百醜千拙草

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ノーベル平和賞とゴアの挑戦

2007-10-16 | Weblog
アル ゴアがノーベル平和賞を受賞しました。彼の地道な努力がとりわけ最近数年、実を結びんでこの受賞に結びついたのだろうと思います。
2000年の大統領選では、がっかりさせてくれました。最後の天下分け目のフロリダの投票が僅差でもつれにもつれた上に、投票用紙の不備や数え間違いが重なり、最高裁まで投票結果の有効性について審議が上って、結局、最高裁の判断が勝敗を決めたのでした。そのため、彼は結局、2回もConcession speechをしたのでした。皮肉なことに、この大統領選での彼のベストスピーチはおそらく、最後のConcession speechでしょう。票数を数え直している間に早々と「勝利宣言」をしてしまうブッシュの厚かましさに比べると、ゴアの大統領選にかける情熱は控えめに見えました。実際のところ、「大統領になりたい」という欲は、それほど強くなかったのではないかと想像します。彼の情熱が地球の環境問題であった以上、一国のしかも環境破壊のリーダーともいえるアメリカの大統領となった場合、アメリカの利益と地球全体の利益との間で板挟みになってしまうのが嫌だったのではないかとも思います。環境問題は、地球規模で対処しなければならない大問題となっています。京都プロトコールで二酸化炭素の排出量抑制の基準が示されましたが、先進国で真っ先に京都プロトコールを遵守しないと宣言したのはアメリカでした。地球の環境よりアメリカ経済の方が大切だというわけです。アメリカの国益を優先するためにおこる、いわば国レベルでの「外部不経済」です。アメリカ経済がアメリカ一人で持っているわけではないのですから、このまま環境破壊が進めばアメリカだって困るはずです。このことは皆が多かれ少なかれわかっているのですが、遠い先のことと思って見て見ないふりをしてきたものです。地球規模での環境問題を解決するということは、この「外部不経済」を内部化する必要があります。しかし内部化するための代償は誰が払ってくれるのかということになると、アメリカは世界のリーダーだと言っているわけですから、アメリカ以外の誰も払うはずがないのです。そしてアメリカが自国の経済にマイナスになることがわかっていることを自らする筈がありません。そうすると、この外部不経済の内部化がおこるためには、アメリカよりも上の地球全体を統括するような権力が必要です。勿論、そんなものができる筈はりません。ゴアがアメリカの大統領となって、果たして環境問題の解決に向けて政策面から動けるかというと、まず無理でしょう。アメリカ人に限らず、皆利己主義なのです。アメリカ人の多くが、地球の未来よりも、今日一日をどう生き延びるかということに心を向けています。国民は地球の未来のことより、自分の現在のことを優先してくれと言うでしょう。ゴアが政治から身を引いてやってきたこと、地球市民のひとりひとりに問題の重大さを認識してもらい、上からではなく下から世界を動かそうとすることは、大統領になって政策面からなんとかしようとするよりも、もっと効果的であったであろうと思います。結局、政治はどうやってもゲームの領域を出ないのです。この点でゴアの選択は正しかったと私は思います。このノーベル賞受賞を受けて、早速ゴアを2008年の大統領選に担ぎ出そうとする人も出てきています。ゴア本人は出馬することはないでしょうが、ゴアが環境問題にプラスに働けるような候補者をendorseすることで、特定の民主党候補者が民主党の指名並びにその後の大統領選を有利に戦える可能性があります。(民主党では、既にヒラリークリントンの独走状態のようですが、こればかりは蓋を開けてみないとわかりません。前回の大統領選で、ゴアのendorsementを受けたハワード ディーンが、予備選挙前の絶対優位の予測に反して、早期の予備選挙での大敗を喫して早々と大統領選から脱落しました。前回のゴアは2000年の大統領選に敗れた人でしたが、今回のゴアはノーベル平和賞受賞者かつアカデミー賞受賞者という勝者ですから、彼のendorsementの価値は随分違う可能性があります)
環境問題におけるゴアの努力が生前に報われる可能性は高くはないと思います。彼の努力もあるいは全人類の努力も、すでにここまで破壊が進んだ地球環境にとっては焼け石に水かもしれません。しかし、この困難な問題に真摯に取り組んで努力する姿勢が人々に評価されるようになってきています。このような地道な活動が地球の将来を心配する人々の手によって、大きく拡がっていくことを私も願っています。
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