前に、中国の会社で変形性関節症(または変形性関節炎;OA)の基礎研究を始めたという昔の知り合いの話をしたときにいろいろ思うことがありました。OAは高齢者の膝などの関節痛の原因の多くを占め、大変多くの方が困っておられる病気でありながら、手術以外になかなかよい治療法がないのが現状で、そこに非常に大きなunmet clinical needsがあり、特に中国などでこの分野に大金が投資されている原因と思われます。しかるに、この分野の基礎的
研究というのは十年以上、大した進歩があるように思えません。研究手法も非常にプリミティブで信頼性に問題があり、そこをなかなか改善できないのも理由の一つです。知り合いの彼もその実験手法そのものに問題を感じたのだと思います。
加えて、もう一つ、この研究分野には、根本的な概念上の問題があるのではないか、と私は思っています。疾病の治療を目的とした基礎的研究の多くは、生体の細胞の機能を操作することによって、疾病の進行抑制や再生を目指すという研究コンセプトに沿って、研究目標や計画が立てられているように思います。関節痛をきたす二大疾患であるリウマチ性関節炎(RA)とOA ですが、この二つは大きくそのメカニズムが異なります。リウマチは、免疫異常による炎症性疾患ですので、従来の治療法、つまり細胞の機能をモデュレートすることによって疾病の進行を抑制することができます。それゆえ、一見、RAの類縁のように思えるOAにもリウマチと同様の治療コンセプト(細胞機能を変化させることで治療効果を得ようとする戦略)が適応できるのではないかという前提を当てはめてしまったような気がします。現在、変形性関節症といわずに関節炎と呼ばれるようになったように炎症のファクターが関与しているのは事実ですが、炎症はむしろ二次的なものでしょう。
関節という組織は発生、成長の段階で、非細胞成分(軟骨基質)による緻密な三次構造が段階的に作られて完成していくものであり、その構造蛋白代謝回転スピードは半減期が数十年というレベルの比較的Staticな組織です。関節軟骨の物理的体積の9割以上は非細胞成分であり、その軟骨基質はかなりの物理的刺激に耐える必要上、非常に高度で緻密な構造を取る必要があります。よって、一旦、ダメージを受けた場合に、その構造は簡単には修復できるようなものではありません。ですので、組織内にわずかに存在し、すでに関節軟骨を形成するという役目を終えてしまった細胞を、薬剤などで刺激して、もう一度、力学的に強靭な軟骨基質を作らせて軟骨を「再生」するというのは、想像してみれば、相当困難であろうことは推測できます。microfactureなどの外科的手法で軟骨は「再生」できないことはありませんが、そうしてできた軟骨はオリジナルの関節軟骨に比べると、はるかに構造的にも機能的にも質が悪く、脆弱なもので、「再生」と呼べるレベルのものではありません。したがって、薬などが効く相手は軟骨そのものではなく、滑膜や神経といった軟骨以外の組織の細胞にほぼ限られると考えられます。
なので、OA関節は、非細胞成分の高次構造つまり、高度に力学的に最適化された軟骨基質の構造を再構築しないかぎり、「治癒」はしないと考えられます。細胞にチョイと刺激を加えたら、何らかの神の手が働いて魔法のようにあの緻密な構造を持つ軟骨基質が再生するのではないかと思うのは、粉々に砕けたガラスのコップをビニール袋に接着剤と一緒に入れて振れば元通りになると考えるのと同じほど、ナイーブというものです。
しかし、この分野で大量の低品質論文を見ると、「OAは細胞機能を操作することによって進行を抑制できる」という根拠の弱いドグマをあたかもアプリオリな真理であるかのように扱っています。私は、この前提をもっと厳密に検討するところから始めるべきだと考えています。そのためには研究手法も原始的だし、研究システムも最善とは言えず、それが堂々巡りになって分野の研究の質があがらない原因と思います。要は研究すること自体が困難な疾病ということです。
とはいえ、「砂上に楼閣を建てる愚」というものは、維新の大阪万博や対米隷属政権の辺野古の基地建設、などなどのように、前提が崩れ去っていて最初から失敗がわかりきっていることを無理にやり続けることであって、その長期的なマイナス効果は莫大なものがあることを自覚せねばなりません。欲や希望に惑わされず、立ち止まって理性的に考え、引き返すべき時に引き返す決断をすることが、賢者であり、蛮勇のみで思考停止して突っ走って大勢の人々を巻き込んで破滅するのは愚か者です。そうした慎重さと勇気を持てない人間はリーダーであってはなりません。
科学では、事実を捻じ曲げたり、捏造したり、隠蔽したりしてもウソは必ず明らかにされます。公文書を改ざんさせた与党政府に忖度して真実の隠蔽に加担する大阪地裁のように、いつまでも真実を隠し通すわけにはいきません。最初の一歩を間違えば、そのあとの努力はすべて無駄になります。一歩を進める前に、現在の立場が十分に堅牢であるかどうかを十分に確認する注意深さが重要だと思います。