現在、東京の国立西洋美術館で『クラーナハ展(Lucas Cranach)』が催されている。
クラーナハは日本ではあまり馴染みがないようだが、パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)や
マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)などが、クラーナハの描く裸体のエロスをいち早く
見いだして、自分の作品に取り入れている。しかし日本においてルカス・クラーナハがあまり
人気がない理由が本作を観ていて何となく分かったような気がする。
『ディアナとアクタイオン(Diana and Actaeon)』(1550年頃)
例えば、上の作品はクラーナハの息子のものであるが、女性の顔が同じなのである。
『子どもたちを祝福するキリスト(Suffer the Little Children to Come unto Me)』(1540年頃)
あるいは、上の作品の女性と子供たちも全員同じような顔をしている。顔に個性がないと
日本では受けが良くないように思う。
『正義の寓意(ユスティティア)(Allegory of Justice : Justitia)』(1537年)
だから上の作品を基に、中国の100人の画家に模写させるコンペティションを経て90作品と
ヴィデオを一堂に並べたレイラ・パズーキ(Leila Pazooki)の2011年の作品である
『A Painting Competition of Allegory of Justice by Lucas Cranach the Elder 1537』は
似たような体型でありながら個々に違った顔を持つところにその批評性を見るべきなのである。