すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

摘草やれずに摘読だあ

2021年04月10日 | 読書
 木曜朝には下の孫を連れて近所を散歩し、今年初のバッケを収穫。夕食の天ぷらで食した。そろそろ春山へと思うが、何しろ花粉が怖い。そんなこともあり草木の恵みは後回しにして読書でも…ということは全くなくて、相変わらずの風呂場と寝床での乱読。でも、この2冊は読み切れなかったなあ。集中力不足かあ。


『ガリヴァーの帽子』(吉田篤弘 文春文庫)

 今までも時々、うあっ難しい(というよりついていけない)と思う作品に出合っていた。今回は短編集なので8割方読んだが、正直散漫でイメージ化できないままだ。ただ、一つだけ「かくかくしかじか----あるいは彗星を見るということ」はユニークで、楽しめた。ああ、こういう手法があったかと思わせられる逸品だ。

 30ページ足らずの話に、毎ページにほぼ数回登場してくる箇所がある。それは「……。 ……。」の2行。横書きではなく縦書きである。何を表しているか。それはいわゆる沈黙、空白ではなく、話者の姿そのものだ。つまり「泡」。「笑わば笑え。我らシャンパンの泡を。」という一行に込められたセンスの良さ。さすがです。


『オックスフォードからの警鐘』(苅谷剛彦 中公新書ラクレ)

 間違いなく「現代日本の知性」に数えられる学者の一人だと思う。「グローバル化時代の大学論」と副題で、ここ数年の論考がまとめられていた。序章「日本の大学が世界の大学が『落ちこぼれ』になる」はしっかり読み、ほぼ趣旨を理解した(気になった)。あとは飛ばし気味になぞった…しかし、後半でまた読み入る。

 「成人力がトップなのに生産性が低い理由」と題した章には得心した。高学歴社会が進んだ我が国で「増大した人的資本は付加価値を生む資本になりきれず、その高度化した能力はより高度なサービスを提供する中で使い果たされる」と指摘した。それが賃金の上昇より「過剰なサービス」を生んだという。さすがです。


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