MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『塩狩峠』

2016-12-03 23:39:43 | goo映画レビュー

原題:『塩狩峠』
監督:中村登
脚本:楠田芳子
撮影:竹村博
出演:中野誠也/武内亨/長谷川哲夫/佐藤オリエ/野村昭子/新克利/近藤洋介
1973年/日本

悲劇を作る信者の「自己犠牲」について

 実話を基にした物語なのであまり悪口は言いたくないのだが、結果的には信者を救うためのキリスト教色が却って強すぎたが故の悲劇のように思う。
 主人公の永野信夫が幼なじみの吉川ふじ子と結婚式を挙げるためにふじ子が待つ札幌へ行く名寄発の蒸気機関車で同僚の三堀峰吉と向かっている。その車内で幼少の頃からの回想シーンが挟まれる。信夫は幼少の頃、母親が死んだと教えられていたのだが、それは母親の永野菊がキリスト教徒だったため姑に追い出されていたのである。しかし姑の死と共に信夫は父親の永野貞行と菊と実の妹の待子と一緒に暮らすようになる。
 幼なじみの吉川ふじ子もキリスト教信者だった。幼い頃からふじ子は肺結核やカリエスを患っており、「びっこ」と罵られていた時はふじ子の兄の吉川修と共に信夫は相手と取っ組み合いの喧嘩をしていた。学校を卒業し裁判所の事務員を経て信夫は修に誘われて札幌の北海道炭鉱鉄道に就職し、信夫はふじ子に再会することになるが、ふじ子は結核が再発し婚約を破棄されたばかりだった。
 信夫が押し花を作るなどして床に臥すふじ子を励ましている内にふじ子はようやく歩けるまでに快復し結婚することになるのだが、結婚式を目前にして事故が起こる。塩狩峠付近で自分たちが乗っている最後部客車の連結部分が機関車から外れてしまい、坂を降るように後ろに暴走し始めカーブにさしかかる。ブレーキも利かなかったために信夫が身を挺して客車を止めたことが美談として描かれているのである。
 しかしどうも信夫の行動が腑に落ちないのである。そもそも信夫は素人ではなく鉄道員であり、身を挺する前に客車内にある乗客の荷物などを車輪に挟み込んで止められる可能性があったように見えるのである。つまりキリスト教信者であるが故に客車を止められる他の可能性やふじ子などの身内のことを慮る前に自らレールに飛び降りて列車を止めるという選択をしたように見え、これでは「狂信者」と見なされても仕方がないのではないだろうか。
 いずれにしても「びっこ」という言葉や、当時は差別語であったプロテスタント信者に対する「耶蘇」という言葉の連発でテレビで放送される可能性は全くない。


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