「いきなりはじめる仏教入門」内田樹/釈徹宗
昨年は何冊か仏教系の本を読んだ。
何となく気になったから。
この本では、そう言った「モヤモヤした感じ」を説明してくれている。
「啐啄(そつたく)の機」とは?
P26
「雛が卵から出ようとして内側から殻をつつく」のが「啐」、母鳥が雛を孵そうとして卵をつつくのが「啄」、これが同時になされる絶妙の時期を指します。
因果律とは?
P27
因果律とは、「あらゆる現象や存在には、原因がある。原因があれば必ず結果がある」という原則です。この法則には例外はない、とうことで仏教は成り立っています。
(ただし、P31にあるように、因果律に基づかない宗教も少なくありません、と・・・キリスト教やイスラム教などもそうです、と)
P33
仏教から見れば、「自己実現」、という概念などは、かなり怪しい、ということになります。(中略)首尾一貫している自己がどこにあるかというストーリーに振り回されちゃいけない、と説きます。
P73
宗教とは、聖なる領域をもち、人間の行為や思考に意味を与え、行動様式を形成する体系、と理解することが可能です。
P80
執着 一般には「しゅうちゃく」と読みますが、仏教用語では「しゅうじゃく」となります。私たちの日常の言葉は漢音読みが多いのですが、仏教用語は呉音の読み方(禅系の用語は、宋の読み方が多い)をする傾向があるからです。
P132
少なくとも、一度は宗教について、自分なりに取り組み、それなりの解決をつけねばなりません。言ってみれば、経済理論は必要なくても、きちんとお金の使い方は学ばねばならない、ってところです。
お正月に初詣にいったい何人が出かけるか?
・・・九千万人弱、と。
P 136
メッカに巡礼するムスリムもびっくり!
P165
智慧はパーリ語でパンニャーと言いますので、それを音写して「般若波羅蜜」とも言います。
(中略)「慈悲なき智慧」も、「智慧なき慈悲」も波羅蜜にならないのです。
なお、今作品は「インターネット持仏堂1 いきなりはじめる浄土真宗」の文庫版、である。
釈徹宗さんの説明は分かりやすい。
他の作品も読んでみようかな。
【参考リンク】
内田樹の研究室
【ネット上の紹介】
仏教について何も知らない哲学者が、いきなり仏道に入門!?ゼロから刻苦勉励を重ねて、仏道とは何であるかを自得できるのか?レヴィナス、ヒューム、ラカン、カント、デリダ、甲野善紀、マタイ伝―。思想と身体性を武器に、常識感覚で果敢に宗教に挑み、「悟りとは何か」「死ぬことは苦しみか」「因果とは何か」「日本人の宗教性とは」など、根源的なテーマについて、丁々発止の激論を交わし合う。知的でユニークな仏教入門。
[目次]
その1 はじめに‐私の「ご縁」論―私がまさにそのときに会うべき人がちゃんと私を待っている
その2 仏教における「自由と宿命」―仏教はどこまでいっても「因果律に則った自由意志」です。しかし…
その3 「因果」論‐月光仮面・マタイ伝・レヴィナス―必ずしも「原因」が先にあって「結果」が後にある、というものではない
その4 仏教の因果―その落とし穴を避けるためにこそ仏教の因果律という認識手法はあるのです
その5 「宿命」論―宿命というのは、それが宿命であることが私たちに知られない限りにおいて宿命として機能する
その6 仏教の基盤をひとまとめ―もし、“仏教”という商品のカタログがあるなら、そこにはぜひ「脱構築機能内蔵」と
その7 「死ぬこと」は苦しみか?―なぜ「殺す技術」であるはずの武術の修行が人間にとって意味があるのか
その8 仏教の悟り―「生きる」ほうが「死」よりも苦しいという場合もあります
その9 「日本人の宗教性」について―自分自身を顧みて思うのですが、私はかなり宗教的な人間だと思います
その10 賢者と愚者の宗教性―宗教性を成熟させた人には、賢者と愚者、両側面を確認することができます
その11 「善性」と「邪悪」について―欲望は欲望を充足させるものすべての彼方を欲望する byレヴィナス
【仏教関連の作品】
「梅原猛、日本仏教をゆく」梅原猛
「梅原猛の授業道徳」梅原猛
「梅原猛の授業仏教」梅原猛