の復帰から60年』(2014年)
大島渚『忘れられた皇軍』(2014年)
『ルル、ラン どこに帰ろうか タンチョウ相次ぐ衝突死』(2013年)
『狂気の正体 連合赤軍兵士41年目の証言』(2013年)
『活断層と原発、そして廃炉 アメリカ、ドイツ、日本の選択』(2013年)
『沖縄からの手紙』(2012年)
『八ッ場 長すぎる翻弄』(2012年)
『鉄条網とアメとムチ』、『基地の町に生きて』(2008、11年)
『沖縄・43年目のクラス会』(2010年)
『風の民、練塀の街』(2010年)
『証言 集団自決』(2008年)
『ひめゆり戦史』、『空白の戦史』(1979、80年)
『毒ガスは去ったが』、『広場の戦争展・ある「在日沖縄人」の痛恨行脚』(1971、79年)
『沖縄の十八歳』、『一幕一場・沖縄人類館』、『戦世の六月・「沖縄の十八歳」は今』 (1966、78、1983年)


大島渚『Kyoto, My Mother's Place』

2015-05-04 07:28:10 | 関西

大島渚『Kyoto, My Mother's Place』(1991年)を観る。

大島渚が、英BBCから依頼されて撮った1時間弱のテレビドキュメンタリーである。なお、大島の意向により16ミリフィルムが使われており、フィルムならではの淡く美しい映像となっている。『戦後50年 映画100年』に収録されたシナリオを読んで以来ずっと観たいものだと思っていたが、2014年にようやくDVD化された。

京都は大島が生まれた場所ではない。瀬戸内の海の近くに生まれ(そのために渚と命名された)、「王子」のような幼少時代を送っていたが、小学1年を終えたころ、父親の死により、母親の実家がある京都に越してくることになる。そこは、タイトルにあるように、自分の土地ではなく母の土地であった。

開放から閉鎖へ、明から暗へ。大島は京都を憎んだ。

「権力者にはそむかず……
 隣近所に気を使い……
 摩擦を起こさず……
 火事を出さず……
 美しく飾り……
 何事にも堪え忍ぶ……
 こうして美しい京都は完成した。
 若い私にはそれが我慢ならなかった。
 どうして堪え忍ばなければならないんだ。
 京都なんか燃えてなくなればいいんだ。
 私は中世末期の戦乱の中の英雄、織田信長のことを考えていた。」

この怨嗟の声を裏返しにするとまさに大島渚の作品になる。大島が(外国向けということもあってか)外から第三者が観察したように京都の歴史を語ってみせることも興味深い。町家や街路や寺を撮るカメラアングルには、悪意が漲っている。

その一方で、語りの中と声の表情に、憎しみとは正反対の愛情も同時に強く感じられることが、実に面白い。

●参照
大島渚『飼育』(1961年)
大島渚『忘れられた皇軍』(1963年)
大島渚『青春の碑』(1964年)
大島渚『アジアの曙』(1964-65年)
大島渚『大東亜戦争』(1968年)
大島渚『新宿泥棒日記』(1969年)
大島渚『少年』(1969年)
大島渚『夏の妹』(1972年)
大島渚『戦場のメリークリスマス』(1983年)


ブッチ・モリス『Possible Universe / Conduction 192』

2015-05-03 19:48:42 | アヴァンギャルド・ジャズ

ブッチ・モリス『Possible Universe / Conduction 192』(NBA/SAJazz、2010年)を聴く。

David Murray (ts, bcl)
Evan Parker (ts)
Pasquale Innarella (as)
Greg Ward (as)
Joe Bowie (tb)
Tony Cattano (tb)
Meg Montgomery (el-tp)
Riccardo Pittau (tp)
Jean-Paul Bourelly (g)
On Ka'a Davis (g)
Harrison Bankhead (b)
Silvia Bolognesi (b)
Chad Taylor (ds, vib)
Hamid Drake (perc)
Alan Silva (syn)
Lawrence D. "Butch" Morris (conductor)

・・・というか、再生するまでDVDだと思っていた。ニューヨークのDowntown Music GalleryでもDVDの棚に置いてあったし。故ブッチ・モリスの「コンダクション」が、実際にはどのような指示を出し、どのようなプレイヤーの自由度をもって繰り広げられていたのか興味があっただけに、とても残念。

それはそれとして、なかなか豪華なメンバーである。トロンボーンがいることで、サウンドの分厚さが強調されているように聴こえる。アラン・シルヴァのシンセも目立っている。そして何より、エヴァン・パーカーとデイヴィッド・マレイが一緒に座ってテナーサックスを吹くなんて考えられない。ここではパーカーも見せ場を作るのではあるけれど、マレイの味が目立ちまくっている。

いやホントに、映像であったらどんなに愉しかっただろう。

●参照
ブッチ・モリス『Dust to Dust』


ウェイ・ダーション『セデック・バレ』

2015-05-03 18:19:02 | 中国・台湾

ウェイ・ダーション『セデック・バレ』(2011年)を観る。なかなか観る機会が訪れないため、英語字幕のDVDを入手した。

1930年、日本統治下の台湾。原住民(=先住民族)のセデック族は、自分たちの文化や生活を破壊するだけでなく、近代化前の劣る存在とみなし、労働力として酷使する日本に対し、次第に怒りをつのらせていった。そして霧深い運動会の日に蹶起する。男たちは少人数ながら、山の地形や植生を最大限に利用し(何と、オオタニワタリの上から攻撃したりもする)、ゲリラ戦を有効に展開する。それに対し、日本軍と警察とは、近代兵器で反抗し、部族間の争いも利用する。

この「霧社事件」を描いた映画は4時間半と非常に長いが、迫力のあるスペクタクルでまったく飽きさせない。もっとも、史実ではここまで日本側に打撃を与えたわけではないようである。

植民地統治のあり方については、やはりと言うべきか、悪辣なる日本人が登場する。もっとも、このような者もいただろうなと思える描写である。またそれに加え、陸川『南京!南京!』がそうであったように、原住民と心を通わせる善良な軍人も登場する。だが、この軍人も、自分が憎しみの対象となり、善意を上から施してやるという一方的なパターナリズムが通用しなくなると、結局は弾圧に疑いを持たず加担する。

ああ、思い出した。先日友人と西新宿の台湾料理店「山珍居」で夕食を取っていたところ、真後ろに座っていたいい歳の女性が「台湾って、どこかの植民地なんだっけ?」と恥じらいもなく大声で訊いていたことを。歴史とはいつまでたっても非対称なものである。

●参照
Sakurazaka ASYLUM 2013 -TAIWAN STYLU-
何義麟『台湾現代史』
丸川哲史『台湾ナショナリズム』


福岡伸一『フェルメール 光の王国』

2015-05-03 09:21:16 | アート・映画

福岡伸一『フェルメール 光の王国』(木楽舎、2011年)を読む。

ANAの機内誌に2007年から11年まで断続的に連載されたものをもとにしており、わたしもそのいくつかは読んだ記憶がある。いかにも機内誌らしく、著者の福岡氏が、実際にフェルメールの作品を所蔵している美術館まで旅をするという贅沢な企画だ。もちろん、贅沢というのはおカネの贅沢だけではなく、眼の贅沢でもある。フェルメールのみならず、多くの美術作品は、実際に現物と向き合ってこそ体感できるからである。

ヨハネス・フェルメールは17世紀オランダの画家。真贋不明なものも含め、かれの現存する作品は三十数点のみ。そのすべてとは言わないが、絵の前に立つと、その奇跡のような光と影との現出に息を呑み、しばらくの間見入ってしまう魅力がある。人気があるのは、ブランド志向ではないのだ。

著者は、この光と影のありさまを、「光のつぶだち」と呼んでいる。また、こちら側と向こう側の間や対象のエッジが「融ける」ようだとも。まさにそれは、著者が探偵のように解き明かしていく通り、フェルメールが科学の眼と芸術家の眼をもって、光のヒミツを自らのものとしたからであった。そして、その背景には、ガリレオ・ガリレイが宇宙と地球のヒミツを垣間見、同じデルフトという街で生きたアントニ・ファン・レーウェンフックという市井の学者が顕微鏡で光を手なずけはじめ、フェルメール自身もカメラ・オブスクーラという装置で光を二次情報化していたということがあった。なるほど、納得である。

この福岡氏を含め、世にはフェルメール詣でを行う人が少なくないという。わたしは機会があれば観てきただけであり、数えてみると、ロンドンのナショナル・ギャラリー、パリのルーヴル美術館、先日行ったニューヨークのフリック・コレクションとメトロポリタン美術館、来日した作品を含め、今のところ14点。数字で言えばまだ三十数点の半人前にも達していない。本書を読むと、ドイツにもフェルメールを求めて行ってみたくなってくる。その前に、新美術館にルーヴルから来日中の「天文学者」を再見するか、最初期の作品とされる「聖プラクセディス」を観るか(フェルメールらしさは稀薄なようだけれど)。

●参照
メトロポリタン美術館のフェルメール、ティルマンス、キャリントン
フリック・コレクションのフェルメール
テート・モダンとソフィアのゲルハルト・リヒター