原題:『Florence Foster Jenkins』
監督:スティーヴン・フリアーズ
脚本:ニコラス・マーティン
撮影:ダニー・コーエン
出演:メリル・ストリープ/ヒュー・グラント/サイモン・ヘルバーグ/レベッカ・フェルグソン
2016年/イギリス
「アイドル」の歌声について
主人公であるフローレンス・フォスター・ジェンキンスを日本人に対して分かりやすく例えるならば大屋政子といったところだろうが、この例えももはや通じないかもしれない。
それにしても資産家のフローレンスの歌を貶す取り巻きはいないだろうし、ピアニストのコズメ・マクムーンさえ最初は陰で爆笑していたものの、伴奏者として雇われることになれば批判など出来ない。だから本来ならば妻の実力を熟知していた夫のシンクレア・ベイフィールドは取り巻きたちだけの小さなリサイタルだけに留めたかったのであろうが、あくまで本気のフローレンスは当然のことながら音楽の殿堂であるカーネギー・ホールで歌いたいという野心を持つ。だから妻の歌とカーネギーホールという場所のギャップをいかに埋めるかということがシンクレアの課題となり、約3000の客席をクラシック音楽に詳しくない退役軍人たちのための慰安コンサートにしたのであろうが、そんな軍人たちでさえフローレンスの歌の酷さは理解できて、大爆笑を取るのである。
そんなフローレンスのカーネギー・ホールでのコンサートは今でも一番人気らしいのであるが、いわゆる「下手ウマ」として評価されているのか、あるいは「歌ネタ」のようなギャグとして評価されているのか、どのような基準による評価なのかがいまいちよく分からない。そもそもフローレンスを演じたメリル・ストリープが猛練習してフローレンスのように歌うその歌声は上手いと捉えるのか下手と捉えるのか、本作を観ている内に何が何だか分からなくなってくる。