9/20号のNature誌のニュースのセクションで、日本のWorld Premier International Research Center (WPI) の選定が終わり、多額の資金が投入されるとのニュースがあらためて取り上げられていました。この短文では、WPIは、外国人科学者を引きつけ、外国との共同研究を促進することによって、世界をリードする研究施設をつくることを目標としていると述べてあります。これを聞いて白けてしまうのは私だけではないでしょう。選ばれた大学が、東大、京大、阪大、東北大、筑波ということで、わざわざワールドプレミアとかいう恥ずかしい名前のプロジェクトを作ってお金を落とさずとも、以前からお金には比較的苦労の少ない大学で、私は例によって実際を何もわかっていない官僚が机上の理屈でぶち上げた無責任プロジェクトを旧帝大が煽ったのだろうと、穿った見方をしてしまいました。外国人を引きつけ、云々といいますが、多額の報酬以外に外国人を引きつけるどのような魅力を創ろうとしているのでしょう?物価が高くて住環境が悪く、街では英語もろくに通じない日本での不自由な生活を余儀なくされるのが目に見えているのに、喜んでアメリカではなく、日本で働きたいという外国人がいるとはとても思えません。また外国人を雇うことが日本の研究施設にとってどれだけのメリットがあると考えているのでしょうか?平均を比較していみると、日本人並みの頭脳を持ち、日本人並みの正確さで仕事をし、日本人並みに長時間働ける研究者が、外国にそんなにいるとは思えません。ワールドプレミアと言うぐらいですから、雇いたい外国人は、プロダクティブな教授クラスの人なのでしょう。そういう人は既に十分よい研究環境にあることが多いわけで、日本がそうした人を呼んでくるには法外な報酬を払う必要があると思います。それだけの価値がある外国人がそうそういるとは思えません。更に、外国人を引きつけて外国と共同研究をする云々ということと、世界トップクラスの研究を行うこととは何の関連もありません。ワールドと言ってしまったので、外人コンプレックスの日本人官僚が、外人を入れなければワールドにならないとでも思ってしまったのでしょうか?あるいは手すりの飾りのつもりで外国人研究者を使うつもりなのでしょうか?また、外国人を引きつけといっている人は、多数の優秀な日本人研究者がアメリカやその他の国に引き抜かれたり、あるいは自ら研究環境に惹かれて外国で研究することを選択しているこの現実をどう思っているのでしょう。日本にそれだけの良い研究環境が用意できるなら頭脳流出はおこらないと思います。外国人でも来たいと思うようなそういう研究環境が整備できるのなら、まず優秀な日本人を優先的に雇うべきでしょう。日本の研究システムに外国人を入れてどうなるか具体的に考えてみると、まず、トップクラスの外人PIを多額の報酬で雇った場合、PIにとっては、優秀な日本人ポスドクにすぐ手が届くというメリットはあるかもしれません。しかし、だからといって、研究は人間の生活のうちの一部にしか過ぎないわけで、物価高と住居環境が悪く、文化や言葉で苦労する日本でそう長期に頑張ろうと思っている人はそんなにいないであろうと想像できます。それなりに数年やって、優秀な日本人ポスドクを利用するだけして結果が出れば、アメリカなどのよりよい施設に移動してしまうのがオチでしょう。そうして税金で高い報酬を払い日本人ポスドクを使わせてあげて、利用されて捨てられる、それでも「ワールドプレミアインターナショナルリサーチセンター!」と胸を張って言えるのでしょうか?ジュニアクラスの外国人、例えば他のアジア人とかであれば、日本に来たいという希望者はいるでしょう。そんな中から世界トップクラスを目指すような研究者が出るかというと、出ないであろう、と答えざるを得ません。世界トップクラスになるつもりの人なら、最初からアメリカに行くでしょう。英語を母国語としない国の人が、日本でジュニアクラスのポジションで研究をやるというのは、よほど特殊な理由があるか、つまり日本の特別な研究室でしか学べないなどの場合や、あるいは研究はそこそこでもよいから、自国に近いところで給料のよいところに留学したいと思っている場合ではないでしょうか。世界トップクラスの研究基地とつくるというのは悪くはないアイデアかも知れません。明らかな誤りは、外国人を入れると世界クラスを実現するのに役立つかもしれないと思っていること、資金を集中投入するとトップクラスの研究ができると思っていることではないでしょうか。むしろ逆だと思います。トップクラスの研究を促進するには、優秀な日本人研究者に投資し、ヘンな外人を入れないこと、資金は施設や大学にではなく人に投下することです。
この企画の本音を知っている訳ではありませんが、実際のところは、ワールドプレミアインターナショナルでも、ヒノマル研究センターでも、プロジェクトの名称や建前はなんでもよくて、お金さえ旧帝大に落ちるようにしてくれれば、体裁は何とでも整えますよ、という世界なのかも知れません。おそらく、みんなで楽しく冗談言っているのに、真に受けて青筋立てて真面目に意見されてもなあ、というのがその筋の人の思っているところなのでしょう。
とここまで書いていて、柳田充弘先生のブログでこのことに触れてある場所があったようなことを思い出して再訪してみました。その一部を以下に転載します。
年間15億円程度の研究費をだして、世界的にみて国を代表するものをつくりたいというのだそうです。名前はWorld Premier International Research Center (WPI) Initiativeというすごそうなものです。
これには、もちろん京大からも申請がでるのでしょう。ところが、なんと、京大からのは、出すと100%通ると最初から分かっているのだそうです。冗談だとおもいますが、担当副学長(理事)がいってるのだそうです。
というわけで、私の下種の勘ぐりも当たらずとも遠からず、すっかり白けてしまいました。この官と旧帝大の癒着体質は日本の研究界に極めて害悪であって白けている様な問題ではないのですが、旧帝大とその他の大学との格差がどんどん開いて非旧帝大系大学の一勢蜂起でもおこらない限り一歩の改善もないのでしょうね。官僚の多くが東大出身というのが諸悪の根源ですか。
そもそも現在の日本の研究を見渡して、世界トップクラスの研究が出ていないという人はいないでしょう。現に、同号のNatureに掲載されている研究論文14本のうち、日本人がトップ、またはシニアオーサーの論文は4本もあります。約30%が、日本人の重要な寄与によって形になったものです。因みに日本から出た論文は旧帝大からではなく、東工大からです。ハードコアセル/モルキュラーバイオロジーの論文で、Back-to-backのもう一本のイギリスからの論文の筆頭著者も日本人です。こうしたアネクドータルな例からだけ結論するわけではないですが、日本人および日本の研究施設の自然科学への寄与の度合いというのは、既に世界トップクラスなわけです。まるで旧帝大へ資金を都合するためのワールドプレミアなどという大袈裟な名前のこんな茶番をやるぐらいなら、外国人PIを一人雇うかわりに、ジュニアの日本人を二人雇い、旧帝大にセンターをつくってお金を出すのではなく、日本全体を見回して研究室レベルで投資を行うべきです。その方が日本の研究という点では百倍もよい。(と、また正論を吐いてしまいました)
少し話がかわりますが、研究費の分配について、しばらく前から柳田充弘先生のブログでJSTの研究費政策についての議論が進行しています。JSTの責任者の人の説明は、研究者の立場の人から非常に不評です。どうも政策の責任者の人は工学系の出身のようで、生命科学の基礎研究の性質というのも理解していないのが一つの理由のように思えます。工学ではトップダウン式のプロジェクトが比較的よく機能するようです。例えば、ソニーの北野宏明さんの、ロボカップのアイデアは大変面白いと思いました。プロジェクトのゴールはロボットチームと人間チームがサッカーの試合をできるようにするということなのです。目標とする所は極めて明快です。働く人の意欲をかき立てる夢のあるゴールです。しかし、サッカーができるロボットを作るということは、極めて多くの困難な問題を解決していく必要があります。ロボットの知能、知覚、判断力、運動能力、安全性、どれ一つをとっても、非常に高度なレベルが要求されます。真の狙いは、最終ゴールを設定する事で、解決するべき問題を明らかにし、それを解決していく過程で生まれる技術革新です。ゴールの設定、期間の設定は通常こうした応用科学である工学、技術系においては、研究を進める上でのよい指針となるようです。しかし、基礎生物学では、こうしたトップダウン式の研究方針は動きません。基礎生物学では、発明や工夫ではなく、発見することが第一であり、発見されるものは発見できるものに限られています。発見しようとして発見できるようなものではないのです。様々な研究の断片的な知識の集積、全く関係のない分野も含めての知識のマスという基礎があって、そこに努力と偶然が働いてはじめて、新発見につながるわけです。基礎生物学の営みの殆どは、この知識の断片のマスを増大させることに使われるわけで、そのごくごく一部が実地問題の解決に繋がる鍵となるに過ぎません。例えば「がんは重要な問題だから今後20年間で、がんを治す方法を見つけなさい」と言われて、具体的な研究計画など立てられるわけがありません。アメリカのNIHでも、トップダウン式のプロジェクト、ロードマップが思ったように機能していないとの批判があります。しかし、そもそもロードマップに投下される金額は全体のNIHの予算からすれば、ごくわずかです。NIHはトップダウンのストラテジーが生命科学では余り有用でないことをよく知っており、資金の大多数を、研究者主導のグラントに使おうとしています。また、大型プロジェクトのグラントを一本出すよりは、小さな研究者主導のグラントを5本出す方を好む傾向があるようです。日本においてはどうも逆方向に行っているように見えます。旧帝大を優遇して、研究界の格差を拡げ、研究の基礎体力である多様性をなくしていこうとしているようにしか見えません。私は日本の研究資金の管理責任者には、各分野ごとに研究歴のある人を据え、方針の決定においては官僚の関わりをできるだけ少なくする必要があると思います。私は日本の科学政策を正面切って批判する資格は本当はないのですが、ワールドプレミアとかいう恥ずかしい名前のプロジェクトは研究者のアイデアでないことは明らかですし、その政策の責任者の人には、こんなニュースをNatureのフロントベージで読まされて、赤面したり、白けたりする日本人の気持ちも汲んでくださいと言いたい気持ちです。
この企画の本音を知っている訳ではありませんが、実際のところは、ワールドプレミアインターナショナルでも、ヒノマル研究センターでも、プロジェクトの名称や建前はなんでもよくて、お金さえ旧帝大に落ちるようにしてくれれば、体裁は何とでも整えますよ、という世界なのかも知れません。おそらく、みんなで楽しく冗談言っているのに、真に受けて青筋立てて真面目に意見されてもなあ、というのがその筋の人の思っているところなのでしょう。
とここまで書いていて、柳田充弘先生のブログでこのことに触れてある場所があったようなことを思い出して再訪してみました。その一部を以下に転載します。
年間15億円程度の研究費をだして、世界的にみて国を代表するものをつくりたいというのだそうです。名前はWorld Premier International Research Center (WPI) Initiativeというすごそうなものです。
これには、もちろん京大からも申請がでるのでしょう。ところが、なんと、京大からのは、出すと100%通ると最初から分かっているのだそうです。冗談だとおもいますが、担当副学長(理事)がいってるのだそうです。
というわけで、私の下種の勘ぐりも当たらずとも遠からず、すっかり白けてしまいました。この官と旧帝大の癒着体質は日本の研究界に極めて害悪であって白けている様な問題ではないのですが、旧帝大とその他の大学との格差がどんどん開いて非旧帝大系大学の一勢蜂起でもおこらない限り一歩の改善もないのでしょうね。官僚の多くが東大出身というのが諸悪の根源ですか。
そもそも現在の日本の研究を見渡して、世界トップクラスの研究が出ていないという人はいないでしょう。現に、同号のNatureに掲載されている研究論文14本のうち、日本人がトップ、またはシニアオーサーの論文は4本もあります。約30%が、日本人の重要な寄与によって形になったものです。因みに日本から出た論文は旧帝大からではなく、東工大からです。ハードコアセル/モルキュラーバイオロジーの論文で、Back-to-backのもう一本のイギリスからの論文の筆頭著者も日本人です。こうしたアネクドータルな例からだけ結論するわけではないですが、日本人および日本の研究施設の自然科学への寄与の度合いというのは、既に世界トップクラスなわけです。まるで旧帝大へ資金を都合するためのワールドプレミアなどという大袈裟な名前のこんな茶番をやるぐらいなら、外国人PIを一人雇うかわりに、ジュニアの日本人を二人雇い、旧帝大にセンターをつくってお金を出すのではなく、日本全体を見回して研究室レベルで投資を行うべきです。その方が日本の研究という点では百倍もよい。(と、また正論を吐いてしまいました)
少し話がかわりますが、研究費の分配について、しばらく前から柳田充弘先生のブログでJSTの研究費政策についての議論が進行しています。JSTの責任者の人の説明は、研究者の立場の人から非常に不評です。どうも政策の責任者の人は工学系の出身のようで、生命科学の基礎研究の性質というのも理解していないのが一つの理由のように思えます。工学ではトップダウン式のプロジェクトが比較的よく機能するようです。例えば、ソニーの北野宏明さんの、ロボカップのアイデアは大変面白いと思いました。プロジェクトのゴールはロボットチームと人間チームがサッカーの試合をできるようにするということなのです。目標とする所は極めて明快です。働く人の意欲をかき立てる夢のあるゴールです。しかし、サッカーができるロボットを作るということは、極めて多くの困難な問題を解決していく必要があります。ロボットの知能、知覚、判断力、運動能力、安全性、どれ一つをとっても、非常に高度なレベルが要求されます。真の狙いは、最終ゴールを設定する事で、解決するべき問題を明らかにし、それを解決していく過程で生まれる技術革新です。ゴールの設定、期間の設定は通常こうした応用科学である工学、技術系においては、研究を進める上でのよい指針となるようです。しかし、基礎生物学では、こうしたトップダウン式の研究方針は動きません。基礎生物学では、発明や工夫ではなく、発見することが第一であり、発見されるものは発見できるものに限られています。発見しようとして発見できるようなものではないのです。様々な研究の断片的な知識の集積、全く関係のない分野も含めての知識のマスという基礎があって、そこに努力と偶然が働いてはじめて、新発見につながるわけです。基礎生物学の営みの殆どは、この知識の断片のマスを増大させることに使われるわけで、そのごくごく一部が実地問題の解決に繋がる鍵となるに過ぎません。例えば「がんは重要な問題だから今後20年間で、がんを治す方法を見つけなさい」と言われて、具体的な研究計画など立てられるわけがありません。アメリカのNIHでも、トップダウン式のプロジェクト、ロードマップが思ったように機能していないとの批判があります。しかし、そもそもロードマップに投下される金額は全体のNIHの予算からすれば、ごくわずかです。NIHはトップダウンのストラテジーが生命科学では余り有用でないことをよく知っており、資金の大多数を、研究者主導のグラントに使おうとしています。また、大型プロジェクトのグラントを一本出すよりは、小さな研究者主導のグラントを5本出す方を好む傾向があるようです。日本においてはどうも逆方向に行っているように見えます。旧帝大を優遇して、研究界の格差を拡げ、研究の基礎体力である多様性をなくしていこうとしているようにしか見えません。私は日本の研究資金の管理責任者には、各分野ごとに研究歴のある人を据え、方針の決定においては官僚の関わりをできるだけ少なくする必要があると思います。私は日本の科学政策を正面切って批判する資格は本当はないのですが、ワールドプレミアとかいう恥ずかしい名前のプロジェクトは研究者のアイデアでないことは明らかですし、その政策の責任者の人には、こんなニュースをNatureのフロントベージで読まされて、赤面したり、白けたりする日本人の気持ちも汲んでくださいと言いたい気持ちです。