MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

ルノアールと梅原龍三郎

2016-12-12 00:12:07 | 美術

 現在、東京の三菱一号館美術館で催されている『拝啓 ルノアール先生 - 梅原龍三郎に

息づく師の教え』を観て疑問に思うことは、梅原龍三郎の作風がルノアールに全くと言って

いいほど似ていなくて、それは梅原が1908年に初めてパリに留学した際に、ルノアールに

紹介されて通いだした学校がアカデミー・ジュリアン(Académie Julian)という私立の美術学校で、

この学校は後にピエール・ボナール(Pierre Bonnard)やモーリス・ドニ(Maurice Denis)

などのナビ派の画家を多く輩出しており、実際に梅原の作風もナビ派なのである。


『読書(Reading)』(1911年)

 後期になるとナビ派と野獣派(フォーヴィズム)が重なったような作風になってくる。例えば、

アンリ・マティスのように計算された筆致であるならばともかく、梅原の場合は技術力不足による

偶然の賜物のように見える。


『薔薇とルノワルのブロンズ(Roses and a Bronze Figure by Renoir)』(1972年)

 それでもルノアールの『パリスの審判(Le Jugement de Pâris)』(1914年)をモチーフに

した梅原龍三郎の『パリスの審判(The Judgement of Paris)』(1978年)は素晴らしい。

 この時、梅原は90歳で、91歳まで仕事をしていたパブロ・ピカソに迫る仕事ぶりで、

その作風もなんとなくピカソの作風に似ているのではあるが、皮肉なことにあれほど好きだった

ルノアールの作風には最後まで近づけなかったのである。


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