原題:『The Visitor』
監督:トム・マッカーシー
脚本:トム・マッカーシー
撮影:オリヴァー・ボーケルバーグ
出演:リチャード・ジェンキンス/ヒアム・アッバス/ハーズ・スレイマン/ダナイ・グリラ
2007年/アメリカ
「メロディー」から「ビート」へ
コネチカット州の大学教授である62歳のウォルター・ヴェイルはCDをリリースするほどのプロとして活躍していたピアニストの妻を亡くしたことから、すっかり生きがいを失っており、本の執筆を理由に授業も週に一コマしか受け持っていないのであるが、実は本を書く気力さえ無い有様である。せめて妻が奏でていた音を自ら再現してみようとピアノ教師を雇っては練習してみるのであるが、子供扱いされることを嫌い、すぐに教師を変えてしまう結果、ピアノが弾ける兆しさえ見えない。
ウォルターがシリア出身の移民青年であるタレクと出会ったのはそんな時期だった。ウォルターはタレクからジャンベというアフリカの太鼓の叩き方を教えてもらう。ピアノと比較するならば明らかに習得しやすいジャンベに生きがいを見出したウォルターが人生に再びかつての輝きを取り戻そうとしていた矢先に、タレクが警察に捕まってしまう。ウォルターは知り合いの弁護士を通じてどうにかしてタレクを助け出そうと尽力するのであるが、「9.11」を経験したアメリカはもはや移民に対して以前のような寛大さを持ち合わせておらず、タレクは入国管理局の拘置所へ移送された後に、強制送還されてしまう。
そこでラストの印象的なシーンを迎える。ウォルターが一人で駅の構内でジャンベを叩き続けるのであるが、それはまるでピアノを諦めて‘メロディー’を失ったウォルターが彩を表現することは出来ないまでも、せめて‘ビート’だけは途切れないようにもがいているように見える。しかし‘メロディー’と比べて変化の乏しい‘ビート’はタレクに対するウォルターの無力さを現し、せいぜい現状肯定とその維持に甘んじるしかなく、それは今のアメリカの異物に対する非寛容の象徴として虚しく響くのである。