原題:『風立ちぬ』
監督:宮崎駿
脚本:宮崎駿
撮影:奥井敦
出演:庵野秀明/瀧本美織/西島秀俊/西村雅彦/スティーブン・アルパート/風間杜夫
2013年/日本
偏見に捕われ続けるアニメーションについて
最初に、2013年7月21日付けの毎日新聞「日曜くらぶ」に掲載されていた「藤原帰一の映画愛」の『風立ちぬ』のレビューを全て引用してみたい。「宮崎駿監督、5年ぶりの新作。『風の谷のナウシカ』から数えても30年近く『となりのトトロ』、『もののけ姫』などの傑作を発表してきた世界的な芸術家ですね。前作の『崖の上のポニョ』は思い切って幼児向きの作品でしたが、今度は大人。堀辰雄『風立ちぬ』と『菜穂子』を下敷きにした純愛物語に、ゼロ戦として知られる戦闘機の制作秘話を重ね合わせたお話です。/飛行機の設計者になりたくて東京の大学に入った堀越二郎は、美しい少女、立見菜穂子と出会う。その時に起こった関東大震災で二郎は菜穂子を助け、そのまま離ればなれになってしまいます。それから10年たち、飛行機の設計技師となった二郎は菜穂子と再会して恋に落ちますが、菜穂子は結核を病んでいた。そこから、菜穂子の限られた命と競い合うようにゼロ戦開発を急ぐ二郎の日々が始まります。/まず言わなくいてはいけないのはこの映画の美しさ。アニメはもちろん実写も含めて、今の映画界で宮崎駿ほど森の緑を表現できる人はいない。『もののけ姫』に映し出された風にそよぐ木々の葉や木漏れ日が忘れられません。この『風立ちぬ』でも、緑、風、雲、そして光が輝いている。屋内場面でも、煤けた窓を通した光など、繊細なディテールが素晴らしい。昭和初期の街並みなど、時代考証を踏まえた作画が、この光の感覚によって活かされています。/ですから極上に美しい。しかも重病の少女を一途に想い続けるのですから、多くの皆さんも感動されるでしょう。/でも、私は、感動しなかった。なぜかといえば、子どもっぽいと思ったから。少数意見を承知で、事情を申し上げます。/心の中に子どもがいるから描くことができる夢があります。『魔女の宅急便』や『千と千尋の神隠し』は大人が子どもに合わせて裏声で歌うのではなく、大人の中の子どもをそのままかたちにしたからこそ、胸を打つのでしょう。見ている大人の方も心の中には子どもが残っていますから、映画館に連れて行った子どもばかりでなく、自分まで感動することになるわけです。/とはいえ、子どものままでは未熟な大人に過ぎない。子どものまま大人になった人は、自分で向かい合い、学び、行動を選ばなければいけない現実から目を背けているからこそ、子どものままでいることができる。その子どもらしさは美しくありません。/夢の飛行機をつくる人生もいいのですが、戦闘機の美しさは戦場の現実と裏表の関係にある。宮崎駿が戦争を賛美しているとは思いませんが、戦争の現実を切り離して飛行機の美しさだけに惑溺する姿には、還暦を迎えてもプラ模型を手放せない男のように子どもっぽい印象が残ります。/恋愛もそうです。堀辰雄の小説にも結核に冒された女性と、その女性に寄り添う男が登場しますが、ここでは病苦の女性に男が尽くし続けるから恋愛小説になるわけですね。サナトリウムで療養できる結核患者が戦前の日本にどれほどいたのかという意地悪な問いは別としても、映画の『風立ちぬ』では男が女に尽くすのではなく、結核を病んだ女性の方が男に最後まで尽くし続ける。現実の堀辰雄も闘病生活の最後まで多恵子夫人に支えられたということですが、この筋書きではゼロ戦と女性のどちらを選ぶのかを迫られることもない。思い通りに進む、都合の良すぎる恋愛です。/大人になっても子どもの心を保つのは天才の条件でしょう。その力が宮崎監督の数々の名作を支えてきました。でも、子どもの心だけでは足りないものもある。私にとっての『風立ちぬ』は美しく、やるせない作品でした。」
この東京大学教授は少数意見としてレビューを書き記しているが、「宮崎駿監督的」なもの、あるいは「純愛物語的」なものという偏見を持って観賞した結果、自分がイメージしたものとそぐわないという理由から本作を失敗作とみなしてしまう点に関していうならば、決して少数意見ではないと思う。アニメーションという性格から可愛い絵を見くびって騙されてしまいがちなこともよくあると思うのであるが、偏見を持って観るならば、私たちには映画を観る意味がない。あくまでも映画は未知の体験でなければならず、映画が「既知の体験」であるならば、偏見を反芻していればいいだけのことなのだから。
作品の冒頭、飛行機に憧れているまだ幼い主人公の堀越二郎が、夢の中で世界的に著名な飛行機製作者であるカプローニとの邂逅から始まるように、現実世界においてはゼロ戦の設計に携わりながら堀越は、絶えずカプローニとの出会いを夢見がちな男として描かれている。だから結核で療養していたサナトリウムから堀越に会いにやって来た菜穂子に対して、堀越は菜穂子の体を気遣ってサナトリウムに帰らせることなく、病気を患う妻を看病する夫という「理想の夫婦像」を夢見るように菜穂子と同棲するようになる。菜穂子の体を配慮する気遣いがあるならば、横で寝ている菜穂子のそばで仕事をしながらタバコを吸うわけがない。多くを語ることはなかったが、そのような堀越の不実さに菜穂子は絶望してサナトリウムに戻っていったのではなかったのか。その後、ゼロ戦の残骸で埋め尽くされた大地を目の当たりにしながら、なおも最後までカプローニの夢を見て、恐らく亡くなったであろう菜穂子が夢に現れても、号泣することなく、「良い思い出」として浸ってしまう堀越の人物像を勘案するならば、堀越の声を担当した庵野秀明の、感情が欠落したセリフの棒読みも手伝って、「現実を直視せず、夢ばかり見ている男はバカだ」というメッセージが隠されていることは間違いないであろう。そのメッセージは徹底しており、ラストのタイトルバックで、無人の背景に荒井由実(松任谷由実)の「ひこうき雲」をBGMに流すというアイロニーで示されることになる。
NPO法人日本禁煙学会が、肺結核で伏している妻の手を握りながら夫がたばこを吸う場面があることを特に問題視し、「なぜこの場面でたばこが使われなくてはならなかったのか。他の方法でも十分表現できたはず」と要望書で批判しているようだが、この場面で堀越が喫煙している理由は上記の通りで、たばこではない、他の方法でどのように表現できたのか具体的に指摘しなければ、禁煙ファシズムという非難は免れないと思う。
誤解のないように記しておくならば、本作はフィクションであって、実際の堀越二郎はいくらゼロ戦が優れていたとはいえ、アメリカ海軍のF6Fに勝てるとは思っていなかったであろう。
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