原題:『The Photograph』
監督:マチェイ・アダメク
脚本:マチェイ・アダメク
撮影:トメク・ミハウォフスキ
出演:マチェイ・ワゴジンスキ/アントニ・パヴリツキ/カロリナ・ゴルチツァ/アンジェイ・ヒラ
2012年/ポーランド・ドイツ・ハンガリー
(SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2013)
ある映画監督の「覚悟」
17歳の主人公であるアダムが父親と一緒に海岸で波と戯れるシーンから始まる冒頭のシーンはアダムがDVDカメラで撮影を始めると何故か父親の姿が無くなってしまう。そんな夢から覚めたアダムは病気で療養地に向かう母親を駅で見送った後に、母親が隠していた写真を発見する。そこには妊婦の母親の姿が写っていたのであるが、一緒に写っている笑顔の男性は父親ではなかった。その写真に関する誤解は最後には解けるのであるが、アダムの映像に関する誤解はそれだけではない。雇われのバーテンダーがエヴァと海岸で仲良さそうに遊んでいるところを目撃して、挨拶をしてきたバーテンダーを無視したり、エヴァがボーイフレンドに告白するために撮ったDVDのメッセージを自分に宛てたものだと勘違いしたりしている。つまり監督は自分が撮った作品の意図が正確に観客に伝わることはありえず、正確にメッセージが受け止められるとするならば、それは例えば、最後にアダムが母親に母親と祖母が一緒に映った写真を渡したり、あるいはアダムは断られてしまったが、初老の写真家が信頼されて墓掘り人の仕事現場を撮ったりするという関係の密接さの中にしかないという覚悟があるのだと思うが、映画監督の覚悟としてはなかなか厳しいものではないだろうか。