原題:『The Naked Kiss』
監督:サミュエル・フラー
脚本:サミュエル・フラー
撮影:スタンリー・コルテス
出演:コンスタンス・タワーズ/アンソニー・ビスリー/マイケル・ダンテ/ヴァージニア・グレイ
1964年/アメリカ
「裸のキッス」の威力について
サミュエル・フラー監督作品は冒頭の「掴み」が秀逸で、例えば本作において主人公の娼婦のケリーがマネージャーの悪徳さを懲らしめてはみたものの、密かに睡眠薬を飲まされ、気がつくと丸坊主にされているのである。ヒロインがいきなり丸坊主になっている意表の付き方が上手いのである。
それは1961年7月4日の出来事で、それから2年後、ケリーはグラントビルという小さな町に現われる。町の映画館では『ショック集団』が上映されている。すっかり髪の毛も元に戻ったケリーは娼婦を生業にしようと取り合えず地元警察のグリフを客に取る。グリフは町の端ならば見逃す約束をするのであるが、ケリーは心を入れ替えグラントビルの子供のための障害者施設の看護婦として働き始め、J・L・グラントという町の富豪と知り合う。ゲーテやバイロンやボードレールなどの詩人の話で盛り上がり、ケリーは自分の素性を明かすのであるが、それでもグラントからプロポーズされる。しかし結婚を目前としてケリーはグラントが親戚の女の子にいたずらしているところを目撃し、殴り殺してしまう。ケリーの素性を知っているグリフはケリーが犯人だと決めつけるのであるが、ケリーに世話になっていた看護婦たちの証言や、女の子本人の証言からケリーの正当防衛が認められる。しかしケリーは1964年1月5日に町を去っていくのであるが、その日は町の「障害者のためのピクニック」が催されるという横断幕が掲げられている。つまり娼婦という偏見に晒されたケリーにとって町の住人全員が「障害者」のように見えるという暗示であり、今まで見てきたようにサミュエル・フラー監督の文字に対するこだわりがゴダールと共鳴するように思う。
ベートーヴェンの『ムーンライトソナタ』や『運命』なども流れ、妙にケリーの教養が高いことが気になるのだが、さらに気になることはケリーが娼婦だったことを知ってプロポーズしたグラントが幼児性愛者でもあり、つまり男性経験豊富な女性も無垢な女の子も愛せるグラントの変態性の高さで、あまりにも変態性が高すぎて逆にそれは普通の性癖ではないのかと思ってしまうのであるが、いかにもサミュエル・フラー監督が作り出すキャラクターではある。