MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『おんなの渦と渕と流れ』

2016-12-04 23:42:55 | goo映画レビュー

原題:『おんなの渦と渕と流れ』
監督:中平康
脚本:成澤昌茂
撮影:山崎善弘
出演:仲谷昇/稲野和子/雨宮節子/北村和夫/巌金四郎/加藤武/川地民夫/谷口香/沢村貞子
1964年/日本

夢見る男と現実の厳しさに耐える女について

 ストーリーは「渦」「淵」「流れ」と三部構成になっている。「渦」では主人公の沼波敬吉のモノローグがメインで、昭和13年に中国の大連で結婚した須賀子との関係に苦悩している。苦悩とは言っても結婚するまで童貞だった敬吉が須賀子の過去と現在の男性関係を疑っているという単純なものである。
 大学で英文学を教えていた
敬吉は、例えば、D・H・ローレンスの『虹』などの本を須賀子に与えるのだが、全く興味を示さないためにさらにウィリアム・シェイクスピアの『トロイラスとクレシダ』の翻訳に没頭するようになる。しかし家に遊びに来ていた友人で小説家の田所に、須賀子に誘惑されたと告げられるとますます須賀子に対する疑念を深める。
 「淵」では終戦後の昭和22年になって金沢に帰国した後、文学の研究者として生業が成り立たなかった敬吉の代わりに生活費を稼ぐために須賀子は小料理屋を始める。敬吉は旅行に行く振りをしながら自宅の押し入れに隠れ、ナイフで壁に穴を開け、常連客で土木建築業の大谷浩平と須賀子が関係を持つところを目撃してしまうのであるが、須賀子の口から漏れた言葉は「愛している」ではなく「死にたい」だった。
 「流れ」では舞台が東京に移る。須賀子の伯父である片瀬直彦が北海道に引っ越したために空き家になった家に2人が住むことになり、敬吉も「プラトン出版社」に勤めるようになる。敬吉は同じ職場に勤める志村広子が文学に興味があることを知り、家庭が貧しい広子に弁当を与えたり、自宅に招待して3人で食事をしたり、ゆくゆくは自分の仕事を手伝ってもらおうと考えていたのだが、そんな敬吉の意欲とは反対に須賀子は隣人の関口富子がかつて片瀬の愛人だったことを知り、息子の研一にも言い寄られて落ち込んでいる。関口家は妹が売春することで生活費のみならず、研一の授業料まで賄っていたのであるが、それはかつて須賀子が働いて敬吉が翻訳に没頭する構図と重なる。つまりここでは「理想(=プラトニックラブ)」に生きる男性と、現実の荒波の中を生きなければならない女性とのコントラストが描かれているのである。
 もう一つ重要な点として片瀬直彦の存在を見逃してはならない。昭和6年頃のまだ女学生だった須賀子に性的いたずらをしたのは中国文学者の片瀬なのであり、それは敗戦により中国で受けた日本人のトラウマが暗示されているはずである。「英文学」に夢中な敬吉はその肝心なことに気がつかず、須賀子の、聖書の「誤読」による自死を止められなかったのではないのか。


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