(終着駅@横河原駅)
松山市駅から14駅、約30分で横河原線の終点・横河原駅に到着しました。雲の多いパッとしない朝です。通勤時間帯の少し前とあって、駅前は静かなもの。以前はそれこそ開業当時からの木造の駅舎があって、終着駅らしい風格を持って迎えてくれたそうなのですが、今は建て替えられたスレート葺きとサイディングの現代風の駅舎に建て替えられています。まあ、私のような門外漢が風情を語るよりも、地元の方が明るくてキレイな駅を使える方が良いのですよね。
特に何を思わせぶる事もなく、ホームの先でスパッと途切れている横河原線の線路。横河原まで鉄道が開通したのは明治30年代と、愛媛県内どころか全国でも相当早い段階で鉄道が敷設された街なのですが、官営鉄道から離れて道後平野を山間部に向かう路線は沿線人口も少なく、その経営状態は長い事あまり芳しくなかったそうです。そのため、設備投資も後回しにされた結果、電化されたのが戦後からだいぶ経った1967年(昭和42年)のこと。それまでは、ロッド式の2軸のディーゼル機関車(DB)が、ハフやハニフなどの形式が付いた木造客車を2~3両引っ張ってのんびり走るような路線だったと聞きます。横河原の駅は1面1線の単式ホームで折り返すだけの単純な構造ですが、線路の横に前はレールが敷かれていたのでは?と思われるスペースがあり、おそらくは機回し線なんかがあったんじゃないかなと。
終点でエンド交換を終え、発車を待つ高浜行き。横河原の駅は、旧・温泉郡重信町の中心部。重信町は、平成の大合併でお隣の川内町と合併し現在は東温(とうおん)市となっています。温泉郡の「温泉」とは当然道後温泉を指しますが、温泉の東側にあるから東温市、ということなんでしょうね。折しもこの日は平日、横河原発のこの電車は朝7時発ということで、折り返しを待つ間に静かだった駅前のロータリーには通勤通学のための軽自動車が徐々に集まり始めました。家族に送られて降りて来た学生やサラリーマンが、三々五々と忙しなく列車に乗り込んで行きます。
かつては乗客も少なく設備投資も遅れ、伊予鉄のお荷物扱いであった横河原線。今や松山市の市勢拡大に伴い、沿線はすっかり松山市のベッドタウンに変貌しました。逆に、瀬戸内海の海運の衰退に伴って、かつての花形だった港湾路線の高浜線や郡中線に昔ほどの勢いはなく、市駅を中心に伸びる三線の相対的な格差はあまりなくなっているようにも思います。
行きはウトウト眠りこけていた横河原線。7時の電車の発車のベルが鳴りました。
さて、こちらも頭をしゃっきり切り替えて、松山市に戻りながらボチボチと沿線を回って行く事にしましょうか。
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